金次郎、「うっせぇわ」を聞き、「ロッキード」を読む

最近、異常に耳に残ってしまい、どうしても頭の中から消せないメロディが有ったので、調べてみると、それはAdoさんという高校生シンガーの「うっせぇわ」という曲でした。どうやら、親として子供に覚えて歌って欲しくない曲ナンバーワンということのようで興味が湧いたので歌詞をじっくり読み、YouTubeを観てみたりもしました。

まず何より臆病な金次郎としては、これまで48年間積み重ねてきたもの全てを否定されてしまう勢いの「はぁ?」のところでびびってしまい、序盤でかなり押し込まれている感じになります。そして、会話でのテクニックと思って常用しているパロディ的なネタについても、二番煎じ言い換え、もう見飽きたわ、と一蹴されてしまい、昔の面白話の思い出を語る技も、何回聞かせるんだそのメモリー、嗚呼つまらねぇ、と完全否定され、心を叩き折られた気分になりました。

うちには子供はいませんが、確かに、親:「手を洗いなさい」子:「うっせぇわ」、親:「宿題しなさい」子:「うっせぇわ」、親:「スマホの見過ぎ気を付けなさい」子:「うっせぇうっせぇうっせぇわ」とあの曲の節で言われる場面を想像するだけでぞっとします。世のお父さんお母さん、ご愁傷さまです。

ただ、親子ほども年の離れた若手社員と一緒に働く機会も増えているわけで、言葉遣いが悪いとか、良識が無い、などのそれこそAdoさんから言葉の銃口を突き付けられてしまうこと間違い無しの頭ごなしの説教はできるだけ封印して、入社当時に抱いていた因習、慣習やしきたりへの反骨心をどうにか思い出して、無意味に惰性でやっている仕事を押し付けて「クソ、だりぃな」と言われぬよう、本質を外さず時代に沿ったメッセージを伝えることで、極力円滑に仕事を進められるよう努力してみたいと思います。サラリーマンつらい。

さて、この時点で既にうっせぇのですが(笑)、「うっせぇな」と響きが少しだけ似ている「ロッキード」(真山仁著 文芸春秋)を読んでみました。以前このブログでも書いたように、故田中角栄元首相とロッキード事件には興味があり、そのテーマを「ハゲタカ」シリーズで大ヒットした真山先生が初ノンフィクション作品として手掛けられたと聞いてはもう我慢できず、早速購入したものです。

これまで何度も検証が重ねられてきた事件ということもあり、また金次郎自身が、この事件の定説について正しく理解できていないのも手伝って、正直どの部分が新たな論点、解釈なのかを明確に認識できたわけではないのですが、これが面白い本でお薦めであることは間違いありません。

詳細については是非中身をお読み頂きたいところですが、現金受け渡しのやり方や場所の不自然さ、全日空ルートの金額と目的の中途半端さ、そもそも総理大臣には機体選定の決定権が有ったのかという根本的な問題、など挙げだすと辻褄の合わぬ点はどんどん出てきます。

本書はそのような数ある不整合の中でも、とりわけ児玉ルートの資金使途が不明である点に着目し、かなりリアリティの有る陰謀シナリオを終盤で提示する構成になっていて、最後まで読み通すと、ヘンリー・キッシンジャーの策謀やリチャード・ニクソンの色濃い影の部分が浮かび上がってくると同時に、この本のタイトルが「ロッキード」とされた理由がお分かり頂けると思います。

また、田原総一朗説である、日中外交正常化、本邦エネルギー政策でアメリカの虎の尾を踏んだことの報復という背景解釈に対する、そもそもアメリカ政府はしぶしぶながらも日中外交交渉には容認の立場であったし、依然として植民地扱いの日本の元首相にアメリカがこんな面倒なやり方で圧力をかけるのは不自然という反論は説得力が有ります。

ロッキードの本丸は民間旅客機のトライスターではなく、より利幅の大きな軍用機P3Cであったことと、日本国内での軍用機国産派と輸入派の対立構造、それに絡んでの〈藪枯らし〉故中曽根康弘元首相の風見鶏的変節など、児玉誉志夫CIA工作員説と共に読み物としても興味深いです。更に、本件に関する世論の沸騰ぶりも描かれますが、政治に対しての凄まじいエネルギーが、当時も今も同じような危機の只中にあるにも関わらず、現代社会からはいまひとつ感じられない点が自戒も込め淋しいところではあります。

前回のブログにも書きました「闇の自己啓発」(江永泉ほか著 早川書房)の課題図書①である「ダークウェブ アンダーグラウンド」(木澤佐登志著 イースト・プレス)は情報量が多く内容も濃いので一読しただけでは消化しきれませんが、ディープウェブやダークウェブの基礎知識や、日本と海外でのインターネットの基礎をなす哲学の相違など知的好奇心を満足させてくれる刺激的な本でした。さすがの課題図書選定です。

何やら恐ろしい犯罪の温床というのが日本におけるダークウェブの印象だと思いますが、本来はその高い匿名性から〈自由〉を担保する空間としてジャーナリストや市民運動家を擁護するべくデザインされているという真逆の事実を知り驚くと同時に無知を恥じました。

日本ではサイバーカスケードやフェイクニュースの蔓延などネットのネガティブな部分が喧伝される傾向にありますが、自由や独立といった思想が社会に根付いていないことがその背景に有るというのはその通りだと思いますし、デジタルリテラシーを高める必要が有ると同時に自分がネット社会にどう向き合うかを定める軸としての思想や主義信条のupdateが求められていると痛感し、まさに自己啓発されました(笑)。本編での議論を読むのが楽しみです。

課題図書②は「幸福な監視国家・中国」(梶谷懐・高口康太著 NHK出版)です。この本は、とかくジョージ・オーウェルの「1984年」的ディストピアとして嫌悪の対象となりがちな中国監視社会の検証を切り口に、功利主義とテクノロジーの相性の良さ、急激に進歩したテクノロジーが容易に引き起こし得る〈道具の暴走〉などについて論じ、中国で起きていることは世界中どこでも起き得る問題と警鐘を鳴らす内容となっています。

そもそも中国では監視カメラや社会信用スコアなどを通じた監視が好意的に受け入れられていて、寧ろオルダス・ハクスリーの「すばらしき新世界」的な状態であるという点は、AIを基盤とするアーキテクチャの道具としての合理性とその威力を実証していて非常に怖いと感じます。

中国と同様に、西洋に見られるような宗教的社会基盤を持たない日本でも、監視を規制する道徳的な枠組みとしての市民社会が未成熟であり、テクノロジーという道具が暴走した結果として現在ウイグルで起きているような行き過ぎた監視、管理が知らぬ間に社会に蔓延するような未来も否定できず、具体的に何をどうすればいいのかは分からないものの、そういうリスクが存在していることは認識しておかねばと強く思いました。しかし、AIによる判断のネイチャーであるブラックボックス性をどういう基準でどうコントロールするのか、できるのか、大きな課題だと思います。

そろそろ本屋大賞予想対決まで1か月、全作品を改めて読み直そうと思っています。Mも海外在住で書籍入手に苦心しながら既にほぼ全作読了しているようで例年以上のやる気を感じます。

投稿者: 金次郎

読書が趣味の50代会社員です。

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