GWの休暇でまとまった時間が取れたこともあり、その800ページ超というボリュームに恐れをなし長らく積読になってしまっていた「綿の帝国 グローバル資本主義はいかに生まれたか」(スヴェン・ベッカート著 紀伊國屋書店)を読了することができました。重厚な内容のため感想が大変長くなってしまい、今回は泣く泣く前半のよもやま話を断念しいきなり本の紹介をすることといたします。いつも前半部分のみを楽しみにされている読者の皆様すみません(笑)。
恥ずかしながらこれまで資本主義やグローバリズムというものについて、具体的な産業で実際に起こった変化や社会あるいは人々の生活への影響と結びつけて深く考えてみたことが無かった金次郎にとって、人類史上最初の地球規模で統合されたサプライチェーンと市場を持つに至った綿産業の視座からその歴史を紐解くという本書の試みは本当に勉強になることだらけで目から鱗の連続でした。古来より世界中で生産されてきた綿花は手紬という形で綿製品に加工され、インドや中国をはじめ、オスマン=トルコや中南米等も含め世界中でリージョナルかつ小規模に生産され流通していました。その後大航海時代を経て高品質のインド産綿製品が珍重されるようになると、欧州諸国が設立した東インド会社の交易ネットワークを通じ欧州各地で流通するようになり、更に18世紀にイギリスで起こった産業革命により織物業の部分が先んじて機械化され生産性が格段に向上すると、世界は綿花不足という構造的な課題を抱えることとなりました。一方で急増する製品の仕向け先としての市場を求める動きも活発になり、悪名高い三角貿易の一部として西インド諸島やアフリカ向けに綿製品が出荷されたり、インドの伝統的な綿織物業に深刻な打撃を与えつつインドへの販売を増やす傾向が顕著となりました。そのような形で需要側の問題は解決に向かったものの、重労働が必要で生産効率が悪い上に、食べることはおろか地元で加工することもできない綿花栽培を好き好んでやる自作農はおらず、結局は戦争による土地収奪と奴隷制を前提とする共生労働を通じてしか大規模に生産することができないという綿花栽培の性質から、19世紀前半の世界でこれらの条件を充足し得るのはアメリカ南部のみとなり、アメリカ産綿花への依存度が危険な水準まで高まる結果となりました。1833年にイギリス国内での奴隷制が禁止されたにも関わらず、その時点でイギリスから独立していたアメリカではこれが適用されず奴隷制が維持されたことがイギリスにおける綿花供給確保という点でプラスに働いたのは歴史の皮肉と言えると思います。このように19世紀前半の世界はアメリカからの綿花供給に過度に依存する構造になっていたわけですが、そんな綿産業を見舞った危機がアメリカ南北戦争であり、南部からの綿花輸出激減を機に各国の綿織物業社は世界中に代替綿花ソースを求めることとなりました。インドは先述の通りイギリスからの綿織物輸入の急増により国内紡績業が衰退していたため理論上綿花輸出は可能でしたが、伝統的な国内向け綿花供給やそれに適した農法に固執するインド農民を輸出向け綿花栽培に転換させることは思いのほか困難であったため、一先ずエジプト、ブラジルや中央アジア諸国がこれに代わることとなりました。そうこうしているうちにアメリカで自作農から小作農に落ちぶれた白人や農園主により借り受けられた囚人に加え、一旦解放されたもののその後行き場を失った黒人が綿花栽培に従事するようになり、先住民への厳しい迫害を伴う耕作地の南西部への拡張を通じて再度アメリカでの綿花生産は増加に向かうこととなったわけですが、この時代は資本家が資金力と信用供与をテコに農民を綿花栽培に縛り付ける産業資本の時代であったと言えるかと思います。その後、大量生産を通じたコスト削減も手伝って綿製品需要が世界中で急拡大すると、安価かつ安定した綿花供給の確保が再度深刻な課題となったにも関わらず、もはや産業資本は自らの力だけでかかる課題に対処することができず、より強大な力を有する国家機構と結びつき、その保護の下にアフリカやアジアでの綿花生産を拡大していくこととなります。具体的には、国家権力を行使しての課税や強制を通じ農民を従来型農業から綿花プランテーションへシフトさせる動きが顕著となるわけですが、これは主に新たに帝国主義列強の支配下となった植民地で実施され、列強諸国は正に綿花を得るために植民地獲得競争を繰り広げていたと言え、日本の朝鮮半島や中国大陸への進出も同様の文脈で説明されていて、この点は殆ど認識していなかったと歴史の奥深さを思い知ることとなりました。更に、20世紀半ばを過ぎ綿織物業の拡大に伴い労働者が次第に力を持つようになると、組合活動に代表される労働運動が活発となり、結果として賃金水準が上昇すると、今度は安価な工場での労働力を求めて資本がインドや中国を中心としたアジアに再度向かうという現代に通じるグローバリズムの現象が説明され、漸く少しは肌感覚として理解できる内容が出てきて安心いたしました(汗)。全編を通じ、資本主義というものが何度も危機や脅威に晒されながら、その都度打開策を見出し状況に適応して現代まで生き延びてきた過程が一つの産業の歴史という形で具体的に描かれており、その柔軟で可塑性に富むしぶとさについてこれまでより一段も二段も深く理解できたと実感いたしました。はっきり言って上記の説明ではこの本によって明らかにされた示唆に富む内容の1割もお伝えできている自信が有りませんので、少しでも興味をお持ちの方がいらっしゃいましたら長くて大変ではありますがご一読されることを強く推薦いたします。
「ぎょらん」(町田そのこ著 新潮社)は町田先生初期の作品で、人が死んだ際に現れるとされる死者の思いが詰まった赤い珠である〈ぎょらん〉をモチーフとした連作集です。友人の死に直面し遺された〈ぎょらん〉を通じて知ることとなった彼の最期の思いに囚われ苦しむ主人公朱鷺が、周囲の助けや家族の愛に支えられ、〈ぎょらん〉の存在とそれが生み出される意義を追求することを通じ再生していく様子が生々しさの中にも温かさの有る筆致で描かれています。〈ぎょらん〉をめぐる謎や登場人物達の過去が少しずつ明かされていく構成は読者を物語に引き込む力が有りますし、いつの間にか人の死という大きなテーマに厳粛な気持ちで向き合い考えさせられている自分に気づき、町田先生の深みの有る物語を紡ぎ出す力に感嘆いたしました。と言うか、これこそがデビュー作である「夜空に泳ぐチョコレートグラミー」(同)で世間を驚かせた町田文学の真骨頂であり、僭越ながら来年の本屋大賞では初心に帰ってこういう骨太作品での候補作入りを目指してほしいと強く思いました。
最後に簡単に。「私たちの世代は」(瀬尾まいこ著 文藝春秋)は不自由だらけの生活であったコロナ時代を、それぞれに苦しみや葛藤を抱えていた二人の女性の視点で振り返りつつ、確かに色々と大変なことは多かったけれども、必ずしも人生にとってネガティブなことばかりではなかったという事実に目を向けさせる前向きな内容となっています。脇役達がいい味を出しているのが特徴的なのですが、中でも一方の主人公の母親がからっとしていて大雑把で愛情に溢れた非常に印象的なキャラで、「さよなら、田中さん」(鈴木るりか著 小学館)のお母さんを思い出しました。
先週のブログで名探偵コナンの映画を観たと書きましたが、GW中にNHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」で作者である青山剛昌先生が取り上げられていました。60歳にしてひたむきかつ純粋に創作に向き合う青山先生の姿に夫婦揃って大感動いたしました。一見の価値有りですので未視聴の方はぜひご覧下さい!
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