金次郎、無趣味と思いきや意外と多趣味なことに気付く

読書をヘビーな趣味としている金次郎はなかなか他の趣味に手が出せずコロナで趣味と呼べそうなカラオケのハードルが上がった昨今では、テレビドラマやアニメ観賞、美味しい食事やスイーツ食べ歩きを軽めに楽しむというシンプルな暮らしをしております。いずれの活動もオタクの域には到底及ばず空き時間にちょこちょこやっているレベルですが、その程度の力の入れ方でも趣味認定できるなら、そういえばかれこれ30年ほど地味に競馬を楽しんでいることに改めて気づきました。1991年の上京当時は正に第二次競馬ブーム真っ盛りの頃で、スターホースのオグリキャップと武豊のコンビが第35回有馬記念を〈奇跡の復活劇〉で制した直後ということもあって、東京の流行には全く疎い福岡のおばちゃんであった母親から、東京では競馬の話ができないと話題についていけないらしいから勉強しなさい、と謎のアドバイスを何度もされたことを思い出しました。少し前のブログに登場したゼミ仲間のS君と勉強そっちのけで馬の話をしたことや、やや荒んでいた(笑)若手社会人時代に週末の度に朝から晩まで水道橋の馬券売り場や中山競馬場に入りびたっていたことが懐かしく思い出されます。下手の横好きレベルで馬券はあまり当たらないのに何がそんなに楽しいのかを考えてみると、与えられた膨大なデータを読み込んで自分なりに解釈し、それに多数の変動要因を重みづけしながら加味して仮説を作った上で、そこから導き出される予想と、世の中一般の予想を代表しているオッズとのギャップを機会と捉えてそのギャップに賭けるリスク・リターンが妥当かどうかを判断する、というプロセスそのものが好きなようです(笑)。こうして書き並べてみると、ビジネスにおける思考プロセスと非常に似通っている部分が有り、仕事が趣味を侵食しているのか、はたまた昔からの趣味である競馬が金次郎のビジネス思考の基盤となっているのか(不謹慎)微妙ですが、やっぱりあれこれと考え思いを巡らせるのは楽しく、楽しんでいるという意味では、色々と考えなくてはならないことが多く面倒な仕事も趣味的な活動の一つと言えるのかもしれず(?)、意外と多趣味な金次郎でした(笑)。ちなみに金次郎が重要視している競馬のデータは、それぞれの馬がどのぐらい強い相手とどういう勝負を過去にしているか、負けたレースに明確な敗因は有るか(道悪、出遅れなど)、斤量(=馬が背負う重さで騎手の体重も含む)において目立った有利不利は無いか、馬の能力の絶対値を示す過去レースでの走破タイム実績、競馬場との相性(右回り、左回り、最後の直線が長いなど)、などでしょうか。その他にも、体重の増減、調教の様子や厩舎情報から判断する調子の良し悪し、想定されるレース展開と脚質の相性、馬の血統的背景(これ好きな人多い)などなど考慮すべき要素は無限に有りますので、全てのデータを集めることも、ましてや予想を〈的中〉させることは絶対にできません(笑)。また、確率的にも胴元であるJRA様に3割を上納した後に残額を当たった人で分け合う仕組みですので期待値は低く、理論的には馬券を買い続ける程損をする構造になっており、金次郎も30年に亘る競馬人生でそれなりのマイナスを被っておりますが、それを代償としてたくさんの変動要素を含む事象をまかりなりにも腰を据えて分析する訓練を積むことができ、あらゆる情報が反映され市場メカニズムが働いた結果であるマーケット(競馬の場合はオッズ)に対し、自分の予想が正しく市場参加者は間違っているといった類の傲慢さを排して謙虚かつニュートラルに向き合えるようになったということで差し引きプラスと考えたいと思います。どんなことでも長年やっていると何某か役に立つものですね。

さて、前段がかなり長くなってしまいましたが(これでも相当削りました)、本題の本の紹介です。「蒼穹の昴」(浅田次郎著 講談社 )は中国の清朝末期を舞台に繰り広げられる西太后派と光緒帝派との政争や、清朝が西洋列強に日本を加えた外圧への対応に苦心する様子を描いた歴史小説です。物語は自ら宦官となり西太后に使える李春雲と、難関とされる科挙にトップ合格し光緒帝の改革を支える官僚となった梁文秀という運命のいたずらで敵味方に分かれる義兄弟を軸に展開していきますが、守旧派である筈の春雲が従うべき天命に必死に抗い、逆に改革派である文秀が天命を受けた皇帝に尽くすというねじれた構造になっていることが、それぞれの葛藤を深めストーリーに味わいを加えていると感じました。また、一般的な歴史認識では権力に執着し国家財政を私物化した残虐非道な悪女とされる西太后慈禧が実は周囲の皇族が頼りないが故に清朝を守るべくやりたくもない政治に取り組まざるを得なかったとの設定となっており、「当時清朝宮廷に男は西太后しかいなかった」という外交官コメントにも結構リアリティが有ってなかなか興味深いです。この機会に「西太后秘録 近代中国の創始者」(ユン・チアン著 講談社 )を再読してみましたが、強まる外圧に対抗するために義和団に頼ってしまった失政はさておいても、西太后は細やかな気遣いもできる辣腕政治家との評価で、20世紀に入った統治終盤では議会制度を取り入れた立憲君主制を導入しようとする程の開明的人物との歴史認識が提示されており、初読の際に意外で驚いたことを思い出しました。忘れていたのが悲しいですが(涙)。一方、「蒼穹の~」では日清戦争後の下関会議全権として伊藤博文公と渡り合った教科書でもお馴染みの李鴻章が、文武に秀で海外からも尊敬を集めるスーパーマンであり、かつ非常にロマンチックな人物として描写されているのに対し、「西太后~」では主体性の無い典型的な官僚として登場していて違いが結構面白いです。袁世凱はどちらの作品にも狡猾な小物として描かれていて歴史認識通りでした。「蒼穹の~」は続編のシリーズ作品が有るようなので、こちらも読まねばです。

「此の世の果ての殺人」(荒木あかね著 講談社)は満場一致で江戸川乱歩賞を受賞したミステリーの秀作です。小惑星テロスが間もなく地球に、しかも日本の熊本付近に衝突すると発表され全世界が大混乱に陥る中で、大宰府在住(懐かしい)の主人公小春が、勿論誰も免許など交付してくれないにも関わらず、自動車教習所に通い元刑事の変人教官イサガワに淡々と真面目に運転の指導を受けている状況が非現実シチュエーションの中での更に有り得なさそうな行動という一周回った不思議な感覚でいきなり物語に引き込まれました。その後二人は大多数の人が希望を失くして荒んでしまった世界で、連続殺人事件の謎を追うことになるのですが、どうせもうすぐ皆死んでしまう世界で何故敢えて殺人を犯さねばならないのか、何故その殺人を更にわざわざ捜査しなければならないのか、登場人物それぞれの動機が非現実的な世界で巧い具合に説得力を持って成立しているところが絶妙だなと感じました。

以前ドラマでの清原果耶さん演じる城塚翡翠がイメージと違うとこのブログで書きましたが、続けて観ているうちにイラっとさせる彼女のおとぼけキャラがクセになりつつあります。脇を固める小芝風花さんの演技が意外といい味を出していてこちらも気に入っております。


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投稿者: 金次郎

読書が趣味の50代会社員です。

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