ネタに困った際の英会話頼みというワンパターンで恐縮なのですが、最近パナマに在住しているというアメリカ人講師に複数遭遇し、短時間で太平洋と大西洋の両方を訪れることができるのはパナマだけだと微妙に自慢されましたので、やや気になってパナマについて調べてみました。パナマと聞いて先ず思いつくのは100%パナマ運河でしょうが、水不足で船舶の通行が制限されたり、トランプ大統領が運河の支配権を取り戻そうと画策したりと話題の尽きない交通の要衝です。
二つの大洋を繋ぐ運河なのに水不足とは何事かと疑問に感じてしまいますが、淡水であるガトゥン湖の湖水を運河内に注入し、閘門の開閉を通じて水の階段を作り出し船を移動させる仕組みが取り入れられており、渇水は本当に困った問題のようです。この機構により船はどんどん持ち上げられていくので、最高点の海抜はガトゥン湖と同じ26メートルと海よりだいぶ高いというのに驚かされました。また、スエズ運河を開通させたフランス人レセップスが二匹目のどじょうを狙いパナマ運河の開通にも挑んだものの失敗し、その後アメリカが10年かけて1914年に開通に漕ぎつけ、その権益を1999年末まで保持していたという経緯が、昨今の中国資本のパナマ進出もあいまって対中外交に神経質になっているトランプ発言に繋がっています。コスタリカとコロンビアに挟まれ、北米と南米の結節点にあたるかつてはコロンビアの一部であった現パナマ共和国周辺は人類史上地理的な要衝で有り続け、とても複雑な歴史やそれに伴う民族構成を有する面白い場所であるにも関わらず金次郎を含め日本人にはあまり馴染みが無いことを今回思い知りました。最初はアメリカ同様にユーラシア大陸からベーリング海峡を渡ってきた人々が先住民族として生活していたわけですが、その後新大陸を発見したスペイン人の南米進出の拠点の一つとなる中で、白人やアフリカから奴隷として連れてこられた黒人が加わり民族の多様性が増すこととなりました。更に、大西洋と太平洋を繋ぐのに都合の良い場所として、鉄道の敷設や運河浚渫に対する商業的な需要が高まり、それらインフラを整備する目的で、ジャマイカをはじめとしたカリブ諸国から労働者が強制的に連れてこられそのまま定着したことから、多様性がより深化する結果となったようです。スペイン人到達以降に定着したパナマ人は基本的にスペイン語を母語としていますが、先住民の中には未だに昔ながらの言語を用いて会話する部族もおり、自分たちの王を擁し一定の自治を認められているグナ族、音楽とダンスが特徴的なエンベラ族、先住民族で最も人口の多いンゴベ族に加えワウナン族、ブリブリ族、ナソ族が特に知られているとのことです。英会話講師によると、観光客に寛容な民族もいれば、非常に閉鎖的な人々もいるのだそうで、まだまだ世界にはオープンにされていない秘境が存在するのだなと当たり前の事実を実感いたしました。昭和62年に刊行された「パナマ運河の殺人」(平岩弓枝著 角川書店)の中ではパナマの人口は188万人と記載されていましたが、約40年経過した現在では人口は400万人超に増加し、アメリカを中心に海外からの移住者も増え外数で30万人ぐらいいるようです。比較的安い物価や一年中温暖な気候がリタイア層に人気のようですが、海と山の両方が楽しめる自然環境も魅力の一つだと英会話講師は自慢しておられました。ちなみに、「パナマ運河の殺人」にパナマ運河の場面は全体の1割程度しか出てきませんし、ミステリー、人間ドラマとしての仕上がりも今ひとつの内容でした(笑)。パナマと本の繋がりという意味では、映画化もされた柚月裕子先生の「孤狼の血」(KADOKAWA)の登場人物でヤクザ的刑事である大上が愛用しているトレードマークがパナマ帽で、この麦わら帽子はスエズ運河開通工事に徴用された労働者がかぶっていたためにその名がついたとのことで、パナマではなくエクアドル産なのだそうです。
さて本の紹介です。「耳鼻削ぎの日本史」(清水克行著 文藝春秋)は、日本各地に点在する耳塚や鼻塚の存在に興味を喚起され、日本史における刑罰としての耳削ぎ、鼻削ぎについて行った研究の内容をまとめたもので、第一印象は何ともグロテスクで奇妙な本ですが金次郎の好きな高野秀行先生絶賛ということで気合いで読んでみることにしました。高野先生もまさか耳鼻削ぎだけで一冊の本は書けないだろうと思われていたようですが、金次郎も同様の認識で読み始めたところ一冊まるごと耳鼻削ぎでした(笑)。この耳鼻削ぎというのは、何れも民俗学の大家である柳田國男先生と南方熊楠先生が論争し仲違いをした程のテーマなのだそうで、この本を読み進めるうちにその深淵さが少しずつ分かってきました。租税取り立てを強行する地頭が、納税しない農民の妻女を人質に取り最悪の場合は耳鼻を削ぐぞ、と脅迫した行為を非難する百姓申状が紹介され、地頭はひどい!という展開になるかと思いきや全くそうならないのが面白い(笑)。史料を考証して分かったことは、耳鼻削ぎは中世日本では広く行われていた刑罰で、寧ろ女性や僧侶などに対し死刑は重過ぎるとして処罰をやや軽くする宥免策と見なされていたという事実が明らかとなり、この地頭は当時の価値観に照らすと普通の人だったと常識を覆され呆気に取られました。そんな耳鼻削ぎの意味合いが戦国時代の戦争の広域化と大規模化という大きな変化の中で変容し、戦功を証明する首級持ち帰りの代替策として耳鼻削ぎ行為が行われるようになり、その一つの帰結として秀吉の朝鮮出兵時の日本軍の蛮行に繋がってしまったという歴史には残念としか言いようが有りません。その後耳鼻削ぎの目的は変化を続け、罪を犯したものに対する見せしめ的な意味合いで行われるようになりますが、次第に文化的に遅れた蛮行として忌避されるようになり、幕藩体制下の17世紀末には一部の藩でのみ行われる状態であったそうです。名君とされる藩祖保科正之公以来の伝統を頑なに守った会津藩では、世の中の流れが変わってもかなり長期に耳鼻削ぎを続けていたようで、近隣の藩では耳や鼻が欠けている者を〈会津者〉と呼んで蔑んでいたという皮肉な話が紹介されています。この本が面白いのは、上述のような日本での耳鼻削ぎの歴史をミクロに深掘りした後で、広くユーラシア大陸に分布する同様の習俗や、歴史的に文明化の度合いが高かった中国における刑罰との関係というマクロ視点を導入して比較文化論的な検証が始まるところで、日本の習俗を中国隣接型と辺境型の移り変わりという切り口から理解するアプローチは非常に勉強になりました。補論では耳鼻だけでなく、爪や指の象徴的な意味とそれを切る行為について解説されており興味深いですが、ちょうど最近読んだ直木賞作の「吉原手引草」(松井今朝子著 幻冬舎)にも遊女の指切りとそれにまつわる商売のエピソードが有ったのでタイムリーでした。ちなみにこちらは名妓と謳われた葛城の突然の失踪の謎に迫るインタビュー形式のミステリーで、呼吸するように嘘をつく癖の有る登場人物との油断ならないやり取りの中で人間の本性を鮮やかに描き出した秀作だと思います。
長くなってしまったので最後にごく簡単に。「魂の歌が聞こえるか」(真保裕一著 講談社)は音楽制作会社の若手A&R(アーティスト&レパートリー)の芝原が落ち目のベテランミュージシャンをどうにか売り込もうと苦心する中で、無名バンド「ベイビーバード」と出会い、彼らの才能に惚れ込みスターにすべく奮闘するという音楽業界お仕事小説です。どろどろした大人の事情もたくさん暴露されていて面白いですが、メジャーデビューにも淡々と対応する「ベイビーバード」のメンバーが何を隠しているのかという謎に引き付けられてどんどん読めました。音楽好きの方にもミステリー好きの方にもおすすめの一冊です。
先日、日本語が非常に上手な外国人の方のスピーチを聞く機会が有ったのですが惜しくも「何卒」を「なにそつ」と言っておられ、改めて日本語は難しいと思いました。この話を帰国子女の同僚に共有したところ、ちょうど最近「いたちごっこ」と言いたくて「ねずみごっこ」と言ってしまい恥ずかしい思いをしたとのことでディズニーのようではありますがナイストライと感じました(笑)。
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