ミステリーホラーの注目作家澤村伊智作品を読む

ややとっつきにくいタイトルではありますが、「闇の自己啓発」(江永泉ほか著 早川書房)という本が最近売れています。公開されているまえがき、にもありますが、社会や組織にとって都合のよい〈人形〉になるための自己啓発と一線を画し、自己を保ち続けるために企画された〈闇の〉自己啓発としての月例読書会の内容を書籍化したこの本は全6章から構成されており、それぞれの章はダークウェブやAI、反出生主義などのテーマを取り上げた課題図書について議論された内容が記載されている、筈です。筈、と書いたのは、金次郎は未だ本編を読んでおらず、課題図書から取り掛かっているためで、かなり内容の重たい本を合計7冊読む必要が有り、このブログで感想を紹介するにはもう少し時間がかかると思います。お楽しみに!という内容になるか不明ですが(笑)、しばしお待ち頂ければと思います。ちなみに第1章の課題図書は「ダークウェブ・アンダーグラウンド」(木澤佐登志著 イーストプレス)でした。

さて、闇つながりというわけではないですが、今回はホラー小説の名手である澤村伊智先生の作品を紹介します。

澤村先生は、2015年に日本ホラー小説大賞を受賞した「ぼぎわんが、来る」(KADOKAWA)でデビューされ、本作は選考委員も絶賛の出来栄えで後に「来る」として岡田准一主演で映画にもなっています。また、登場人物の比嘉琴子・真琴姉妹はその後の作品にも度々出てくる人気キャラクターとなっています。

勿論、本編に登場する謎の化物ぼぎわんの強大な呪いの力も非常に怖いのですが、人間の心の闇や他人とのちょっとしたすれ違いや認識の相違によって生じる隙間が呪いを引き寄せているという構図にリアリティが感じられて怖さ倍増です。また、ぼぎわんそのもののおどろおどろしい描写を通じて感じられる表面的な知覚的怖さではなく、こういう気分の時にこのタイミングでこう呼びかけられたらそれは怖い!というように、怖さの概念そのものに働きかけられているという感覚が新鮮でした。

「恐怖小説 キリカ」(講談社)は「ぼぎわん~」の受賞から出版、二作目の「ずうのめ人形」(KADOKAWA)の執筆プロセスをドキュメンタリー的になぞりつつ、恐ろしい連続殺人が進行するというフェイク・ドキュメンタリーの手法で描かれた作品で、圧倒的なリアリティを読者に感じさせることを通じて破壊力のあるホラーに仕上げた意欲作です。勿論主人公は著者澤村伊智本人となっています。途中まで、どの登場人物がどう恐ろしい存在になるのか分からず、歯医者さんで虫歯の治療を受けている時に、いつどんな痛みがやってくるのかと身体に力を入れて身構えるあの感覚で読まされるのでかなり疲労しました(笑)。しかし、本作は講談社から出ているのに、KADOKAWAの話がばんばん出てきて、こういうのって大丈夫なのかな、という気分になったり、前2作のネタバレにはなっていないかなと気をもんだりするのもハラハラするミニホラーな感覚でした。

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ニューヨークを舞台にダイヤモンドを巡る陰謀が繰り広げられる「カッティング・エッジ」を堪能

いよいよ今週から医療従事者の皆さんへのワクチン接種が開始されるようですが、妻に「ファイザーのワクチンはマイナス80度で保存するから、接種するときかなり薬が冷やっとするらしいよ。」と言ったら、かなりびびっておりました(笑)。それはさて置いても、もう少しワクチンについて説明が有ればいいのにとは思います。厚労省のHPを見れば書いてあるのかな。

さて、2月に入り、森会長の女性蔑視発言が取りざたされておりますが、英文の記事では、

Mr.Mori made a sexist comment.

のような感じで書かれます。少し、あれ?と感じますが、Sexistには名詞の〈性差別主義者〉という意味が有る一方、形容詞で〈性差別(主義)的な、性差別(主義者)の〉のような意味も有り、~シストというとナルシストやピアニストのように~な人というふうに名詞で使いがちな日本人にはちょっと違和感の有る形になっています。また、うっかり間違って、

Mr.Mori made the sexiest comment.

としてしまうと、森さんは最高にわくわくするような発言をした、となり意味がおかしくなってしまうので注意しましょう。(sexy【セクシーな、魅力の有る、わくわくする)の最上級がthe sexiestですね。)

言葉の形にこだわってしまう金次郎は、sexistが形容詞ということを知り、最上級はまさかthe sexistestなのか、と思い辞書を引いてみましたが、比較級・最上級の表現は見当たりませんでした。でも、似たような単語で同様に形容詞が有るracist【人種差別主義者(の)】には最上級でthe racistestと記載が有りましたので、恐らくそのように変化するものと思われます。でもよく考えると、差別主義は黒か白かしかないので、コンセプト的に比較級や最上級が存在することがそもそもおかしいわけで、若干マシな差別主義者がいるかのような誤った使い方をしないよう注意しようと思いました。

ここで本題ですが、全く何のきっかけも無く「カッティング・エッジ」(ジェフリー・ディーヴァー著 文芸春秋)を読んだところ、これがかなり面白くてはまりました。捜査中の事故による怪我の後遺症で四肢マヒに苦しむ天才科学分析官であるリンカーン・ライムが、僅かに現場に残された証拠から魔法のように犯人に迫るサスペンススリラーで、知らなかったのですが既に本作でシリーズ第14作とのこと。作品毎に一つのテーマを著者が徹底的に深掘りしてストーリーを作り込んでいるので、読後にはちょっと事情通になった気分にもさせてくれる、テーマ、スピーディーな展開、どんでん返しの連続と一粒で三度美味しい作品となっております。

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金次郎、「カネを積まれても使いたくない日本語」(内館牧子著)の内容に慄然

バレンタインデーはまだなのに、日本橋三越で2月初旬から始まったバレンタインイベントで購入した年に一度の楽しみである高級チョコをなんともう食べてしまいました。今年はDelReYの10個セットで、外側のチョコ部分は勿論、中に入っているガナッシュが抜群でした。コーヒー、キャラメル、ピスタチオなどの定番だけでなく、金次郎がやや苦手としているパッションフルーツやエキゾチックフルーツのガナッシュも息が止まるほど美味で、不要不急かつ禁断のセカンドDelReYを買うかどうか真剣に妻と二人で検討中です。ちょっとお高いのは気になりますが、1個いくらという計算を忘れて楽しみたいクオリティです。

さて、自称読書家でもありますし、それなりに日本語は気を付けて使っており、会社ではメール内でのおかしな表現には中年らしく目くじらを立てております。会議中でも「今の発言は意味がよく分からない。」や「今の発言、これまでの議論の文脈と整合してないよね。」などと言ってしまう煙たいおっさんそのものです。

そんな金次郎が愕然とさせられた本が「カネを積まれても使いたくない日本語」(内館牧子著 朝日新聞出版)です。最初に出てくる〈ら抜き〉のあたりでは未だ内館先生と共に世の乱れた日本語を糾弾しよう、と意気込み、有名スポーツ選手が「オリンピックに出られる。」が言えずに「~に出れる。」でもなく微妙に変化して「オリンピックに出れれる。」と言ってしまったエピソードに、レレレのおじさんかよ、と突っ込みを入れる余裕すらありました。お名前様やご住所様などの表現にも違和感が有ったので、これに対する批判も、よしよし、と読んでおりました。

ところが、いきなり【させて頂く】がやり玉に上がると、時々使っていることに冷や汗。更に、【結構~します】や【というふうに】、【してみたいと思います】、【普通に】、【仕事で汗をかく】などの高使用頻度の表現がどんどん気持ち悪い、美しくないと断じられ、読み終わる頃には最初の勢いは消え、すっかり意気消沈でした。徹底的にへりくだる、断定を避けて存在しないリスクすら回避する、という姿勢が最近の言葉の乱れの背景とのことで、勇気を出してシンプルかつ美しい日本語でリスクを取っていこうと少し思いました。【やばい】というのはその筋の方が使っていた言葉のようですが、今ではすっかり定着し、上品なおばさままでもが「やぼうございます。」と言ったとの話は面白い。また、判断するを、判断【を】する、のように【を】を入れる表現もおかしいと書かれていて、読んだ直後に森会長が「不適切な発言につき、撤回をさせて頂きます。」と言っていて笑えました。

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「アガサ・クリスティー自伝」は最高に面白くておすすめ!

昨年2020年は後にミステリーの女王と呼ばれることになるアガサ・クリスティーが「スタイルズ荘の怪事件」(早川書房)でデビューし、〈灰色の脳細胞〉で知られるエルキュール・ポワロを世に出してから100年のメモリアルイヤーでした。

ポワロは、第一次大戦で荒廃した欧州大陸からイギリスに亡命してきたベルギー人の元刑事で50代という設定ですが、クリスティーもその後ポワロが50年以上も活躍するとは夢にも思わず、ひたすら小学一年生を続けながらストーリーが緩慢に進んでいく名探偵コナンばりの苦しみを味わうことになっています。クリスティー自身も、もっと若い設定にしておくべきだったと悔やんでいますね(笑)。

極めて大雑把な分析ではありますが、シャーロック・ホームズを情報収集重視のひらめきタイプ、エラリー・クイーンを緻密なロジック積み上げタイプの名探偵だとすると、ポワロは秩序を重んじ細部に拘る共感力タイプの名探偵と言えるかと思います。〈相棒〉の杉下右京はクイーンとポワロの間、明智小五郎はホームズタイプというイメージでしょうか。

そんなポワロものを中心に多くの作品を残したクリスティーは1976年没ということで、金次郎が4歳の頃までご存命だったことになり、親の世代にクリスティーは同時代の人気作家だったというのがちょっと実感が沸きません。偉大過ぎるからでしょうか。

そんなわけで、100周年を機に前から気になっていた「アガサ・クリスティー自伝」(アガサ・クリスティー著 同 上巻下巻)を読んでみたのですが、これが非常に面白い本で大変おすすめです。

クリスティーが15年かけて記したこの本は、クリスティー自身の人柄についてや、数多の名作が産み出された背景は勿論、当時のイギリス社会や大英帝国統治下の植民地の様子も垣間見え、ミステリーファンならずとも楽しめる一冊となっています。

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