金次郎、2010年に48歳で早逝された民俗学ミステリーの鬼才北森鴻先生を偲ぶ

最近歯医者さんにお世話になる機会があり、その後お決まりコースの歯のクリーニングとなりました。そんな中で感じた違和感が、歯科衛生士さんにより何度も繰り返される「あいてください」というフレーズ。口を開けなければ治療はできないので、合図は別にどんな言葉でも良いのですが、さすがに「あいてください」は違うんじゃないのと気になって気持ちよい筈のクリーニングに全く集中できません。

そもそも「あいて=開いて」は「開く」というさ行五段活用動詞の連用形「開い」に接続助詞(補助)である「て」が連なっている形で、「開く」は自動詞なので、「あいてください」で省略されている「開いて」の主語は「口」ということになります。つまりこの歯科衛生士の方は、金次郎の「口」に向かって開けゴマ的に「あいてください」と指示を出している構図になっており、いやいや「口」に指示を出すのは持ち主たる金次郎なので、先ずはこちらに話を通して下さいよ、という気分になります(笑)。

正解としては、「金次郎さん、お口をあけて下さい」の省略形である「あけてください」だと思うのですが、よく考えると主語である金次郎の顔面はタオルで覆われており、タオルに向かってお願いするのもなんなので、表に出ている「口」さんに「あいてよ」とお願いしたくなるのもちょっと分かるような分からぬような。ちなみに「あける=開ける」はか行下一段活用動詞(他動詞)である「開ける」の連用形+「て」ということになります。

もしかしてだけど(♪ドブロック)、衛生士の方のマニュアルには「ひらいて=開いて」を使い「金次郎さん、お口を開いてください」と記載されていたものを読み違えて「あいてください」になってしまったのか、とも一瞬思いましたが、「口をひらく」となるとどちらかというとしゃべることを意識した口開けの意味が強くなり、「心をひらいて」とか「手術で胸をひらく」のような意志をともなう状況を叙述する表現と思われ、やはりただの覚え間違いかな、と非常にどうでもいい結論に到達してしまいました(苦笑)。以前のブログでご紹介した、内館先生のようなちょっとややこしいうるさ型にならぬよう気を付けねば。

さて今回は、非常に残念ながら11年前に48歳の若さ(現在の金次郎と同じ歳)で早逝された民俗学ミステリーの鬼才北森鴻先生の代表作である蓮丈那智フィールドファイルシリーズについて紹介します。

「凶笑面」「触身仏」「写楽・考」「邪馬台」「天鬼越」(いずれも新潮社)の5作から成るこのシリーズは、孤高の民族学者である蓮丈那智が助手の内藤三國と共に、古くからのしきたりに関連して日本中で発生する事件を民俗学的な視点と膨大な知識で解決に導くというお話が多数収められている作品群です。記紀にはじまり、習俗や宗教、中国の史書にいたる広範な知識を自由自在に組み合わせて納得感の高いストーリーを構成する北森先生の博覧強記ぶりとクリエイティビティには畏敬の念すら感じます。特に繰り返し出てくるモチーフのたたら(=製鉄業)を鉄器(=軍事力)という観点から列島内の支配階層と結びつけて、製鉄民族の移動(燃料である木材を使い果たすため)と支配体制の推移を関連付ける考え方には非常に腹落ち感が有りました。

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金次郎、「旅する練習」の三島由紀夫賞受賞をきっかけに文学賞について整理する

このブログでも紹介し、強敵「推し、燃ゆ」なかりせば芥川賞であったと思われる乗代雄介先生の「旅する練習」(講談社)が第34回三島由紀夫賞に選出されました。ちなみに昨年の第33回は宇佐見りん先生の「かか」(河出書房新社)が受賞していますし、最近の結果を見ても、上田岳弘先生、本谷有希子先生、村田沙耶香先生、今村夏子先生と作品はそれぞれ違うものの両方の賞を受賞されている作家が多く、乗代先生も有名になり過ぎてまだあまり売れていない新人作家から選出するという芥川賞の選考基準から外れない限りは受賞が濃厚と勝手に予想しております。

また、芥川賞未受賞者を対象とするとの暗黙のルールの下、新人の登竜門として新たな才能を発掘することに注力している野間文芸新人賞(講談社)を取ると、その後かなりの確率で芥川賞を受賞するのが一つのパターンとなっており、乗代先生はこちらも「本物の読書家」(講談社)で受賞済みであり、まさに今もっとも芥川賞に近い純文学作家といえるかと思います。

三島賞は純文学や評論、詩歌や戯曲までが対象となりますが、同じく新潮社が後援している山本周五郎賞は優れた物語に与えられる賞で、同じ方向性の直木賞よりは若干文学的というかエンタメに振り切れていないとの印象です。今年の受賞作はここしばらく読みたい本リストのかなり上位に入っている「テスカトリポカ」(佐藤究著 KADOKAWA)で、メキシコとインドネシアと日本で麻薬密売と臓器売買が出てくるお話だそうで、ちょっと想像を越えていますがとにかく読むのが楽しみです。

文学賞では上に挙げた芥川賞や直木賞が年二回の選考ということもありメディアへの露出も多く文学界の最高峰というようなイメージをお持ちの方もいらっしゃるかと思いますが、特に芥川賞は(三島賞もそうですが)、上述の通り選考対象が新鋭作家の作品とされており、権威としてはそこまで高いというわけではないようです。

それではどの賞がより権威が有るかというと、ちょっと自信がありませんが時代を代表する小説や戯曲を選ぶコンセプトの谷崎潤一郎賞(中央公論新社)、同名の新人賞(吉川英治文学新人賞)が存在するのでベテラン作家が受賞することの多い吉川英治文学賞(講談社)などが該当するかと思います。ちなみに最新の谷崎賞は「日本蒙昧全史」(磯﨑憲一郎著 文芸春秋)、吉川賞は「風よ 嵐よ」(村山由佳著 集英社)となっており、磯﨑先生は芥川賞、村山先生は直木賞受賞経験者でなんとなくより高い到達点という位置づけを感じますよね(笑)。

ただ、この他にも、川端康成文学賞(短編)、泉鏡花文学賞、野間文芸賞、柴田錬三郎賞、司馬遼太郎賞などなど数多くの文学賞があり、全貌は全く掴めておりませんので間違っていたらすみません。

更にこれ以外に高額賞金でも有名な江戸川乱歩賞のようにミステリーを対象としている多くの賞や、本屋大賞や新井賞のように本屋さんが何らかの形で選んでいるもの、最初にも少し書いた新人賞など挙げだしたらきりがなく、この世界は本当に奥が深く深入りするのが少し怖いです(笑)。

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金次郎、最高のスパイミステリーである「ジョーカー・ゲーム」(柳広司著)シリーズを堪能

 

今年の9月からデジタル庁が創設されることが決まったとニュースでやっていましたが、この話題を耳にするたびになんとなく違和感を感じ続けていたため、ちょっとじっくり考えてみることにしました。デジタルという言葉の意味は、ばらばらの、離散した、量子的な、のような感じで、対義語のアナログは、連続した、となるわけですが、そもそもよく考えたらこれは形容詞じゃないですか。直訳すると、ばらばらな庁、離散した庁、量子的な庁となり、百歩譲ってカタカナを使ってもデジタルな庁ということで意味が全く分かりません。なんとなくイケてる感じにしたかったのは理解できるものの、財務省や経済産業省、あるいは国税庁やスポーツ庁のようにきちんと何を担当するのかを表す名詞を前に持ってくるべきで、例えばデジタル産業庁、デジタル基盤推進庁、デジタル技術庁、国民デジタル官吏庁などでしょうか(笑)。違和感の正体が分かってすっきりしましたが、極端な話ビューティフル庁やクール庁と同じ構造の名前になっており、非常に情けないと同時にこの新設された庁の先行きが危ぶまれる、ひいては日本のデジタル化の遅れがどんどん加速してしまう懸念でとても不安になるニュースでした。また、高給取りになり得るデジタル技術関連で高いスキルを持った人が果たしてデジタル庁に公務員として安定的に務めてくれるのだろうか、と考えると暗澹たる気分になります。頑張ってくれ、ガースーさん。

さて、本日はこのところはまっている柳広司先生の本を何冊か紹介します。

「ジョーカー・ゲーム」(KADOKAWA)、「パラダイス・ロスト」(KADOKAWA)、「ラスト・ワルツ」(KADOKAWA)はいずれも戦前戦中の日本陸軍の中に秘密裏に創設されたスパイ養成組織である〈D機関〉で訓練を受けたとんでもない能力を持つスパイたちが繰り広げる諜報戦を描いたスパイミステリーシリーズです。目的を遂行するためにはスパイは目立つべきではなく、そのためには絶対に殺人という注目を浴びる行為は犯さない、そして、死ぬことは何の役にも立たず、心臓が動いている間は生きて情報を持ち帰ることだけを考える、というスパイの行動哲学が、当時の如何に死ぬべきかを神聖視する価値観と真っ向から対立しているのが非常に面白い。また何といっても、〈D機関〉の創設者であり全てを統率し魔王と呼ばれ怖れられる存在の結城中佐の仕事を徹底的にやり切る姿が最高にカッコいい作品です。それぞれの短編に違う名も無きスパイたちが登場し、どんな窮地に追い込まれても軽々と任務を遂行するプロフェッショナリズムにはフィクションであることは分かりつつ感動させられます。

金次郎は愛する第二の故郷シンガポールのラッフルズホテルが舞台となっている「失楽園」、華族恋愛モノかと思いきやしっかり裏切られる「舞踏会の夜」が好きでした。都合つかず未読なシリーズ作品の「ダブル・ジョーカー」(KADOKAWA)も早く読みたくてうずうずしております。

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金次郎、「ヘルメースの審判」(楡周平著)でGWの読書を開始

本日5月4日に妻と共にロックバンドSPYAIRの配信ライブを観ました。King Gnuみたいに尖ってもおらず、優里みたいに雰囲気もなくて、ゴリゴリのハードロックでもないバンドですが、ファンを大切にしながら、音楽に精一杯の情熱を注いでいるメンバーの姿が昭和生まれの我々の心に刺さります。今日はアルバムツアーのファイナルが無観客になってしまって可哀想か生ライブで再会できる日を夫婦共々楽しみにしています。

配信といえば、会社ではすっかりオンラインでの会議が社内外を問わず標準化して久しいですが、先日ちょっと気になる記事を見つけました。その記事によると、40代以上のオジさん達の中でオンラインを意識してメイク=お化粧をする人の数が増えているとのこと!え?40代以上って、金次郎もど真ん中で入っているじゃん、GW明けからメイクしないといけない??と若干パニック気味になりつつ妻に相談したところ、非常に冷たい視線を浴びせられました(苦笑)。

どうやら、参加者の顔が等分に画面に並んでしまうオンライン会議では、オジさん達がまとっていた所謂、年齢や経験を重ねたことによる押し出しや威厳、そこはかとなく醸し出される風格やオーラのようなものが全く効果を発揮せず、画面上での見栄えのみで勝負しなければならなくなって若い者に太刀打ちできなくなってしまった中年軍団が焦って見た目を取り繕おうとした結果のブームのようです。金次郎はそもそも風格無いですし、オーラ全く出てませんし、下手すると自分の気づかぬところでオジ臭を発している恐れすら有る48歳なので逆に有利かも?などと思いつつ、特段メイクには取り組まず、会議での発言内容で勝負しようという当たり前の結論に辿り着きました。と言うか、発言時の声をガンダムのシャアや名探偵コナンの赤井でおなじみの池田秀一さんの声に変換するアプリが有ればぜひ入れたいところです(笑)。でも、あの素敵な声でブロークン英語をしゃべったり、論理破綻した意味不明コメントをしたりしたらネガティブギャップで大ダメージなような気もしますね。

さて、本題です。今回は最近米ファンドから買収提案を受け話題となった東芝がモデルと思われる「ヘルメースの審判」(楡周平著 KADOKAWA)を読んでみました。世界的電気メーカーであるニシハマ(東芝)による米原発関連企業のIE社(WH社)の高値掴み買収後に次々と発生した、知見の無いLNG事業進出、モンゴルでの核ごみ処理に関する密約疑惑、巨額の粉飾決算発覚といった様々な問題が恐らくかなり事実に即したストーリーで描かれており、なるほどそういうことだったのか、と頭がすっきり整理できます。

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