金次郎、知る人ぞ知る絶品食材ビワマスを堪能

いよいよ2022年も最後の投稿となりました。今年もずっと読んでいただいた読者の皆様、本当にありがとうございました。思い返すと妻の股関節痛がかなりひどい状況の中で難易度の高い仕事に取り組むことになった年初には、どうなることかと密かに結構気を揉んでおりましたが、色々な方のサポートをいただいたおかげで妻の状態も仕事もそれなりにうまい具合に運び、結果としては充実した良い一年になったと思います。お世話になった方々には感謝の気持ちでいっぱいです。こちらも誠にありがとうございました。一年間治療に励み頑張った妻をねぎらいつつ、自分も旨いものを食べたいとの下心から28日に行き着けのイタリアンを訪問したところ、シェフから金次郎さんのために特別なお料理を用意していると嬉しいサプライズをいただきました。ただ、以前もブログ内で紹介していますが、シェフの手になる四季折々のお料理はいつも全てが特別なので一体何が起こるのかと思いつつ待っていると、

“金次郎、知る人ぞ知る絶品食材ビワマスを堪能” の続きを読む

今回は、思い出深い「大草原の小さな家」づくし

福岡の田舎の公立高校に通っていた金次郎は、高3の春先に部活を引退した後に大学受験に向けた勉強を本格的に開始したのですが、色々と間に合っていなかったためにしばらく模試の成績も振るわずE判定を連発し、その遅れを取り戻すべく帰宅後にかなりの長時間自宅で勉強する生活を送っておりました。当時は精神的に頑丈だったのか、自ら定めた一日のノルマを終えるまでは眠らないという過酷な状況に自分を追い込んでおり、文字通り寸暇を惜しんで机に向かっていた記憶が有ります。そんな何の楽しみも無い苦行の日々を送る受験生金次郎の唯一の息抜きタイムが当時NHKで再放送をしていたドラマシリーズの「大草原の小さな家」をじっくり観て思う存分泣く、というものでした(笑)。

“今回は、思い出深い「大草原の小さな家」づくし” の続きを読む

金次郎、鮨の名店である六本木兼定で大将のお言葉に感動

先週は友人と鮨の名店である六本木の兼定に行ってまいりました。15歳でこの世界に入り、九州から青森まで日本中で様々な食材に向き合い修行されたこの道60年という達人の大将が長年培った信頼関係を通じてその日一番のネタを仕入れ、ネタの状態に応じた最高の仕事をした上で提供してくださるお刺身や焼き物そしてお鮨はいずれも絶品のクオリティで心の底から満足できる至福の時間でした。ビールのおつまみとして出されたただのワカメから相当美味しくていきなり感動でしたが、その後はメヒカリの揚げ物で、こんなに小さな魚なのにどうしてこれほどの良い味わいになるのかと不思議な気分となり、その謎についてさかなクン先生に聞いてみたいと真剣に思いました。そして、東京湾のヒラメ、スミイカ&アオリイカ、更に脂の乗ったカツオのお刺身を少しずつ切っていただき食欲が刺激されたところでいよいよお鮨のスタート。

“金次郎、鮨の名店である六本木兼定で大将のお言葉に感動” の続きを読む

金次郎、無趣味と思いきや意外と多趣味なことに気付く

読書をヘビーな趣味としている金次郎はなかなか他の趣味に手が出せずコロナで趣味と呼べそうなカラオケのハードルが上がった昨今では、テレビドラマやアニメ観賞、美味しい食事やスイーツ食べ歩きを軽めに楽しむというシンプルな暮らしをしております。いずれの活動もオタクの域には到底及ばず空き時間にちょこちょこやっているレベルですが、その程度の力の入れ方でも趣味認定できるなら、そういえばかれこれ30年ほど地味に競馬を楽しんでいることに改めて気づきました。1991年の上京当時は正に第二次競馬ブーム真っ盛りの頃で、スターホースのオグリキャップと武豊のコンビが第35回有馬記念を〈奇跡の復活劇〉で制した直後ということもあって、東京の流行には全く疎い福岡のおばちゃんであった母親から、東京では競馬の話ができないと話題についていけないらしいから勉強しなさい、と謎のアドバイスを何度もされたことを思い出しました。少し前のブログに登場したゼミ仲間のS君と勉強そっちのけで馬の話をしたことや、やや荒んでいた(笑)若手社会人時代に週末の度に朝から晩まで水道橋の馬券売り場や中山競馬場に入りびたっていたことが懐かしく思い出されます。下手の横好きレベルで馬券はあまり当たらないのに何がそんなに楽しいのかを考えてみると、与えられた膨大なデータを読み込んで自分なりに解釈し、それに多数の変動要因を重みづけしながら加味して仮説を作った上で、そこから導き出される予想と、世の中一般の予想を代表しているオッズとのギャップを機会と捉えてそのギャップに賭けるリスク・リターンが妥当かどうかを判断する、というプロセスそのものが好きなようです(笑)。こうして書き並べてみると、ビジネスにおける思考プロセスと非常に似通っている部分が有り、仕事が趣味を侵食しているのか、はたまた昔からの趣味である競馬が金次郎のビジネス思考の基盤となっているのか(不謹慎)微妙ですが、やっぱりあれこれと考え思いを巡らせるのは楽しく、楽しんでいるという意味では、色々と考えなくてはならないことが多く面倒な仕事も趣味的な活動の一つと言えるのかもしれず(?)、意外と多趣味な金次郎でした(笑)。ちなみに金次郎が重要視している競馬のデータは、それぞれの馬がどのぐらい強い相手とどういう勝負を過去にしているか、負けたレースに明確な敗因は有るか(道悪、出遅れなど)、斤量(=馬が背負う重さで騎手の体重も含む)において目立った有利不利は無いか、馬の能力の絶対値を示す過去レースでの走破タイム実績、競馬場との相性(右回り、左回り、最後の直線が長いなど)、などでしょうか。その他にも、体重の増減、調教の様子や厩舎情報から判断する調子の良し悪し、想定されるレース展開と脚質の相性、馬の血統的背景(これ好きな人多い)などなど考慮すべき要素は無限に有りますので、全てのデータを集めることも、ましてや予想を〈的中〉させることは絶対にできません(笑)。また、確率的にも胴元であるJRA様に3割を上納した後に残額を当たった人で分け合う仕組みですので期待値は低く、理論的には馬券を買い続ける程損をする構造になっており、金次郎も30年に亘る競馬人生でそれなりのマイナスを被っておりますが、それを代償としてたくさんの変動要素を含む事象をまかりなりにも腰を据えて分析する訓練を積むことができ、あらゆる情報が反映され市場メカニズムが働いた結果であるマーケット(競馬の場合はオッズ)に対し、自分の予想が正しく市場参加者は間違っているといった類の傲慢さを排して謙虚かつニュートラルに向き合えるようになったということで差し引きプラスと考えたいと思います。どんなことでも長年やっていると何某か役に立つものですね。

さて、前段がかなり長くなってしまいましたが(これでも相当削りました)、本題の本の紹介です。「蒼穹の昴」(浅田次郎著 講談社 )は中国の清朝末期を舞台に繰り広げられる西太后派と光緒帝派との政争や、清朝が西洋列強に日本を加えた外圧への対応に苦心する様子を描いた歴史小説です。物語は自ら宦官となり西太后に使える李春雲と、難関とされる科挙にトップ合格し光緒帝の改革を支える官僚となった梁文秀という運命のいたずらで敵味方に分かれる義兄弟を軸に展開していきますが、守旧派である筈の春雲が従うべき天命に必死に抗い、逆に改革派である文秀が天命を受けた皇帝に尽くすというねじれた構造になっていることが、それぞれの葛藤を深めストーリーに味わいを加えていると感じました。また、一般的な歴史認識では権力に執着し国家財政を私物化した残虐非道な悪女とされる西太后慈禧が実は周囲の皇族が頼りないが故に清朝を守るべくやりたくもない政治に取り組まざるを得なかったとの設定となっており、「当時清朝宮廷に男は西太后しかいなかった」という外交官コメントにも結構リアリティが有ってなかなか興味深いです。この機会に「西太后秘録 近代中国の創始者」(ユン・チアン著 講談社 )を再読してみましたが、強まる外圧に対抗するために義和団に頼ってしまった失政はさておいても、西太后は細やかな気遣いもできる辣腕政治家との評価で、20世紀に入った統治終盤では議会制度を取り入れた立憲君主制を導入しようとする程の開明的人物との歴史認識が提示されており、初読の際に意外で驚いたことを思い出しました。忘れていたのが悲しいですが(涙)。一方、「蒼穹の~」では日清戦争後の下関会議全権として伊藤博文公と渡り合った教科書でもお馴染みの李鴻章が、文武に秀で海外からも尊敬を集めるスーパーマンであり、かつ非常にロマンチックな人物として描写されているのに対し、「西太后~」では主体性の無い典型的な官僚として登場していて違いが結構面白いです。袁世凱はどちらの作品にも狡猾な小物として描かれていて歴史認識通りでした。「蒼穹の~」は続編のシリーズ作品が有るようなので、こちらも読まねばです。

「此の世の果ての殺人」(荒木あかね著 講談社)は満場一致で江戸川乱歩賞を受賞したミステリーの秀作です。小惑星テロスが間もなく地球に、しかも日本の熊本付近に衝突すると発表され全世界が大混乱に陥る中で、大宰府在住(懐かしい)の主人公小春が、勿論誰も免許など交付してくれないにも関わらず、自動車教習所に通い元刑事の変人教官イサガワに淡々と真面目に運転の指導を受けている状況が非現実シチュエーションの中での更に有り得なさそうな行動という一周回った不思議な感覚でいきなり物語に引き込まれました。その後二人は大多数の人が希望を失くして荒んでしまった世界で、連続殺人事件の謎を追うことになるのですが、どうせもうすぐ皆死んでしまう世界で何故敢えて殺人を犯さねばならないのか、何故その殺人を更にわざわざ捜査しなければならないのか、登場人物それぞれの動機が非現実的な世界で巧い具合に説得力を持って成立しているところが絶妙だなと感じました。

以前ドラマでの清原果耶さん演じる城塚翡翠がイメージと違うとこのブログで書きましたが、続けて観ているうちにイラっとさせる彼女のおとぼけキャラがクセになりつつあります。脇を固める小芝風花さんの演技が意外といい味を出していてこちらも気に入っております。


読書日記ランキング

金次郎、同期に友人が少ない寂しさから少し気を取り直す

金次郎のITリテラシーが恥ずかしいほど低い話を最近のブログで書いた記憶が有りますが、ふと15年ぐらい前のWindowsのバージョンのOutlookの中に〈同期〉というコマンドが有ったことを思い出しました。さすがに今ではsynchronizeのことだと理解できているものの、当時の金次郎は、これを会社の同期全員にメッセージを発信するコマンドだと本気で勘違いしており、同期に友人が少なかったこともあいまって、こんなの誰が使うのだろう、Microsoftも変なことを考えるものだな、日本向けにカスタマイズしたのかな、などと理不尽にも不審に思っておりました。同僚にその疑問を伝えなかったことがせめてもの救いです(笑)。先日会社企画の講義を聴講したのですが、その中で職場で女性の活躍が制約される要因として岩盤の年功序列システムが挙げられており、少なくとも出産という物理的なブランクを不利として構造化するという点で、それはその通りだと思ったのですが、この年功序列システムを精神的に支え補強しているのが正に入社年次とその記号的意味合いを越えた〈同期〉というものへの過度な思い入れというか拘りなのだろうなと感じました。人事関連に限らず会社の同僚についての会話では、常に○○は何年入社で誰と同期というスケールを持ち出さないと話が始まらず、このところ増えている中途入社の方々も即座に××年入社扱い、として、それまでに積んできた経験や身に着けた能力とは無関係にこの1年刻みの実質を伴わないマトリックスに組み込まれてしまうというのは、ちょっと現代的ではないのかなと思います。ひねくれ者の金次郎は、入社時に同期と仲良くしていないと仕事上助けてもらえず困ることになるよ、と言われたことに無駄に反発し、友人はそういう打算で作るものではないと同期会的な集まりを頑なに避け続けた当然の帰結として友人の少ない淋しい社員となったわけですが(涙)、年齢、性別、国籍など表面的属性のバイアスを排除して、それぞれのビジネスパーソンを発揮し得る価値で評価すべきという時代の大きな潮流の中で、金次郎は寂しいただの意固地野郎以外の何者でもなかった事実はともかく、ただの結果論というだけでも21世紀の先取りであったという点で自分を褒めてあげたくなりました(笑)。入社年次という概念が100%排除され、目の前の同僚を、昭和生まれ男性とか、バブルとかゆとりとか、ジェネレーションYとかZとかそういうラベリングが生み出すステレオタイプの先入観に縛られず純粋にどんな人なんだろう、と考えながら一緒に働く状況をイメージすると不安3割、刺激7割という感じで、現行システムの恩恵にあずかりまくっている年代としては厳しく緊張しまくりの状況になるとは思いますが、きっと成長にも繋がり楽しくもあるのだろうと考えたりもしております。そうなると、いよいよ大人から子供まで誰に対しても敬語で話す時代の到来ということになりますね。この話を宿敵Mとしていたら、Mがこんなに同期に拘るのはうちの会社か吉本NSCぐらいではないかとなかなか面白いことを言っていました。芸の世界は実力が全てなので何故だろう、とやや疑問に感じましたが、年功序列とは違うものの〈同期〉的なものへの日本人の強い思い入れを巧みに利用して、そのストーリーでファンを引き付けようとする吉本の戦略なのだろうという結論に辿り着き一人で納得いたしました。

“金次郎、同期に友人が少ない寂しさから少し気を取り直す” の続きを読む