金次郎の住んでいる人形町(正式には日本橋人形町)は周辺の町と共に旧日本橋区に属し、江戸時代から繁華街としてにぎわっていた地域です。慢性的なネタ不足状態がどんどん深刻化する中、これをブログに書かない手は無いと思い立ち、日本橋区史という様々な小説の情報源になっている由緒正しい資料を紐解いてみたところこれが存外面白く、ついつい読みふけっていたらあっという間に時間が経過してしまっていて呆然としております(笑)。江戸の花街として最も有名なのは遊郭の吉原だと思いますが、なんと吉原遊郭は明暦の大火で焼失してしまうまでは現在人形町となっている地域に有ったものが大火後浅草に移転し、今に至っているとのことでした。
今では全くその痕跡は見当たりませんが、火事は江戸町民の大敵であり、その跡地は縁起が悪いということで、かつて吉原であった地域には高砂町のようなめでたい名前が付けられたそうで、いわば消された記憶となっていて面白いと思います。そんな吉原は元は葦原と表記されていたそうで、人形町の南の茅場町や東の蛎殻町という地名からもかつては葦が生い茂る海辺の沼沢地であったところを埋め立てて活用してきた地域であることが分かります。人形町の由来はそれらの町とは少し異なっていて、里俗(りぞく)と呼ばれるその土地に因んだ通称が元になった地名です。江戸初期に大坂商人が住み着いたとされる旧堺町に同じ頃〈中村座〉という芝居小屋ができ、ここでの人形浄瑠璃や操り人形が評判となったことから、周辺に人形職人をはじめとした関連産業が集積し、この一帯を元々の町名とは別に人形町と呼ぶようになったようです。そんな通称が昭和の初めに正式な地名となり金次郎家の住所となっているというのはなかなか趣深いものを感じます。人形町の北にあたるのが浜町ですが、江戸時代には武家屋敷が立ち並んでいた地域だったようで、お武家関連に加え、山伏の井戸跡や国学の祖である賀茂真淵住居跡など名所旧跡には事欠きません。また花柳界の賑わいを見せた街でもありますが、明治期には浜町2丁目の細川邸近辺で、待合(芸妓を呼んで食事をする場所)酔月楼の女将花井お梅が雇用人八杉峯三郎を刺殺するという当時の新聞紙上を騒がせた〈花井お梅の峯吉殺し〉なる事件も発生しています。そして、浜町といえば何と言っても明治座ですが、喜昇座→久松座→千歳座と劇場が名前を変えながら盛衰を繰り返していたこの地に、市川左團次が歌舞伎座から独立し明治26年に明治座を開業し現在まで130年に亘り営業を続けており歴史を感じます(喜昇座から数えると150年)。人形町のすぐ南に位置する小網町は今では東京でも有数のパワースポットとして有名な小網神社で知られるだけの、ひっそりとした小さな区画ですが、江戸期には隅田川の水運に目を付けた商人達の活気で賑わう経済の要衝であったようです。下総の行徳との交通や通商の要であったことに加え、大坂や奥州と江戸とをそれぞれ結ぶ海運の結節点でもあったようで、奥州からの船積み問屋全36軒のうち20軒までが小網町に有ったというのは驚きです。歴史も古くうちの近所の鎧橋近辺には明治初期まで橋が無く鎧が淵と呼ばれていたそうですが、ここは11世紀に源氏の棟梁である源八幡太郎義家が下総に渡るため鎧を沈めて暴風が治まるよう水神に祈ったとの言い伝えに由来するとのことでなかなか由緒正しい土地柄で興味深いところです。
さて本の紹介に参ります。「窓から逃げた100歳老人」(ヨナス・ヨナソン著 西村書店)は自分の100歳の誕生パーティーに出たくないと、誕生日当日に老人ホームから逃げ出した主人公アランの現代における珍道中と彼のこれまでの人生が交互に描かれる構成になっているコメディー小説です。ただの耄碌した爺さんかと思いきや、実は歴史の要所要所で世界の主要人物と出会い、気づかぬうちに歴史を動かした凄い人物であったことが次第に明らかとなっていくのでどんどんストーリーにのめり込んでしまいます。例えば、ダイナマイト職人であったアランが何となく流れ着いたアメリカで原爆の技術開発に一役買ってしまったり、トルーマン大統領とテキーラを酌み交わす仲になっていたり、毛沢東夫人の江青を助けて毛沢東に気に入られたり、北朝鮮で幼少期の金正日をだっこしたり、果てはスパイとしてソ連に潜入したりとおとぼけキャラのまま世界を股にかけて大活躍するから笑えます。現代でも、偶然大金が入ったスーツケースを手に入れてしまったために悪人グループはおろか警察からも追われる身となったアランが、行く先々で出会う癖の有る人々と交流しながらするすると難局を切り抜けていく様子が面白可笑しく描かれています。常に政治と宗教を遠ざけ、どんな時でも淡々として怒らず、ぶれずに何とかなるさの姿勢で問題を解決していくアランの姿は清々しく、結果として愛すべき100歳老人ができあがる展開に憧れすら感じます(笑)。先のことを考えすぎてくよくよするのではなく、問題は起こってから対処する、という発想の方が精神衛生的には健全なのだろうなと反省もいたしました。しかし、そんなアランの生き様がどうしても「雨ニモマケズ」と重なってしまい著者は宮沢賢治を読んだのだろうかとちょっと気になりました。同じ著者による「華麗な復讐株式会社」(同)もハチャメチャブラックコメディーとなっており、にやりとしながら読書されたい方には大変おすすめです。(倫理的にやや微妙な部分も有るのでそういうものが気になって耐えられないという方にはおすすめしません。)黒人差別主義者で右翼(というか過激な半左翼)でとにかく悪党のヴィクトル・アルデルヘイムは、長年周到に準備してきた計画を実行し師匠の死に乗じてその令嬢イェンニから全てを奪ったのみならず、養育を迫られた自分の息子ケビンを色が黒いという理由でアフリカのサバンナに置き去りにするという非道を働きます。そんな被害者二人がひょんなことから復讐ビジネスを生業とするスィートスィート・リベンジ株式会社を経営するフーゴに復讐を依頼し、そこにケビンをサバンナで養育した養父の呪術医が絡んできて事態をひっかきまわし、物語はどんどん意味不明の展開となってカオス感が加速していきます。貨幣の概念を持たず、全ての価値を家畜である牛の頭数で評価しようとするこの養父はマイナス15度のスウェーデンにサバンナの超薄着かつサンダル履きで右手に棍棒を持って現れますが、とにかく彼の言動の噛み合わなさが我々が当然と思っている世界の価値観を揺るがしてくれる感覚は非常に新鮮な刺激でした。念のため、自分の笑いが差別的な表現によって惹起されたものでないか注意しながら読み進めましたが、純粋に〈価値観の不整合〉が面白く、そこに揶揄のニュアンスは入り込んでいなかったので大丈夫かなとは思いますが、人の命がやや軽めに扱われている点は若干気にはなりました。
最後に短く一冊。「笑うマトリョーシカ」(早見和真著 文藝春秋)は若くして官房長官となった将来を嘱望される政治家である清家と高校時代から彼を支える有能な秘書の鈴木を中心とした友情物語かと思いきや、小説のモチーフになることが多いマトリョーシカさながらに様々な違った一面を見せる清家の本質という謎を追求するサスペンスとなっております。人間関係は操る側と操られる側、利用する側とされる側のような殺伐としたものだけではないと信じたい一方、草彅くんのドラマ「罠の戦争」を観ていると政治家はやっぱりそんな感じなのかと変に納得したりもしております。
文中にも出てきた蛎殻町を南北に貫く新大橋通りで東京マラソンに出場した友人の応援をしていたところ、妻が猫ひろし見たんだけど!と興奮しながら言っておりました。Twitterにも猫ひろし目撃情報が多数寄せられていたようですが、給水場でニャー!とファンサービスをしながら水を取りつつもPBだったそうですごいです。
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