このブログは読書ブログですので本について書くことが常なのですが、最近金次郎の身の回りに結構大きな変化が有り、その変化が〈本〉という接頭語に関連しておりましたのでちょっとこのワードに注目して書いてみたいと思います。辞書的には①本大会や本議案のように、今この場で現に問題にしている当面のものを表す、②本官は、本大臣といたしましては、のように今発言している主体としての自分を称する際に使う、③本日や本昼のように当日であることを示す、などの意味が有るようです。
この他にも、本格的であることを示す表現にも用いられ、これは造語だと思いますが、食パンで有名なフジパンの本仕込もそういう意図で本という言葉を組み込んで命名されたブランド名になっていると推察されます。伝統的な製法と材料で造られたことを意味する本みりんや、養殖でなく天然のしめじを区別する際に使われる本しめじもこの範疇に入ると思います。ただ、味の素の商品であるほんだしは、旨味調味料がかなり入っているのでかつおぶしやいりこ、昆布から取る一般的なだしより本格度はだいぶ落ちますね(笑)。金次郎の妻は若かりし頃にこの〈ほん〉だしという語感に騙されて天然だしが凝縮したものと誤解し、料理家気取りのどや顔でほんだしを使っていたという切ない過去の持ち主です(涙)。その他にも、原産地のものであることやオリジナルであることを強調するために使われる場合も多く、西洋わさびとの違いを示すために日本原産のものを本わさびと呼ぶのがその好例と思います。若い方は殆どご存知無いでしょうが、新加勢大周に対抗しての本加勢大周もこの分類に一応入れて良いかと思います(笑)。少し雰囲気が違うのが本マグロで、これはキハダマグロやミナミマグロなど多数の種類が存在するマグログループの中でクロマグロだけが本マグロと呼ばれるようで、さすがに黒いダイヤと呼ばれ億の値が付くことも有る高級魚にふさわしい本の使い方だと思います。一方、同じ魚でもカツオについては、一般的なカツオをその他のハガツオやヒラソウダガツオと区別するために本カツオと呼ぶようで微妙に使い方が違って興味深いです。書きながら、この本という接頭語を更に強調する接頭語は何かとふと考えたのですが、どうやらそれは大のようで、大本営とか大本命という感じで使われます(それ以外に全く思いつきませんでしたが)。唐突にこんなことを思いついた背景としては、大・本と来れば本・大で正に本屋大賞の略称を想起させ(笑)、先日滋賀県大津に旅行に行った宿敵Mから成瀬が街のあちこちにいましたよとにこやかに報告された際にまざまざと蘇った順位予想対決敗戦の苦い記憶がストレス刺激となり、金次郎の脳と指を動かしたものと悲しく推察しております(涙)。
さて、本=BOOKの紹介です。「俺たちの箱根駅伝」(池井戸潤著 文藝春秋 上・下)は学連選抜に選ばれたメンバーの箱根に懸ける思いや葛藤を軸にこの日本一有名なスポーツイベントと言っても過言ではない〈東京箱根間往復大学駅伝競走〉を描いた作品であり、テーマ的には堂場先生の感動作「チーム」(堂場瞬一著 実業之日本社)とかなり被ると思いつつ読み進めました。主人公の青葉隼斗は予選での自らのブレーキのせいでチームが本戦出場を逃したにも関わらず、自身は学連選抜として箱根路を走ることとなり、気持ちの整理がつかぬまま選抜の合宿に突入することとなります。一方、指導者経験が無く直前まで商社でビジネスをしていた甲斐が学連選抜の監督となったことから、かねてからの学連選抜不要論に甲斐本人やその起用に対する様々な批判が炎上の燃料を注ぐ形となり、選抜チームは四面楚歌の状態となります。そんな炎上沙汰はどこ吹く風で本選3位以内というチャレンジングな目標を掲げる甲斐に、元々将来目指す方向や箱根に対する考え方がばらばらのチームは動揺しまくってまとまりません。こんな状態から甲斐とキャプテンの隼斗がどのように皆の気持ちを結集し2日間の本戦に臨むのか、なかなかに感動的な展開が用意されていますので、箱根駅伝好きの方は勿論、そうでない方にも充分お楽しみいただけると思います。更にこの本の面白いところは、箱根駅伝を放映するテレビ局の舞台裏をかなりリアルに描いているところだと思います。視聴者が喜ぶバラエティ的な内容にすべきという圧力に抗いながら、伝統有るスポーツ放送の矜持を守り抜こうとする制作陣の試行錯誤と苦闘、淡々とではあるもののパッションを内に秘めてスポーツというものの持つリアリティの力を伝えようとするアナウンサーの仕事へのプライドなど、お仕事小説に不可欠な要素がしっかりと盛り込まれており、読後の満足感が非常に高い作品でした。かつてテレビ局側が初日を終えた後のスタッフの宿を押さえ忘れるという窮地に陥った際に唯一宿泊場所を提供したのが箱根小涌園だったそうです。テレビ局がその厚意への返礼として、200キロを超える箱根路にはタイム差を計測する多数のチェックポイントが設置されているわけですが、その中に唯一の民間施設として小涌園を選び抜群の宣伝効果をエンジョイさせ続けているというのは凄い話だなと思いました。うんちくですみません(笑)。
「わたしはわたしで」(東山彰良著 書肆侃侃房)は、ぼんやりと夢の中にいるようでいて時折くっきりとした現実の痛みを突き付けてくる作風がたまらない金次郎イチ推し作家である東山先生の大変魅力的な短編6編が収められた一冊です。「I love you Debby」は直木賞作である「流」(講談社)の続編で、自分を許せず傷つき続ける主人公父娘が故郷台湾に帰省するところから始まりますが、キーパーソンである叔父さんのキャラが良い点は勿論、とにかくもわもわと立ち上がってくる台湾の市井の雰囲気の魅力に圧倒されます。「ドン・ロドリゴと首なしお化け」では自称元殺し屋と老人介護施設スタッフのやり取りを中心にストーリーが展開しますが、正にノスタルジックでファンタジックな回想の世界とそれを切り裂く鮮やかな現実との対比に衝撃を受ける内容です。「わたしはわたしで」はコロナ禍で仕事もお金も失った主人公が自分の中の劣等感と小説を書くことを結びつける中で、世界の捉え方を変えて少しずつ前を向いていくお話です。他人の人生がどんなに軽やかに見えようとも、アヒルのように水面下では皆必死に足を動かしているであろうことを再認識できてほっとしました。「遡上」では、いじめられ世界に対して悪態をつき続けながらも、自らの矜持と大切なものを守る男の生き様に非常に心を打たれました。嫌な奴にでも感動できるというのは新たな発見でした(笑)。これとは似ていないのですが金次郎の中では何故だか同じ分類なのが「禍」(小田雅久仁著 新潮社)で、「残月記」(双葉社)で本屋大賞にノミネートされた著者による恐ろしくも読まずにはいられない、何とも言えぬ雰囲気の有る短編集です。全作かなり気持ち悪いのですが(笑)、特に本のページを食べて物語を体験することをやめられなくなる男の恐怖を描く「食書」に出てくる〈魔女〉がかなり恐怖でした。「残月記」を読んだ際は気づきませんでしたが、小田先生のメタファーのセンスが素晴らしく、通常は比喩の濫発はご法度であるにも関わらず、本作では何度文中に出てきても食傷気味にならないその軽やかさに驚きました。
金次郎はオリンピック馬術競技の〈初老ジャパン〉という呼称には猛抗議したいところでしたが、まぁご本人たちが納得しておられるということであれば個人の自由と割り切ることといたしました。もし金次郎が60代でオリンピックの代表に選ばれたら〈永遠の中年ジャパン〉と呼んでもらうことにします(笑)。
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