金次郎、「ヘルメースの審判」(楡周平著)でGWの読書を開始

本日5月4日に妻と共にロックバンドSPYAIRの配信ライブを観ました。King Gnuみたいに尖ってもおらず、優里みたいに雰囲気もなくて、ゴリゴリのハードロックでもないバンドですが、ファンを大切にしながら、音楽に精一杯の情熱を注いでいるメンバーの姿が昭和生まれの我々の心に刺さります。今日はアルバムツアーのファイナルが無観客になってしまって可哀想か生ライブで再会できる日を夫婦共々楽しみにしています。

配信といえば、会社ではすっかりオンラインでの会議が社内外を問わず標準化して久しいですが、先日ちょっと気になる記事を見つけました。その記事によると、40代以上のオジさん達の中でオンラインを意識してメイク=お化粧をする人の数が増えているとのこと!え?40代以上って、金次郎もど真ん中で入っているじゃん、GW明けからメイクしないといけない??と若干パニック気味になりつつ妻に相談したところ、非常に冷たい視線を浴びせられました(苦笑)。

どうやら、参加者の顔が等分に画面に並んでしまうオンライン会議では、オジさん達がまとっていた所謂、年齢や経験を重ねたことによる押し出しや威厳、そこはかとなく醸し出される風格やオーラのようなものが全く効果を発揮せず、画面上での見栄えのみで勝負しなければならなくなって若い者に太刀打ちできなくなってしまった中年軍団が焦って見た目を取り繕おうとした結果のブームのようです。金次郎はそもそも風格無いですし、オーラ全く出てませんし、下手すると自分の気づかぬところでオジ臭を発している恐れすら有る48歳なので逆に有利かも?などと思いつつ、特段メイクには取り組まず、会議での発言内容で勝負しようという当たり前の結論に辿り着きました。と言うか、発言時の声をガンダムのシャアや名探偵コナンの赤井でおなじみの池田秀一さんの声に変換するアプリが有ればぜひ入れたいところです(笑)。でも、あの素敵な声でブロークン英語をしゃべったり、論理破綻した意味不明コメントをしたりしたらネガティブギャップで大ダメージなような気もしますね。

さて、本題です。今回は最近米ファンドから買収提案を受け話題となった東芝がモデルと思われる「ヘルメースの審判」(楡周平著 KADOKAWA)を読んでみました。世界的電気メーカーであるニシハマ(東芝)による米原発関連企業のIE社(WH社)の高値掴み買収後に次々と発生した、知見の無いLNG事業進出、モンゴルでの核ごみ処理に関する密約疑惑、巨額の粉飾決算発覚といった様々な問題が恐らくかなり事実に即したストーリーで描かれており、なるほどそういうことだったのか、と頭がすっきり整理できます。

硬直的で風通しの悪い組織風土、学閥や純血主義の弊害、減点主義と戦略なき増収増益の経営目標化などなどちょっと前には日本の大企業の殆どに当てはまったであろう課題を放置していたらどんな恐ろしいことが起こっていたのか、という例証を平成時代のビジネスパーソンとして自分の来し方と照らし合わせつつ冷や冷やしながら読み進めた次第です。

一方、核ごみ処理や廃炉問題を片付けぬまま、短期的な電力需要の充足だけを考えて原発依存度を高めた世界は反対派からは〈トイレのないマンション〉と揶揄されていますが、その状況と、数十年後に顕在化すると想定されているパネル廃棄処理という課題に真剣に向き合うことなく、流行するに任せ普及が進んでいる太陽光発電の構造が重ね合わせて記載されている点には複雑な心境にさせられましたし、廃炉の技術開発を担うべき会社として国策的に潰すことはできない、と居直っている下りには、実情は理解するものの何となく釈然としない印象が残り、とにかく色々考えさせられる本でした。

また、当時の政権との関係や、様々な利権を巡り暗躍する大物小物フィクサーの登場などエンタメ的にもなかなか興味深く、ためになるビジネス小説の書き手である著者作品の中でも、上位にランクする作品だったと思います。

東芝関連では、少し前に読んだ「テヘランからきた男 西田厚聡と東芝壊滅」(児玉博著 小学館)、「東芝の悲劇」(大鹿靖明著 幻冬舎)、「東芝解体 電機メーカーが消える日」(大西康之著 講談社)も参考になると思います。これらの本を読み通してみると、電電ファミリーにおける電話料金同様、電力ファミリーの安定収益基盤だった電気料金への総付け替えシステムが揺らぐ中、窮余の策として知見や経験の蓄積が不充分なままWH社買収をはじめとする海外M&Aに突き進んだこと、P/L至上主義への拘泥、西室氏・西田氏・佐々木氏など経営トップへの過度の権力集中、文系社長の弊害といった個別の問題もさることながら、「ヘルメース~」の主題となっている、画一的で硬直的な縦割り組織や人事制度の下では、激動の時代に世界規模のコングロマリットの舵取りができる経営のプロフェッショナルを継続的に育成することができない、という耳の痛い現実が問題の本質であることがよく理解できます。

雰囲気変わりますが、発売前なのに第13回新井賞受賞が決定した話題作「俺と師匠とブルーボーイとストリッパー」(桜木紫乃著 KADOKAWA)は、極寒の釧路のキャバレーを舞台に、進むべき道を見つけられない青年と一見明らかにイケていない3人のどさ周り芸人が繰り広げる滑稽でいて心にしみるやり取りが、コロナで荒んだ気持ちを暖かく絆してくれる最高のヒューマンドラマで非常におすすめです。

宣伝文句上は世界的有名マジシャンとされている師匠は失敗ばかり、シャンソン界の大御所であるソコ・シャネルは見た目はごついオジさん、今世紀最大級の踊り子であるフラワーひとみは究極の年齢不詳と存在確率としては現実と空想の狭間にいるような3人ですが、その腹の据わった生きざま、プロとしての覚悟、そして不器用な優しさが何とも言えぬ人間らしさを醸し出し、日曜午後2時フジテレビの「ザ・ノンフィクション」ばりのリアリティで心を打ちます。

僅か1か月を描いたこの物語の濃密さを堪能しながらも、一方でいつまでも終わって欲しくないという気持ちにさせられる、何の事件も起こらないのに心をわしづかみにして離さない、なんとも捉えどころが無いようでいて抜群に素敵な作品でした。

特に納骨のシーンで感じた、世界を本当に大切なこととそうでないことにスパっと切り分けられる潔ぎよさ、そういう感覚を根っこのところで共有できる人々と出会えることの素晴らしさ、には本当に感銘を受けた金次郎でした。今のところ小説ジャンルでは今年ナンバーワンの作品ですので、次回の本屋大賞候補作に入ったら思い入れで上位予想してまた外してしまいそうです(笑)。

あーもうすぐGWが終わってしまう。緊急事態でどこにも行けずネタの枯渇も深刻です。最近遅まきながらTwitterを始めたので面白いネタが見つかるといいな。

 

投稿者: 金次郎

読書が趣味の50代会社員です。

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