金次郎、ギャンブル依存症の研究に失敗

金次郎は巨額の違法スポーツ賭博により世間を騒がせている水原一平容疑者について細かく状況をフォローしているわけではないのですが、ギャンブル依存症のことを知るにはこの本が好適という評判にて、「熔ける 大王製紙前会長井川意高の懺悔録」(井川意高著 幻冬舎)と「熔ける 再び そして会社も失った」(同)を読んでみました。二代目となる父親からの厳しい叱咤を受けつつ学歴的にはエリートコースを歩み、家業である大王製紙に入社後も与えられた課題をクリアしながら実績も残し、若くして社長、会長と上り詰める様が企業小説的に描かれている部分も有り、徹頭徹尾ギャンブル関連のヒリヒリする内容を想定して読み始めたのでそこはポジティブなサプライズでした。

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着せ替えかかしの金次郎、ファッションを語る

金次郎はセンスが無い上に忍耐力が弱いせっかち野郎でもあり、それらを必要とする私服の買い物が絶望的に苦手です。よって会社のドレスコードは限りなくカジュアルになっているのに、きちんとした人のふりをしながら基本的に毎日スーツで出勤し、オフィスでやや浮いてしまっております(涙)。ただ、そんなに頻繁に外出するわけでもないので、スーツはほぼ季節無関係にスリーシーズンのものをローテーションさせていて、人間ドックの恨みを原動力に頑張って体型を維持していることもあり、2パンツにして購入したスーツは5年ぐらいは着続けられます。そして、5年着用の前提で計算すると、少し値の張るスーツを買っても、シーズン毎に流行の様子に怯えながら大嫌いな買い物に行って私服を調達しなければならないカジュアル中心の着回しと比較して、コスパ的にもタイパ的にもかなりメリットが出ていると信じこのスタイルを定年まで貫こうと決意しております。

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金次郎の妻、ケーキ崩壊の中心でケーキ崩壊を叫ぶ

少しご挨拶が遅くなってしまいましたが、あけましておめでとうございます。本年も頑張ってこのブログを書き続けていこうと思いますので応援いただけますと幸いです。一応読書ブログを謳っていることもあり、年初にあたり2023年の読書結果からご紹介したいと思います。2020年の読了数が374冊、2021年は392冊、2022年は379冊であったのに対し、昨年は375冊を読み切り、どうにかこれまでのペースを維持することができました。振り返ると月30~32冊のペースで平均的に読めており、すっかり読書が生活の一部として定着した感覚が有ります。とは言え、あまり読了冊数に拘り過ぎてしまうと、少しでも時間が空いたら本を読まなくてはならないという強迫観念に襲われ、ボーっとする時間が全く取れず心が休まりませんので(涙)、今年は緩めに350冊ぐらいを目標に中身の濃い読書をしていければと思います。でも早速年末に引き続いて三が日も読書にどっぷり浸かった生活となってしまいいきなり反省しているところです。

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金次郎夫婦、ジプシーの果てに名歯科医に辿り着く

一説にはコンビニより多いとされる歯科医院ですが、治療の良し悪しについて信頼できる情報がネットも含め非常に乏しく、いったん歯科医難民になってしまうと星の数ほどの歯科医の中から腕の良い先生を見つけねばならないという果てしない苦行を強いられることとなってしまいます。金次郎の妻は、痛みに耐えきれず直ぐ診てもらえるという理由だけでかなり外れが多いとされるフリーランス歯科医が集う近所の歯科医院にかかってしまい、不充分な治療を繰り返され、痛みの症状についてもきちんと話を聞いてもらえず、結果として症状が悪化するというひどいことになりました。

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金次郎とオードリー春日、一文字違えば大違いを身をもって体験

先日オードリーの春日が台湾ロケでの撮影時に、テンションが上がりまくって街で人と行き会うたびに持ちギャグである「トゥース」を連呼していたところ、スタッフからそれはやめた方が良いと助言されたそうです。何故そんな存在全否定のようなことを言われるのかと憤ったものの、「トゥース」は現地の言葉で「血ヘドを吐いて死ぬ」という意味になるのだとの説明を聞き、さすがにまずいと必殺のギャグを封印することになったとのニュースが有りました。どうしても気分が盛り上がった場合は、ややキレが無くなるデメリットは有るものの「トゥースー」にすれば言ってもいいらしく、こちらは「食パン」という無害過ぎる意味になるのだそうです(笑)。少し前ですが金次郎も微妙な言葉の違いに起因する想定外の事態に直面しましたのでそのエピソードについて紹介してみたいと思います。

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チーム金次郎、肉の最高峰である金竜山に登る(後編)

先週は本邦最高峰の焼肉を食べ始める直前までの記載となりお腹を空かせた読者の皆さんには大変申し訳ございませんでした。いよいよ以下にてめくるめくお肉の世界について、まだまだ鮮明で溢れかえっている記憶の中から特上のエッセンスを何とか整理して書いていこうと思います。いきなり最初から度肝を抜かれたのが、真っ先に出てきた特製塩タンで、お皿に盛られたその美しい佇まいにまずびっくり、そしてその大きさや肉厚さに二度びっくりで、焼きあがった後には想像を絶するぷりぷりした食感とその柔らかさ、そしてお肉と肉汁の豊潤な旨味が溢れお塩の風味と溶け合って何とも言えぬ感動をもたらすその味わいに三度目の衝撃を受け打ちのめされました。

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チーム金次郎、肉の最高峰である金竜山に登る(前編)

先週末は人生でも指折りの貴重な体験をしてまいりました。いつもこのブログに登場いただいている人間国宝級の寿司職人M男さん(大将)と飽くなき味の探究者であるイタリアンシェフのK子さん(シェフ)ご夫妻に声を掛けていただき、日本焼肉界の最高峰とされ予約の取れない名店として知られる白金の金竜山を訪問するという僥倖に恵まれました。常連さんが必ず次回の予約を取って帰るというエコシステムの中で運営されているために、その常連サークルの方と知り合いになって連れて行ってもらう狭き門をくぐらないと辿り着けないお店であり、今回は40年金竜山に通い続けている大将の常連パワーにあやかり、6名席のうち4名を選出できるという超貴重な権利をいただいてしまい鼻血が出るほどの興奮に震えました。

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金次郎、話題のおじさんビジネス用語の使用をシミュレーション!

最近おじさんビジネス用語が話題になることが多いですが、その主要なものを解説した用語辞典を眺めていると、これは金次郎の勤めている会社で編纂されたものではないかと確信してしまうほどオフィスでの日常会話で頻出しているものが数多く掲載されていて驚かされます。いまどきの若者には通じないことから少しずつ使用頻度が落ちる傾向は有るものの、依然として確固たる地位を占めるこれらの表現ですが、たちの悪いことに金次郎の会社では謎の英単語もどきのカタカナ語が更に混ざり込んでしまうために一層意味不明瞭となるケースが多く困りものです。江戸時代に薩摩藩が幕府や他藩からの密偵をあぶり出すために特殊な方言をわざと公用語としていたという話を思い出さずにはいられないほど時に暗号めいた会話が繰り広げられるわけですが、イメージとしては以下のようなものとなります(勿論完全なフィクションです!)。上司であるAさんは40代後半、直属の部下Bさんは40歳前後、たまたまカフェで隣に座ったCさんの心の声が漏れていますが、彼は就活準備中の大学生という想定です。さて、皆さんはどの程度理解できる=おじさんでしょうか(笑)。

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読書家金次郎、文豪にあやかる初夏の伊豆行(中編)

前回は食事の前に足だけ部屋の露天風呂につかってリフレッシュしたところまで書きました。その後直ぐに夕食となり、身体ポカポカの状態で食事フロアに向かったところ、Aさんご夫妻と我々の4人のみという贅沢な個室が用意されており一気に期待が高まりました。全11品の盛りだくさんなメニューは、いきなり最初の箸付から、胡麻豆富・鮑・雲丹・キャビア・美味出汁・山葵、続く前菜が、魚素麺・いたや貝小柱・豚角煮・磯つぶ貝旨煮・紅葉南京・鯵手綱寿司・鱚南部揚げ・デラウェア霙和え(お料理の表記はメニュー通り)と大変豪華で驚きました。その後も桜海老や鮎など地元のものから和牛ステーキなどどれを取っても期待以上の満足のいくクオリティで、温泉旅館にありがちな単純に新鮮さと量とで勝負というような雑な感じでなく一品一品にきちんと仕事がしてあるところにも非常に好感が持てました。

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金次郎、謎の漂泊民に興味を持つ

30年来の競馬好きの金次郎ですが、今年はオークス、ダービーと5月のクラシックレースを連敗して悲しい気分になっております。ただ、イギリスのエプソムダービーで三冠馬ディープインパクトの子供であるオーギュストロダンが勝利するという嬉しいニュースが入ってきたり、マイル王決定戦の安田記念では予想が的中したりと、徐々に運気は上向いているような気がしておりますので春シーズンを締めくくるグランプリレースである宝塚記念では必勝を期したいと思います。英会話のレッスンでそんな競馬の話をしていたところ、イギリス人の講師が自分の家はダービーが開かれるエプソム競馬場の近所だったが、あの辺りには法律やルールを超越した警察にも手が出せないアイリッシュ・トラベラーズという漂泊民が住んでいるから結構危ないという話をしておりました。

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「面白いほどわかる たんぱく質の新常識」を読み、たんぱく質について学び直す

少し前のブログにてプロテインを飲み始めたら毛髪の力が増した気がすると書きました。整体の先生にもたんぱく質をたくさん摂取すると健康に良いとすすめられましたので、これまでかなり無知であったたんぱく質について「面白いほどわかる たんぱく質の新常識」(藤田聡著 宝島社)を読んで勉強してみました。先ずはうんちくからということで(笑)、たんぱく質を表すプロテインという言葉はギリシャ語で

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サ高住とハトとぶよ、のその後について

そろそろこのブログも200投稿を超えようとしておりますので、今週は初めての試みとしてこれまで書いた記事のフォローアップをしてみようかと思います。去年の10月に義理の両親がサ高住を探しているという内容について書きましたが、先月彼らは40年近く住んでいた自宅を家じまいして無事サ高住に引っ越し完了いたしました。物が捨てられぬ義父の性格故に、越してからひと月が経とうとしているにも関わらず溢れんばかりのダンボールにまみれて暮らしているというのはまだご愛敬なのですが、

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今回は、思い出深い「大草原の小さな家」づくし

福岡の田舎の公立高校に通っていた金次郎は、高3の春先に部活を引退した後に大学受験に向けた勉強を本格的に開始したのですが、色々と間に合っていなかったためにしばらく模試の成績も振るわずE判定を連発し、その遅れを取り戻すべく帰宅後にかなりの長時間自宅で勉強する生活を送っておりました。当時は精神的に頑丈だったのか、自ら定めた一日のノルマを終えるまでは眠らないという過酷な状況に自分を追い込んでおり、文字通り寸暇を惜しんで机に向かっていた記憶が有ります。そんな何の楽しみも無い苦行の日々を送る受験生金次郎の唯一の息抜きタイムが当時NHKで再放送をしていたドラマシリーズの「大草原の小さな家」をじっくり観て思う存分泣く、というものでした(笑)。

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金次郎、無趣味と思いきや意外と多趣味なことに気付く

読書をヘビーな趣味としている金次郎はなかなか他の趣味に手が出せずコロナで趣味と呼べそうなカラオケのハードルが上がった昨今では、テレビドラマやアニメ観賞、美味しい食事やスイーツ食べ歩きを軽めに楽しむというシンプルな暮らしをしております。いずれの活動もオタクの域には到底及ばず空き時間にちょこちょこやっているレベルですが、その程度の力の入れ方でも趣味認定できるなら、そういえばかれこれ30年ほど地味に競馬を楽しんでいることに改めて気づきました。1991年の上京当時は正に第二次競馬ブーム真っ盛りの頃で、スターホースのオグリキャップと武豊のコンビが第35回有馬記念を〈奇跡の復活劇〉で制した直後ということもあって、東京の流行には全く疎い福岡のおばちゃんであった母親から、東京では競馬の話ができないと話題についていけないらしいから勉強しなさい、と謎のアドバイスを何度もされたことを思い出しました。少し前のブログに登場したゼミ仲間のS君と勉強そっちのけで馬の話をしたことや、やや荒んでいた(笑)若手社会人時代に週末の度に朝から晩まで水道橋の馬券売り場や中山競馬場に入りびたっていたことが懐かしく思い出されます。下手の横好きレベルで馬券はあまり当たらないのに何がそんなに楽しいのかを考えてみると、与えられた膨大なデータを読み込んで自分なりに解釈し、それに多数の変動要因を重みづけしながら加味して仮説を作った上で、そこから導き出される予想と、世の中一般の予想を代表しているオッズとのギャップを機会と捉えてそのギャップに賭けるリスク・リターンが妥当かどうかを判断する、というプロセスそのものが好きなようです(笑)。こうして書き並べてみると、ビジネスにおける思考プロセスと非常に似通っている部分が有り、仕事が趣味を侵食しているのか、はたまた昔からの趣味である競馬が金次郎のビジネス思考の基盤となっているのか(不謹慎)微妙ですが、やっぱりあれこれと考え思いを巡らせるのは楽しく、楽しんでいるという意味では、色々と考えなくてはならないことが多く面倒な仕事も趣味的な活動の一つと言えるのかもしれず(?)、意外と多趣味な金次郎でした(笑)。ちなみに金次郎が重要視している競馬のデータは、それぞれの馬がどのぐらい強い相手とどういう勝負を過去にしているか、負けたレースに明確な敗因は有るか(道悪、出遅れなど)、斤量(=馬が背負う重さで騎手の体重も含む)において目立った有利不利は無いか、馬の能力の絶対値を示す過去レースでの走破タイム実績、競馬場との相性(右回り、左回り、最後の直線が長いなど)、などでしょうか。その他にも、体重の増減、調教の様子や厩舎情報から判断する調子の良し悪し、想定されるレース展開と脚質の相性、馬の血統的背景(これ好きな人多い)などなど考慮すべき要素は無限に有りますので、全てのデータを集めることも、ましてや予想を〈的中〉させることは絶対にできません(笑)。また、確率的にも胴元であるJRA様に3割を上納した後に残額を当たった人で分け合う仕組みですので期待値は低く、理論的には馬券を買い続ける程損をする構造になっており、金次郎も30年に亘る競馬人生でそれなりのマイナスを被っておりますが、それを代償としてたくさんの変動要素を含む事象をまかりなりにも腰を据えて分析する訓練を積むことができ、あらゆる情報が反映され市場メカニズムが働いた結果であるマーケット(競馬の場合はオッズ)に対し、自分の予想が正しく市場参加者は間違っているといった類の傲慢さを排して謙虚かつニュートラルに向き合えるようになったということで差し引きプラスと考えたいと思います。どんなことでも長年やっていると何某か役に立つものですね。

さて、前段がかなり長くなってしまいましたが(これでも相当削りました)、本題の本の紹介です。「蒼穹の昴」(浅田次郎著 講談社 )は中国の清朝末期を舞台に繰り広げられる西太后派と光緒帝派との政争や、清朝が西洋列強に日本を加えた外圧への対応に苦心する様子を描いた歴史小説です。物語は自ら宦官となり西太后に使える李春雲と、難関とされる科挙にトップ合格し光緒帝の改革を支える官僚となった梁文秀という運命のいたずらで敵味方に分かれる義兄弟を軸に展開していきますが、守旧派である筈の春雲が従うべき天命に必死に抗い、逆に改革派である文秀が天命を受けた皇帝に尽くすというねじれた構造になっていることが、それぞれの葛藤を深めストーリーに味わいを加えていると感じました。また、一般的な歴史認識では権力に執着し国家財政を私物化した残虐非道な悪女とされる西太后慈禧が実は周囲の皇族が頼りないが故に清朝を守るべくやりたくもない政治に取り組まざるを得なかったとの設定となっており、「当時清朝宮廷に男は西太后しかいなかった」という外交官コメントにも結構リアリティが有ってなかなか興味深いです。この機会に「西太后秘録 近代中国の創始者」(ユン・チアン著 講談社 )を再読してみましたが、強まる外圧に対抗するために義和団に頼ってしまった失政はさておいても、西太后は細やかな気遣いもできる辣腕政治家との評価で、20世紀に入った統治終盤では議会制度を取り入れた立憲君主制を導入しようとする程の開明的人物との歴史認識が提示されており、初読の際に意外で驚いたことを思い出しました。忘れていたのが悲しいですが(涙)。一方、「蒼穹の~」では日清戦争後の下関会議全権として伊藤博文公と渡り合った教科書でもお馴染みの李鴻章が、文武に秀で海外からも尊敬を集めるスーパーマンであり、かつ非常にロマンチックな人物として描写されているのに対し、「西太后~」では主体性の無い典型的な官僚として登場していて違いが結構面白いです。袁世凱はどちらの作品にも狡猾な小物として描かれていて歴史認識通りでした。「蒼穹の~」は続編のシリーズ作品が有るようなので、こちらも読まねばです。

「此の世の果ての殺人」(荒木あかね著 講談社)は満場一致で江戸川乱歩賞を受賞したミステリーの秀作です。小惑星テロスが間もなく地球に、しかも日本の熊本付近に衝突すると発表され全世界が大混乱に陥る中で、大宰府在住(懐かしい)の主人公小春が、勿論誰も免許など交付してくれないにも関わらず、自動車教習所に通い元刑事の変人教官イサガワに淡々と真面目に運転の指導を受けている状況が非現実シチュエーションの中での更に有り得なさそうな行動という一周回った不思議な感覚でいきなり物語に引き込まれました。その後二人は大多数の人が希望を失くして荒んでしまった世界で、連続殺人事件の謎を追うことになるのですが、どうせもうすぐ皆死んでしまう世界で何故敢えて殺人を犯さねばならないのか、何故その殺人を更にわざわざ捜査しなければならないのか、登場人物それぞれの動機が非現実的な世界で巧い具合に説得力を持って成立しているところが絶妙だなと感じました。

以前ドラマでの清原果耶さん演じる城塚翡翠がイメージと違うとこのブログで書きましたが、続けて観ているうちにイラっとさせる彼女のおとぼけキャラがクセになりつつあります。脇を固める小芝風花さんの演技が意外といい味を出していてこちらも気に入っております。


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金次郎、【アフター4読書】3周年の感慨に浸る

早いもので2019年12月3日のアフター4読書最初の投稿から間もなく満3年が過ぎようとしております。記念すべき初投稿を読み返してみてなかなか簡潔にまとめているなと感心しましたが(笑)、ブログを続けるにあたり、3年目に入ると、マンネリ化したり、ネタ切れを起こしたり、書くことに飽きてしまったり、気の緩みからの不用意発言で炎上してしまったりと様々な理由により継続の危機を迎える時期だと言われております。友人に書きなよと勧められ、読書時間が削られることを気にしつつも読書インプットの質向上のためのアウトプットと割り切って、軽い気持ちで始めたこのアフター4読書は、おかげさまで、どうにかそんな〈3年目の危機〉を乗り越え4年目に入っていくわけですが、振り返ってみると結構書き続けるのを悩んだ時期も有りました。先ずはとにかく(今もそうなのですが)ITリテラシーが低すぎて、ブログの見た目が読者フレンドリーでなくご迷惑をお掛けしているのもさることながら、当初はページビュー(PV)数を把握するやり方が分からず反応が見えないためにモチベーションを維持するのに苦労したのを思い出します。最初は当然ながら2とか3だったPV数が、まだまだ弱小ブログの域を出ませんが、それでも一番読まれている記事は1100PVを越え、トップ20でも500PVを上回っていて毎週最低でも100PVを越える程度には読者が増え、自分の書いた文章がそれだけの数の方の眼に触れているかと思うと特にアフィリエイト収入を得ているわけではないですが断然張り合いを感じます。地味にTwitterのフォロワー数を増やす努力などのSNS活動もある程度奏功しているとはいえ、やはり口コミでの読者増が大きいと思いますので、読者の皆さんに知り合いの方に宣伝してもらえるよう引き続き面白い記事を頑張って書いていこうと思います。ブログ開始当初はなんだかんだと書き溜めていた読書感想が結構手元に有ったのでネタ切れにはならないだろうと高を括っていたのですが、あっという間にストックは底を尽き、充分な数の紹介したい本に出会えなかった週には、一度のお休みからなし崩しになりかねないありがちな継続の危機に何度も瀕しました。読書関連ということで、文学女子への本紹介企画や本屋大賞予想対決企画でしのぎつつも、もうどうにもネタが無いというピンチで捻りだしたのが、自分史にかこつけたプライベートの切り売りや、その時々の雑感を記した前半の〈よもやま話〉の導入で、読書ブログ色がかなり希薄化することを心配していたのですが、意外とこれが評判となり、寧ろ後半の読書感想は全然読まないというような読者の方もたくさん現れ複雑な思いを抱えつつそれもモチベーションにしながら書き続けております。ポリコレに弱い昭和生まれの金次郎にとって、人生の前半を支えてきたやや斜に構えた発言で話を面白くする手法では最早勝負できなくなってしまった難しさを日々感じつつも(苦笑)、逆にこのブログを書く中で、不適切な表現を含まない文章でそれなりに内容を充実させる努力ができたことは、公私問わずコミュニケーションのスタイルを現代風に修正する上でとても助けになったと思っています。意外とお客様との会話のきっかけとして仕事でも活用できるという嬉しい誤算も有り、当たり前ですが、どんなことでも真面目にやっているとプラスの効果として自分に跳ね返ってくるものだと改めて認識し、人生後半戦のこれからも投げ出さずに努力を継続できればいいなと感じた3周年でした。流石につまらなさ過ぎる内容となりすみません(涙)。

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金次郎、人間ドックのサービス低下の理由を考える

今週、年に一度の人間ドックをドックの聖地であるS病院の検診センターで例年通り受診したのですが、何となく今年はオペレーションの水準がいつもの水も漏らさぬというか、軍隊的なというか、さすが高額という感じのプロフェッショナルなものから若干レベルダウンしているのではないかと少しだけ気になりました。これまでは、受付や誘導を担当されている事務方のスタッフも、検査を担当される検査技師の方も基本的には非常にスピーディーで感じの良い対応をしてくださっていたのですが、今年は全体的に不慣れな雰囲気、やや怖い感じ、こちらのちょっとしたリクエストに対しての対応が不親切という印象で、運営方針に大きな変化が有ったのではないかと懸念される内容でした。最初の説明を担当された看護師さんに何か気になるところは無いですか、と聞かれたので、左肩が五十肩で検査中に痛みが出てしまうと検査に支障をきたす恐れありと申告したところ、「では、左の五十肩とシステムに登録しておきます」と淡々と言われ、もう少し専門的な表現で対応してくれればいいのにと適当に扱われた感満載の出だしとなりました(涙)。身体測定担当のおばさまはかなり強面の方で腹囲測定のメジャーを引っ張る力もイメージ通り剛腕で、おかげ様でお腹が圧縮されて結果腹囲が2センチ改善しました(笑)。腹部超音波検査担当のお兄さんは全般的に計測器具の押し付け圧が強すぎて、検査というより加圧筋トレみたいになってしまい、ノー配慮で左肩は激痛な上に、ゼリーの扱いが雑でお腹も背中もベトベトになり極めて不快だった挙句の果てに下腹に最初に挟んだティッシュも始末してくれない不親切さで、次のレントゲンのところで慌ててティッシュを捨てるはめになるという、どうなのというか悲しい感じでした。最後の胃カメラの先生も当然ながら登録済みの〈左の五十肩〉には目もくれずで、腰痛などの痛みで胃カメラ時の麻酔から目覚めてしまう場合が結構有りますが我慢していただくしかない、の一点張りと非常に機械的な感じで、仕方が無いのだとは思いますが、麻酔鎮静剤に5500円も支払わせるからには表面上だけでも親切にしてもらえれば少しは納得感が有ったのにと残念に思いました。とりあえずそんなサービス低下の背景として思いつくのは、①別の検診センター立ち上げのために優秀なスタッフがそっちに回っている、②諸々のコストアップ圧力の中採算を維持するためにシフトを減らして人件費を抑えたことで一人一人の負担が増え、それがモチベーション低下につながっている、③パワハラにうるさいご時世の中これまで軍隊のように厳格であった指導体制が揺らぎオペレーションの緩みを招いている、ぐらいでしょうか。無責任コメント失礼しました(苦笑)。まぁそんなこんなの人間ドックでしたが、おばさまの激しい締め付けによる腹囲改善以外はだいたい例年通りの結果で先ずは一安心で良しといたします。ただ、毎年ドック後にご褒美として食べるアンジェリーナのモンブランを買おうと日本橋三越に行ったところ、なんと売り切れ!そんな状況これまでほぼ見たことが無いと思い検索してみると、かのきゃりーぱみゅぱみゅ先生が数日前のテレビ番組で三大ご褒美食の一つとして紹介されたようで、そのせいで本日12時時点で早くも完売していた模様です。歴史と伝統の有るアンジェリーナのモンブランが最近そんなにメディアにも出ていなさそうなきゃりー先生の一言で急に売れるなんて、ちょっと納得いかない複雑な気分でした。

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金次郎、宿敵Mと秋の味覚を堪能する

このブログの目玉企画である本屋大賞予想対決で鎬を削る宿敵Mが先月駐在先のドイツから帰国しました。なんと金次郎邸から200メートルと離れていないご近所に居を定め、まさに金次郎の喉元に刃を突き付ける構えで来年1月に始まる予想対決に向け臨戦態勢を整えているものと思われます。そんな宿敵Mではありますが、一応歓迎会はせねばということで、同じくご近所で金次郎行きつけのイタリア旨いもの店を実質貸し切り状態として久々に食事をしました。様々なテーマについて心置きなく激論を交わしたのですが、そんな議論の内容などどうでもよくなるほどお料理がおいしかったのでこちらの方を紹介します(笑)。爽やかな中にコクが有り、柔らかいのにしっかりとした食感もきちんと主張している厳選されたイタリア産モツァレラチーズ、生で良し焼いて良しの上品極まるサンマ、酔っぱらってしまってシェフの説明を失念してしまいましたが(涙)信じられない程のクオリティだったとの記憶が残る何かのスープ、なぜこれを品種改良する必要が有ったのかと疑問しか湧かない深い味わいの桃の原種、肉に包丁を入れる角度を変えてアクセントを付けた神戸牛のロースト、などなど相変わらずの素晴らしい内容でございました。そんな中でも特に際立っていたのがなかなかお目にかかれない上質のポルチーニ茸を焼いて出してもらったものです。あまりに未経験の食感だったためにこれは通常手に入らない良からぬ出自の物なのではと怯えた金次郎が、思わず「これ、毒キノコなんじゃないの?」との不適切な口走りを止められなかった程の最上級にキメ細かく柔らかな口当たりと、秋のうまみを閉じ込めた風味は絶品でした。食事が終わり、次はまたトリュフの時期に来ますねとシェフに伝えたのですが何となくリアクションの歯切れが悪いので、理由を尋ねると、最近特に白トリュフの価格が暴騰していて仕入れが難しいとのことでした。円安のせいなのかその他の理由によるものか不明ですが、なんと品質の良い白トリュフは1キロ当たりで150万円(!)もしてしまう凄まじい値上がりぶりだそうで、旨い物には目が無いシェフもさすがに手が出ないと嘆いておられました。旬になり供給が増えて少しでも値が下がるのを待ちますと伝えましたが、さすがにサラリーマンの身分では手が出そうにありません。当面はトリュフの無い秋を過ごすことになりそうです。岸田さん、金利を上げて円安を止めて下さい(冗談)。ちなみに、少しだけ激論の内容を紹介しますと、KingGnuのような音楽エリートのJ-POPへの進出や、新川帆立先生に代表される多才かつ高IQ若手作家の文壇での存在感拡大という現象が、音楽や文芸の将来について何を示唆しているのか、単純にこの分野のすそ野を狭めることになりはしないか、あるいはそういう才能が受け入れられていることこそ時代の要請と捉えるべきか、等のテーマについて熱く語っておりました。大変うっとおしい内容で恐縮です。読者の皆さんに受け入れられそうな内容にまで自分の中で整理できたらこのブログでも詳細を紹介することといたします。

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金次郎、友人の突然の訃報に呆然と立ちすくむ

今週は会社の同期の突然の訃報に接し、オフィス全体が声を失い呆然としている感じで日々を過ごしております。朝のウォーキング中の心不全という説明を聞いても全く頭に入ってこず、明るく懐が深くて心優しい、金次郎などより圧倒的にいい奴の彼がこんなに早く天に召されるという理不尽な現実を受け止めきれず、冷静な思考をするのがなかなか難しい状況です。数か月前に一緒に焼き鳥を食べ、「この店おいしいからまた来たい」と言っていた彼とはつい先日仕事の打ち合わせをしたばかりだったのに。。。どんなしょうもない発言も、関西人ならではの鋭い突っ込みを入れ拾ってくれた細やかな配慮や、いつも逃げずに弱いものを守ろうとする男気、誰に対しても全く偉ぶらないフェアで謙虚な姿勢など美点を挙げればきりが無く、自然な成り行きとして彼は本当にたくさんの人から愛されていました。ややこしい金次郎のこともちゃんと気にしてくれていて、いつも面倒をよく見てくれましたね。本当にありがとう、そして、心よりご冥福をお祈り申し上げます。気恥ずかしくてそういう彼のいい所を生前に直接言葉にして伝えられなかったことが今更ではありますが大変に心残りです。遅きに失した感は有りますが、少しでも彼の魂に届くよう、彼を知る仲間とそのような思い出を語って過ごす時間を作っていきたいと思います。

やや雑感パートが短めですが、今週はテンション上がらずで失礼いたします。さて、本の紹介に参ります。読書家を名乗るものとしてお恥ずかしい限りなのですが、あのベストセラーである「沈まぬ太陽」(山崎豊子著 新潮社 アフリカ編御巣鷹山編会長室編)を読んでいなかった不覚に日航機墜落から37年というニュースを見ている際にふと気づき、慌てて一気に読了いたしました。日本航空をモデルにした国民航空から、会社に盾突く危険人物かつ共産党員というレッテルを貼られてしまう主人公の恩地元は、共に戦った組合の同志との信義を貫き会社の要求を拒絶し続けた結果、パキスタンのカラチ、イランのテヘラン、ケニアのナイロビと執拗に西へ西へと左遷され続けます。現代の感覚では、バングラデシュ、イラク、モザンビークといった経済発展度合いの国々を10年以上転々とするようなイメージになるかと思いますが、当時の日本との往復のフライトの不便さなどを考え合わせるともっと過酷だったかもしれません。

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ニックネームにも気を遣うご時世にそのパターンについて検証する

最近では友人や同僚にニックネームを付ける際にも細心の注意を要するご時世となってきていて、会社でもだいぶ口数が減ってしまう程息苦しい環境ですが、あまりにもネタが無いので思いつくニックネームのパターンについてつらつら書いてみようと思います。ファーストネームはバリエーションが多すぎるので先ずは名字編です。名字を縮めて○△さん→○ちゃん、〈っ〉を入れて石井さん→イッシーのようなシンプルなもの以外で考えてみました。ちなみにうちの妻は旧姓が○本さん→○もっちゃんのパターンで、その呼ばれ方はとても嫌だったそうです。これはどちらかと言うと呼び方なのだと思いますが、うちの会社で結構多いケースは名字に〈選手〉を付けて佐藤さん→佐藤選手と呼び、「佐藤選手の今晩の予定はどうなっているの?」のように使うパターンです。基本的には先輩が後輩を呼ぶ際に使うケースが殆どと思います。金次郎が入社した27年前にこう呼ばれて、自分は何のスポーツやるんだっけ?と戸惑った記憶が蘇りました。これに似たパターンが名字の後に〈氏〉を付けるやり方で、感覚的には女性が使うケースがやや多いように感じます。名字が藤原さんの場合はかなりの確率で藤原氏となり、これはメジャーなニックネームと言っても過言ではないと思います。4音の名字の場合に業界人のようにそれをひっくり返すパターンも結構多いです。なんとなくですが、〈山〉を含む名字で使われることが多いような気がします。山崎さん→ザキヤマ、山口さん→グチヤマ、という感じですね。3音でも松田さんはダーマツになり易いですが、山田さんや吉田さんはそうならないのが不思議です。その他によく有るのは固有名詞や地名の一部が名字となっている場合にそれが拡張されてニックネームとして使われるパターンです。岡山さん→岡山県、村田さん→村田銃、水戸さん→水戸納豆、田島さん→タージマハール、桜田さん→サグラダ・ファミリア、という感じです。これは直接呼びかけるというよりは、ご本人がいないところでの会話の中で使われるケースが多いように思います。その他にはちょっとした英語での言い換えや連想のケースもバラエティが多いと思います。栗田さん→マロン、星山さん→スター、佐藤さん→シュガー・塩、という感じで皆さんも活用された記憶が有るのではないでしょうか。勿論芸能人・有名人パターンもよく有りますが、長嶋さん→シゲオ、氷川さん→キヨシ、狭間さん→カンペイちゃん、斎藤さん→セイロク、そして最近は問題になっている坂田さん→アホノサカタなどが挙げられます。〈竹〉や〈武〉から始まる名字の方はかなりの確率で〈タケちゃんマン〉になるリスクが有りますね。外国人がローマ字を上手く読めないことに起因する、藤田さん→フヒータ(スペイン語系はjをhと発音する)、野瀬さん→ノーズ(=nose)、牛山さん→ユシヤマというパターンも時々有りますね。ちょっとレアですが逆から読んで意味の通る、例えば近藤さん→ウドンコというのも有り得ると思います。自分の名前を逆から読むというのはほぼ本人しかやらない行為なので、例えば大勢人がいる状況であっても、話したい人に当人の名前の逆さ読みで呼びかけると、その人だけに伝わって高い確率で振り向いてもらうことができます。金次郎はちょっと暗号的なのでこれ結構気に入っています。逆から読むということでは、金次郎は昔に名字をローマ字表記して後ろから読み、全く違う語感を楽しんでいた時代が有りました。田中さん→akanat=アカナット、吉田さん→adihsoy=アディーソイ、木村さん→arumik=アルミックというように異国情緒が漂います。ちなみに最近大流行している歌手のAdoさんはこのパターンでは小田さんということになります(笑)。

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金次郎、バブル時代のビールかけの記憶を呼び覚ます

金次郎は1980年代後半は高校生でしたので、バブル経済というものの恩恵に浴した実感が有りません。父は銀行員でしたが当時も特段羽振りが良かったということは無く、日々の食事が豪華になったというような記憶も全く残っておらずで、辛うじて糸井重里率いるプロジェクトチームが高校生にも分かるレベルで大金を投じ徳川埋蔵金を見つけようと躍起になって赤城山中を掘り返しまくっていたテレビ番組(1990年6月~)を見て、景気がいいなぁと漠然と感じていた程度でした。

金次郎は1991年4月に大学入学のためバブルの本場東京にやってきたのですが、やはり当時はそういう感覚は無く、後になって振り返ってみて初めて、あれはバブルあるいはバブルの残滓と呼べるものだったのではないか、と感じる経験を幾つか思い出す程度です。そんな数少ない記憶の中でも一番印象に残っているのは、ある大会の打ち上げで催された大々的なビールかけ宴会です。今もやっているのかどうか分かりませんが、プロ野球選手が優勝すると嬉々としてやっているあの大騒ぎです。あんなお祭り騒ぎに大学生の身分で気軽に参加していたことに当時は全く違和感を感じませんでしたが、あの非常識ぶりは完全にバブルに踊らされていた異常事態であったと今では理解できます。絶え間なく降り注ぐビールの雨、まさに泡まみれとなる身体、ビールの海と化した床を泳ぐたくさんの人々、痛過ぎて開けていられない目、要領良くゴーグルを準備してニヤついている先輩、日焼けした肌にとにかくしみまくるビールと、あの阿鼻叫喚の食堂はあまりにもヤバい非日常な空間でした。しかし、その頃の若かりし金次郎にはそれを客観視することは全くできず、ひたすら楽し過ぎて大はしゃぎし、その後も夜通し遊んだ挙句に、乾いていたとはいえビールまみれの状態で山手線始発に乗り込み、そのまま爆睡してしまうという醜態ぶりでした。このブログを書いていると封印していた記憶が蘇ってしまうことがよく起こるのですが、目を覚ました時間から逆算すると寝ている間に山手線を5周もしてしまっていたようで、うっすらと覚醒した際に感じた、通勤されている方々からの迷惑千万という痛い視線のイメージが鮮やかに思い出され、若気の至りとはいえ、申し訳ない&恥ずかしい気持ちでいっぱいとなりやや凹みました。

その他にも、殆どまともに教えなかった個別指導塾講師バイトの時給が有り得ないほど良かったり、同僚のバイト講師の先生が株で大儲けしてベンツを乗り回していたり、大学の学費はぎりぎりまで支払わず株で運用して利益を出している学生がいるなど、不相応に金回りの良い話が多く、田舎者の金次郎は純朴に東京って凄い所だなと思っておりましたが、単に世の中全体がバブルで異常な雰囲気に覆われていただけだったという話なのだと思います。今も都心の不動産は当時を彷彿とさせる上がりっぷりですが、浮わついた雰囲気は無く、寧ろコロナ、ウクライナ侵攻、米中対立、景気後退懸念などからほんのり暗い停滞感が有り、これはこれでどうなのかなとも感じますが、悲惨だったバブル崩壊後のような状況にはならなさそうなので取り合えず良しといたします。ここでまた封印記憶が蘇りましたが、バブル崩壊後の不良債権処理で深刻に苦しんでいたであろう父に無配慮に「なんで世の中の人は異常なバブルがいずれ弾けることに気付かんかったんやろうね?考えれば分かりそうなもんたい。」と傷口に塩を塗るようなコメントをしたことを思い出し申し訳ない気分になりました(涙)。

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