うどん文化圏である西日本の中でも、金次郎の故郷である福岡は柔らかい麺にごぼう天やさつま揚げを平たく伸ばしたような丸天を乗せて食べるのが特徴的な博多うどん発祥の地ということもあって、基本的に金次郎は長らくうどん派として生きて参りました。ただ40歳を過ぎ中年化が始まった頃から東京のそばをとても美味しいと感じるようになり、最近ではパスタ派であった妻がグルテンフリーのそばに目覚めたこともあいまって、二人してそばを食べる機会が増えてきております。
先日は2013年に火災で店舗が消失して以来初めてでしたが、江戸三大そばに数えられる老舗であるかんだやぶそばに行ってみました。火災により秘伝のかえしが失われ伝統の味の継承がピンチになったという10年前の根拠の無い噂から何となく足が遠のいておりましたが、いざ行ってみるとお昼の開店30分前からお店の前は大混雑で堂々の名店ぶりであり、特徴の少ししょっぱいつゆもその名に恥じぬ味わい深さで、若い頃には物足りないと感じた少なめのそばも丁度いい量で大満足いたしました。元は団子坂の蔦屋というお店が発祥で、当時その辺りが竹藪であったために通称として「藪そば」と呼ばれるようになったそうです。我々夫婦は赤坂砂場もひいきにしておりますが、こちらはうちの近所の室町砂場の支店という位置づけの店舗なので本店に行く方が便利ではあるのですが、敬愛するイタリアンシェフK子さんが赤坂砂場が一番と仰っているので、長い物には巻かれておこうといつも遠征することにしております(笑)。かえしの味わいが絶品の砂場も江戸三大そばの一角を占めていますが、なんと発祥は大阪なのだそうで、秀吉の大坂城築城の際に砂を置いておいた場所に菓子屋であった和泉屋が砂場和泉屋として開業したのが始まりで、家康が江戸城を立てる際に現在の麹町に出店し江戸進出を果たしたということのようです。その他にも、いぶした風味のそばつゆが癖になる明月庵ぎんざ田中屋や、細くてこしの有る麺を味わい尽くす冷やかけそばが絶品の東銀座の名店蕎麦流石、E美容師のところに行く際にささっとかき込むのに便利なKAWAKAMI-AN TOKYOによく行きますが、やはり近所というメリットも含め三越前の利久庵を最もヘビロテしております。程よい麺のこしに加え、そばの香りとそばつゆの風味のバランスが素晴らしく、サイドで確実に注文したい旨過ぎるかつ煮と合わせ、徒歩圏内にこんないい店が有って本当に幸せだなといつも感謝しながら食べております。
さて本の紹介です。散発的にこのブログで紹介してきましたが、「キューバ紀行」、「バルセローナにて」と並び堀田善衛先生の紀行文三部作の一つに数えられる「インドで考えたこと」(堀田善衛著 岩波書店)は、今から約70年ほど前にインドで開催されたアジア作家協会の大会事務局として日本ペンクラブから現地に派遣された著者が、ビルマ人(当時)、タジキスタン人、中国人等の事務局メンバーと起居を共にし、大会の現場で多くのアジア人と交流しながら、その合間を縫ってインドを旅した中で考えたことをまとめたエッセイです。今でこそグローバルサウスの中心として世界経済をリードする大国となったインドですが、イギリスから独立して間もない当時は未だ前近代の只中というイメージの発展途上ぶりが凄いレベルで、この70年の目を見張る変化に驚かされます。そんな前近代のインドから眺めた日本の近代化について、空虚、不満と不安、外発的で上滑りという漱石の言葉を借りて喝破している著者が、様々な混沌を飲み込みつつ悠々と流れる歴史とそれを基盤とした歴史観に支えられたインドの近代化のポテンシャルを認めざるを得なくなる思考の流れはなかなかに興味深かったです。言うまでもないことですが、極東の外れに位置していることもあり、歴史を直線的に捉えがちで狭い視野から都合の良い未来のヴィジョンを描きがちな日本人的発想でもなく、地中海という内海の周辺に凝り固まった西欧の視点とも一線を画すことを意識して、アジアのへそとしてのインドという視座から広く世界を俯瞰することの重要性をこの本に描かれている様々なエピソードから再認識させられ、その意味では非常に現代的な内容とも言え有用な読書体験となりました。そんなインドの人々から、日本は列強ロシアを倒しながらアジアの側に立つのではなく植民地獲得競争に参入し、太平洋戦争でアメリカと激烈に闘いながらもその後は簡単にアメリカに迎合してその資本主義的価値観の旗振り役を買って出る不可思議な二面性に疑問を呈され思わず考え込んでしまった著者の様子が印象的でした。この本を受けて付けられたタイトルなのだと思いますが、「インドでわしも考えた」(椎名誠著 集英社)は、堀田先生の訪印から約30年が経過した1988年に逆に何も考えず調査せず先入観を持たないというコンセプトでインド一周の旅をした著者の面白紀行文です。椎名先生一流の無手勝流の文体で語られる、この旅唯一の目的であった地上から3メートルも飛び上がるとされるヨガの達人を探し求める珍道中の様子は大変面白く、読みながら何度も声を出して笑ってしまいました。残念ながらと言うか当たり前と言うか(笑)、マドラスのひからびた達人もカルカッタのプロレスラーのような達人も何れも空中浮遊はできませんでしたが(笑)、バラエティに富む色々なヨガ行者がいることが分かり、インドの奥深さの一端を垣間見た思いでした。著者の疑問であった、インド人は毎食カレーを食べているのかという命題の回はイエスで結婚式でも食べているとあり、本場だから旨いというわけではないと正直に感想が述べられています。女性は皆サリーを着ているのかという疑問への答えもイエスで、サリーを着ている女性はどんな階層の人でも美しく見えるとも記述されていました。しかし、「インドで考えたこと」の1957年時点が3.6億人、本書執筆時点の1988年が6.5億人、2023年現在で14億人と凄まじいペースで人口が増え発展するインドの姿には刮目させられますが、「インドで考えたこと」の中で述べられているインド人は50年後の未来を考えて今を生きているという印象的なフレーズが思い起こされ、少なくとも経済的にはそんな巨視的な視点での国造りが奏功しているように感じました。現代を生きるインド人もやっぱり50年後を考えているのだろうかと少し引っ掛かりましたが、言われてみるとインドが掲げるカーボンニュートラル達成目標は約50年後の2070年でした!
金次郎はとても好きな内容でしたが一般ウケしなさそうなので最後に簡単に(笑)。「ロジカ・ドラマチカ」(古野まほろ著 光文社)は40歳前後のキャリア警察官と頭脳明晰で官房長官ご令孫である女子高生がフランス語の個人指導の合間に繰り広げる言葉と論理を巡る頭脳戦を描いた異色ミステリーです。吉祥寺の街中で偶々二人して耳にした通りすがりの人物の電話での短い会話から、その奥に潜む驚くべき真実を暴き出す二人の思考の冴えには、同じく言葉への拘りはそれなりに持っていると自負する金次郎としても脱帽の鋭さでございました。ちなみに、第1章で問題となったフレーズは、「いまかけなおそうか、とどけようか、でものこりはこぜにだけだから、もうゆうびんきょくにかけこむしかないのか」なのですが(笑)、二人の推理はこの文章を読んでの第一印象からかなり遠いところまで読者の皆さんを連れて行ってくれると思うのでご興味有る方は是非ご一読ください。
先日アニメ「ガールズバンドクライ」の紹介でトゲナシトゲアリというバンドについて書きましたが、以下ネットからの引用です(笑)。【「トゲアリトゲナシトゲトゲ」という棘があるのかないのかよく分からない名前で呼ばれる昆虫がいる。もともと棘のある昆虫の「トゲトゲ」が知られていたが、そんな中で棘がない新種が発見された。トゲトゲではあるが、その特徴である棘がないことから「トゲナシトゲトゲ」と名付けられた。その後、さらにトゲナシトゲトゲの新種が発見された。その新種はお尻の部分にだけ棘があり、新たに言葉を追加して「トゲアリトゲナシトゲトゲ」と名付けられた。】笑えます。
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