金次郎、中学時代の恐怖体験を思い出す(後編)

前回のブログでは中学時代に情けないえせ半端ヤンキーであった金次郎が何の罪も無い真面目な友人T君を巻き添えにしながらチンピラ2名が運転する怪しげな改造車に乗せられたところまで書きました。続きが気になるとの感想を複数いただきありがたい限りです。この事件を思い出そうとしたことで、かなり喪失してしまったと思っていた中学時代の記憶が若干甦り、体育祭のクラス対抗リレーのメンバーであったT君が直前に腕を骨折してしまったにも関わらず、金次郎チームのアンカーは君しかいないとギブスをしたまま走ってもらったことを思い出し、T君には迷惑を掛けっぱなしであったと改めて申し訳ない気分でいっぱいになりました。さて、お待ちかねの拉致事件です(笑)。

車に乗せられた金次郎は混乱から正常な判断力を失ってしまい、「これ、誘拐じゃないですよね?」と尋ねるという愚行を犯し、助手席のチンピラAから「殺すぞ。」と一喝され、バイクの事故で亡くなった某先輩宅へのナビを指示されただけであったにも関わらず、恐怖による過度なストレスのためか記憶が不明瞭となり、覚えていた筈の目的地までの道順が突然分からなくなってしまいました。そんな金次郎がそこの角をたぶん右だったと思います的な曖昧な説明を何度かしてしまったところ、ハンドルを握っていたチンピラBから「道間違ったらどうなるか分かっとるやろうな。」と脅され、緊張は極限状態となり、小指が無くなったら音楽の授業でリコーダーを吹くのが難しくなってしまうなぁと変に冷静に考えている自分がいたのを思い出しました。当然隣にいた筈のT君のことは1ミリも記憶に有りません(汗)。そんな中、悪いことに道路が激しく渋滞してしまいチンピラABのイライラは高まり車内の雰囲気はどんどん殺気を帯びたものになっていきました。そして事態は更に恐ろしい方向へと進んでいきます。なんとチンピラBは事も有ろうに慣れた手つきでハンドルを有り得ない方向に切り、反対車線に飛び出して、対向車がいないのをいいことに猛スピードで爆走するではありませんか!正面衝突のリスクに怯え息絶え絶えになった金次郎の、「次の角を左に曲がってください!お願いします!」という悲痛な叫びがチンピラBの心に届き、車は角のところでようやくキキーと急停止いたしました。ほっとしたのも束の間、チンピラAが窓を開け渋滞している車に向かって道を空けろと手振りで指示というか強要し、堅気の方々の努力によりどうにか車一台分のスペースが作られるまでの間チンピラBがクラクションを鳴らし続けるというカオス状態が続き、50年の人生でいたたまれない瞬間トップ3に入る永遠とも思える時間を過ごすこととなりました。そんな修羅場をくぐり抜け、どうにか某先輩宅に到着することができ、これでようやくお役御免で開放されると泣きそうになるほど嬉しくなった金次郎とT君でしたが物語はここで終わりません。何故だかチンピラAが突然まともな常識人となり、「お前らの先輩やろ。線香の一本でもあげていかんか。」と二人に更なる試練を与えるではありませんか。お亡くなりになった先輩と金次郎とは言葉を交わしたことも無く、全く知り合いと呼べるような関係ではありませんでしたし、絶対に僕は無関係だと恐怖で言葉を失いつつ涙目で訴えるT君が哀れではありましたが、拉致も逆走もするが線香もあげて筋は通すという意味不明なチンピラの美学に逆らうこともできず、金次郎とT君はチンピラの遥かに上を行く怖そうな人々十数人に見つめられながら、なんならお参りご苦労様ですと頭を下げられたりもしつつ、震える手で線香に点火し無事手を合わせお役目を終えることができました。今にして思えばチンピラさんもそこまでの悪漢というわけでもなかったのだろうと理解できますが、当時の二人にとっては地獄からの使者以外の何者にも見えず、本当に怖かった思い出です。

長い前置きで力尽きた感は否めませんが、本題である本の紹介もしておきます。直木賞作である「地図と拳」(小川哲著 集英社)は日露戦争前夜から第二次大戦までの半世紀に亘って繰り広げられた、満州を巡る日中露の攻防を描いた歴史大河小説です。単行本で600ページ超とひるまずにはいられないボリュームをものともしない抜群のreadabilityを支えているのは、何と言っても厖大な参考文献からもうかがえる緻密な歴史考証に裏打ちされた非常に高いレベルのリアリティだと思います。その時代の空気感のイメージや社会の要請にぴったりとフィットする魅力的な登場人物達の存在があまりにも必然と感じられ、本作がフィクションであり登場人物の大部分が架空であるということを何度も忘却させられる小川先生の筆力には完全に脱帽させられました。タイトルにある地図と拳というのは、国家と戦争のメタファだと思いますが、それらについての耳障りの良い理想や机上の理論がどれだけ醜悪かつ蒙昧な人間本質の現実と乖離しているかを生々しく突き付けられた読者は、現在も続くウクライナ侵攻の先行きに絶望してしまうかもしれません。ただ、人間はあまりにも愚かであり、思考停止から明白な誤りであるにも関わらずそれを修正することができずに、戦争のような愚行を繰り返す存在であるからこそ、逆に作中で細川が拘ったように我々もがむしゃらにしがみついて放さない信念を持つことを忘れてはいけないのだろうと改めて思いました。サブテーマとして建築が取り上げられていることもストーリーに深みを与える効果を上げていると思いますが、建築とは空間のみならず時間すなわち歴史を表現しているというのは正にその通りと気づかされ、建築は苦手分野でもあったのでこれを機に今後この方面についても勉強しようとモチベーションまで挙げてもらい素晴らしい読書体験となりました。

鉄は熱いうちに打てということで「建築から世界史を読む方法」(祝田秀全著 河出書房新社)を読んでみました。序盤のパルテノン神殿のところですっかり忘れていたドーリア式、イオニア式、コリント式といった柱の様式(オーダー)を思い出すところから始まるという長い道のりではありましたが(笑)、内容は大変興味深いものでした。ローマ時代の公会堂(バシリカ)とアーチを立体的に組み合わせて造形したドームを合体させて教会建築としたビザンツ様式では、ドームの構造がもたらす音響効果によって荘厳な神への祈りの空間という意味合いを強調したと解説されており、世界史の授業でもそういう説明をして欲しかったと心から思いました。ローマ風建築を目指したものの当時のヨーロッパでは技術が足りず、ドームを組み込むには壁を厚くして上部構造の荷重を支えるしかなく、結果として小さな窓しか持ち得なかったロマネスク様式や、そのロマネスク様式の構造上の課題をフライング・バットレス(建物を外部から支える梁)とアーチの骨組みを組み合わせたリブ・ヴォールドの仕組みで乗り越えたゴシック様式についてなど、建築技術の発展経緯と、その発展を要求した歴史の流れが端的に説明されているこの本は大変ためになる良書だと思います。その他にも、黒死病の蔓延が誰も救えない教会の威信を低下させた結果として宗教改革が生じ、これに対抗しようとしたカトリック側が反宗教改革を盛り上げる権威の象徴として歪曲されデフォルメされた空間を強調するバロック様式を生み出したという解説は頭に残り易いと感動いたしました。パイプオルガンで奏される音の響きもバロック特有の歪みを表現しているのだそうです。

先日夫婦で歩いていた時にEVがいつの間にか背後に迫っていて、静かすぎて危ないという話をしていた際に、EVにひかれたらビリビリしびれるらしいよと妻に言ってみたところ、目を見開いて怖がっておりました(笑)。うちの妻は詐欺などに引っかからないかとても心配です。


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投稿者: 金次郎

読書が趣味の50代会社員です。

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