金次郎、はじめましての高校同級生と銀座でおでんを食べる

先日、高校時代の友人M君と、そのM君の知り合いで、金次郎が高校時代に一度も話したことの無かった同じく高校同学年のKさんと3人で飲むというなかなか珍しい会が有りました。高校は一応共学だったのですが、金次郎は3年間男子クラスという運命のいたずらにより、今回はじめましてと挨拶を交わしたKさんは勿論、在学中ほぼ女子と会話をしない青春時代を送るという悲しい高校生活でございました。その悲しみ故か当時の記憶がかなり薄く、M君からは成績のことにしか興味が無かった薄情者とのレッテルを貼られ未だにイジられておりますが(苦笑)、当日はそんな記憶の空白を埋めるべく同級生や先生たちの様々な情報を教えていただき、自分が如何にマイナーな存在であったかを再認識して悲しくなりつつも、大変有意義な会となりました。中でも、英語のK先生がそんなにモテモテだったとは大変意外で驚きましたし、最近ご結婚されたお相手が金次郎の印象にも残っている同級生の女子と聞かされ二度びっくりいたしました。

銀座の雑居ビルの地下に有る謎のおでん屋ゆうゆうじてきというお店のカウンターで日本酒をちびちび飲みながらお互いの近況などを取り留めなく話していたのですが、金次郎同様M君もやっているオンライン英会話レッスンについて話していたところ、同じくカウンターで近くに座っていた常連っぽいお客さんが自分も英語が上手くなりたい、とかなりの勢いで会話に参加してこられました。なんとその方は10年以上外資系の半導体関連の会社にお勤めのようなのですが、その間ずっと英語での社内会議の内容が殆ど分からない状態を継続しているという鋼メンタルの持ち主で、いったいどうやって乗り切っているのかと尋ねたところ、タイミングを見計らってアイシー、アンダストゥッドを適当に繰り出してお茶を濁してやり過ごしているそうで、中途半端に勉強している我々からすると寧ろリスペクトしたくなるような強者ぶりに驚愕しました。それで10数年やってこられたのなら今更勉強せずとももう大丈夫なのでは?と聞いたところ、いや最近さすがに厳しくなってきてストレスだ、とのことで、その辺の微妙な線引きの基準が全く理解できなかったものの、金次郎のやっているDMM英会話はとてもフレキシブルだしレッスンマテリアルも充実しているのでいいですよ、とお薦めしておきました。そんなマテリアルの中にちょっと面白いものが有ったので紹介します。ネットでよく使うwwwを英語のスラングではLOL(laugh out loud)と表現する話は以前このブログでも書きましたが、他の言語バージョンも最近解説されていました。フランス語ではMDRとなるようで、これは笑い死にしたという意味のmort de rireの省略形、ポルトガル語では、笑う・笑い声を意味するrisosの略でRSを使うようです。ペルシャ語圏のイランでは、私は笑っている、という意味のman khandeh mikonam」の省略のMKM、スウェーデン語では激しく笑うを意味するasgarvの省略形であるASGを使うとのこと。また、笑い声を表すhahahaはスペイン語ではじぇじぇじぇ風のjajajaとなり、なんとタイ語ではその発音から555と書くとのことで、当然ですがwww以外のどれを見ても全く面白い気がしないのに外国人はそれらの省略形を見てニヤっとするのかと想像するとちょっと笑えるなと思いました。

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金次郎、50歳を迎えるも未だ天命を知らず

金次郎はさる7月14日に誕生日を迎え遂に半世紀を生き抜き50歳となりました。定年退職まであと10年、死ぬまでだいたい30年という節目を越えなんとなく先が見えてくるポイントに到達したにもかかわらず、気分的には驚くほど成長が停止してしまっており、中二病ならぬ中堅病という感じで、自分は未だに30代半ばだという妄想が重症過ぎてヤバいです(苦笑)。そんな金次郎の実状を知ってか知らずか、誕生日に75歳の父が心配そうに電話をかけてきて、お前は俺に似てふざけて人をからかう(=あだ名を付けるなどしてイジる)悪い癖が有るので、50歳になったのを機会にそれはもうやめろ、と真剣に諭されました。最近は心を入れ替えて気を付けているので心配無い旨伝えながら、いくつになっても子供は子供なんだなと感じつつ、やはりこの性格は父親譲りの遺伝でありどんなに気を付けても根治はしないのかもと若干怖い気分になりました。しかし、うちの父はいったいいつまで部下をイジっていたのだろうかと思い記憶を辿っていると、だいぶ昔ですが当時銀行の支店長だった父が部下とともに製作した面白動画を見せられたのを思い出しました。細かい内容は忘れてしまいましたが、覚えている限りでは部下の方はふざけつつもそれなりに体を張っていたような印象で、現在の基準ではややグレーゾーンに入ってしまうかもしれない悪ノリ上司によるオモシロ行為の強制にあたるのではないかという気がして、動画の雰囲気から父は支店の皆さんからきっと愛されていたと信じつつ、自分の身体に刻まれているDNAが引き起こしかねない問題行動のリスクに震撼いたしました。金次郎を直接知る読者の方は、もしそういう場面に遭遇したら、「金次郎さん、そういう性格なのは分かるけど、お父さんも心配しているからやめましょうね。」と優しく窘めていただけますと助かります(苦笑)。しかし、かの孔子先生は50歳にして天命を知る(=知命)とおっしゃったわけですが、あまりのレベルの違いに情けなさがハンパございません。

ちなみに誕生日当日は休暇をいただきまして、我々夫婦が東京ナンバーワンパティスリーだと愛してやまない目白のエーグルドゥースに大量のスイーツを求めに参りました。なぜ不謹慎にも休暇を取ったかといいますと、このお店は週末に行くと心が折れるほど長蛇の列に並ばされる可能性が有り、我が家からあまりアクセスの良くない目白まで行って、駅から10分歩いた末に炎天下で更に1時間とか並んで待つのは50代には耐えられないと思ったためです(笑)。目白駅からお店に向かっている途中で行列が見えたので、平日のくせに並んでいるじゃないか!と暗澹たる気分になりましたが、それはちょっと手前にあるつけめん 丸長の行列で一安心、目指すエーグルドゥースは3人待ちですぐに入店できました。ケーキ6点、焼き菓子16点、クッキー1点を買い求め会計が1万円ぐらいになりびびりましたが、昨今のスイーツ値上げトレンドと何より商品のクオリティを考えればそれでもまだかなり良心的な価格だと思い直しました。随分大量に買ってしまったなと感じたのは一瞬で、食べ始めると美味し過ぎてどんどんたいらげてしまい、二人で数日で完食いたしました。文字通りの中年太りが本当に気になります。

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金次郎、「峠」(司馬遼太郎著)を読んで新潟に出陣

先週機会が有り人生で初めて新潟県を訪問いたしました。浅学で恥ずかしいのですが、新潟については田中角栄元首相、上杉謙信、米どころ、ぐらいしか知識が無く、そもそも上越新幹線で東京駅からわずか2時間で新潟駅までたどり着ける距離感に驚かされるところから始まる素人丸出しの旅となりました。新潟に行くならと、会社の先輩に薦めていただいた司馬遼太郎大先生の「峠」(新潮社 )を事前に読んでいたおかげで、辛うじてこの新幹線が進んでいるあたりを主人公河井継之助が歩いていたのかなとイメージすることぐらいはできましたが、それ以上何かを考えて掘り下げる取っ掛かりも無く、間抜けのように東京駅のホームで買った駅弁を食べ、ぼーっとしながら越後湯沢、燕三条、長岡といった途中の駅の風景を眺めつつ、長岡から新潟は意外と遠いなというようなことを道中考えておりました。

そういえば、「峠」も幕末の長岡藩で下級武士から筆頭家老へと異例の出世を遂げ、戊辰戦争最大の激戦とも言われる北越戦争において新政府軍との闘いを指揮した異才河井継之助の人生を描いた物語で、越後の話ではあるものの微妙に新潟ではないな、と準備の不備にやや悲しくなったりもしました(苦笑)。勿論そんな金次郎の落胆とこの名作の価値は無関係で、発想や思想の幅は同時代人随一と呼べるほど開明的であったにも関わらず、信奉する陽明学の影響からか、重要な局面で継之助が見せる自らの長岡藩士という立場に拘る頑迷固陋ぶりはそれと非常に対照的で、坂本龍馬のようにシンプル&ストレートでないこの人物の複雑な多面性が伺え、それを苦心して描いている司馬先生のイメージも浮かんできて非常に面白く読めました。継之助がかなり偏屈で面倒臭い天才であったことは間違いなく、周囲の人はさぞや苦労しただろうと同情しますし、お墓が作られては壊されるというのを何度も繰り返しているエピソードが彼に対する賛否両論の激しさをよく表していて、そんな個性的なキャラの人に会ってみたかったような絶対に関わりたくないような少し不思議な気分にさせられる読後感でもありました。

若干話がそれましたが、いや読書ブログなのでそれてないのですが(笑)、旅の話に戻りますと、新潟と長岡は新幹線で20分ぐらい離れているちょっと違う場所だぞと最後に気づいた金次郎の絶望は結果的に杞憂となり、奇跡的にクライアントが長岡出身の方で、この本を読んでいたことが奏功したのか(先輩、ありがとうございます)、仕事の話はスムーズに進み、その後の飲み会も盛り上がった楽しいものとなりました。新潟は冬は寒く年中風が強く吹く土地柄で、女性が気もお酒も強くしっかりされていることから、〈新潟の杉と男は育たない〉、というのが新潟の特徴を端的に示す有名な表現だというようなお話をうかがいながら地元の特産品や美味しい日本酒をたらふく食べて飲んだのですが、中でも名物の油揚げは美味でしたし、北雪酒造の純米大吟醸YK35というお酒は芳醇かつフルーティーで、たくさん日本酒を飲んだ一週間にあっても最高の逸品だったと思います。そして、何の変哲も無くさらりと供される締めの白飯の旨いことといったらなく、普通の牛丼チェーン店でも米が不味いとすぐ潰れるという米どころ新潟の底力を垣間見た気分でした。唯一の心残りは、名物茶豆の季節に少しだけ早かった点で、何とか近いうちにまた機会を作って再訪したいところです。

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金次郎、新語shrinkflationについて考える

今年に入ってからずっと色々な商品で値上げがトレンドになっていて、妻がいつも買い物をしながら高い、高いと嘆いております。小麦粉価格上昇の影響からか、先日デリバリーをお願いしたCoCo壱番屋のカレーも5%程度値上がりしていて驚いたのですが、これまでかなりボリュームが有っておトク感十分で気に入っていたサラダの量が激減しているのに二度びっくりでした。トッピングもあまりに値上がったせいか大好きな旨過ぎるソーセージに加えて、価格を抑えたハーフソーセージといったメニューが登場するなど、お店側も対応に大変苦労されているなと感じました。これまたいつも注文するトッピングのナスは価格据え置きで一安心です。似たような感じで、スナック菓子などを中心に価格は据え置きで内容量を減らし実質的な値上げを行う動きも最近急速に増えていますが、これを英語では縮小するを意味するshrinkと価格上昇を意味するinflationを足してshrinkflationと呼ぶようです。Shrinkflationがいいか、inflationがいいか微妙なところではありますが、これまで何十年もデフレデフレと言われて育ってきた身としては、給料も上がらない中で値上げに気持ちがついていかないのでしばらくはshrinkflationの流行を希望したいと思います。中年としてはその方が食べ過ぎも防止できて一石二鳥と自分を納得させることにします。

さすがに本は内容を減らしてしまうと致命的ですので(笑)、とりあえず値上げの方向に向かうのでしょうが、単行本のコスト構造を見てみると、著者が印税として10%、書店が20%、取次が10%で残りの60%相当を出版社が受け取るというのが一般的なようです。とはいえ、出版社はこの60%の中から高給取りと言われる人件費は勿論、印刷・製本にかかる費用(含むデザイン・装丁)、取材費用、プロモーション費用を支払わねばならないなど、関係者のどなたもコストアップを吸収する余裕は無さそうで値上げ止む無しかとも思います。一方、そもそも我々の給料が上がらないことからも分かる通り、残念ながら人件費は上がりにくい傾向が有り、やむを得ず上がるのはそれ以外の取次の物流関連費用、出版社の物理的な製本に関わる費用(紙代など)ぐらいと想定され、全体の25%が2割上がって5%程度の値上げで済むのでは、と勝手に期待しております。ただ、こうして書きながら思いましたが、前向きな動きではないものの、やはりshrinkflationの流れとなると、新刊でも単行本でなく文庫本で出そう、ハードカバーでなくコストの安いソフトカバーで、というような縮こまった雰囲気が出版業全体に蔓延してしまいそうで、それはちょっと寂しいので、読書好きとしてはただでさえ不振な出版業界の未来のために値上がった本を買い支えてお金を回していく必要が有るぞと、歯を食いしばってそれ以外の場面では節約することを心に誓いました。

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