会社の先輩に薦められ、有名作「冷静と情熱のあいだ」を読む

緊急事態宣言も解除となり、東京都のリバウンド防止措置期間も終了したことで、出社率上限が撤廃されたことを受け、今週からそこそこ会社に行くようにしております。そして、スーパー久しぶりにお客様とリアル面談をしたのですが、面談が終わったタイミングがちょうどランチタイムでしたのでその近所の名店「はしご(入船店)」で超久々にダーローダンダン麺を食べ心の底から感動しました。二日酔い時にこそ最強に旨いと感じる中毒性抜群のラーメンですので前日お酒を飲まなかったことをやや後悔したものの、それでも十分ダンダン麺は美味でした。そして、「はしご」の密かな楽しみである黄色い漬物も健在で、白ご飯が黄色ご飯になるほど山のようにご飯に載せて堪能することができました。ただの千切り沢庵だと思うものの、49年の人生であれ以上の飯の友に出会ったことが無いのできっと何か中国四千年の秘密が隠されているのだろうと勘ぐっております。オフィスに戻った後も興奮冷めやらず、「はしご」に行って黄色い漬物を山のように食べたと複数人に自慢し全員から羨ましがられるフィーバー状態となり、若干仕事への集中力が削がれたことは否めません。すみません。コロナが永遠に落ち着いて、全てのサラリーパーソンが愛する「はしご」のダンダン麺と黄色い漬物をいつでも食べられる平和な世の中がずっと続いてくれることを心から祈った一日でした。

前回のブログで長期間離れ離れだった男女が久々に再会するというホットな内容について書き、「流沙」と「マチネの終わりに」をそういうストーリーの小説として紹介しました。すると、そのブログを読んで下さった会社の先輩から「冷静と情熱のあいだ」もそんなお話だよと薦めていただいたので、早速週末に一気に読みました。本作は人気作家二人の合作で交互に1章ずつ連載されたものを単行本二冊にまとめたという珍しい構成となっていて、男性(阿形順正)目線で描かれた「冷静と情熱のあいだ Blu」(辻仁成著 KADOKAWA)と女性(あおい)目線の「~ Rosso」(江國香織著 同)が対になっており、どちらから読むかで印象が変わるというなかなか凝った作りの恋愛小説です。

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長い間離れていた二人は幸福になれるのか、小説に例を探してみる

最近あのお二人が話題ですが、婚約中とはいえ、3年2ヵ月も会っていないのにいきなり結婚してしまうという荒業が可能なのだろうか、とどうしても思ってしまう今日この頃です(笑)。3年といえば、中学生は高校生になり、大学新入生が上手くいけば就職が決まってしまうほどの期間ですし、企業では中期経営計画の期間として一般的で、何が言いたいかというと、だいたい物事に一区切りを付けて次の新たな展開に進んでいこう、というぐらいの長さなわけです。そんな長い間、リモートでのコミュニケーションはあったにしろ全く直接会うことなく、ちゃんと関係が維持できて上手くいく話なんてご都合主義の小説でも滅多にお目にかかれないような・・・、と思いつつ記憶を掘り起こしてみました。

時間的空間的遠距離恋愛小説として真っ先に思いつくのが、「流沙」(井上靖著 文芸春秋)です。西ドイツのボンで暮らす考古学者とパリを拠点にしているピアニストが出会って直ぐに結婚を決めるものの、若さというか未熟さゆえに、あっという間に問題が発生し、お互い海外在住ということもあり、2年半も離れ離れで暮らした後破綻寸前までこじれるものの、どういう訳かインドというかパキスタンのモヘンジョ・ダロ遺跡(インダス文明!)で奇跡的に復縁するというお話です。全体的なストーリーの雰囲気がお二人の図式と似ていると思ってしまうのは金次郎だけでしょうか。気になったので、最後のところだけ読み返してみると、エピローグ的に終章として書き込まれている恋愛を終わらせた別の登場人物女性の手紙が非常に印象的でした。その手紙の中ではちょっとネガティブな意味で〈凍れる愛〉というドキりとする表現が使われていましたが、お二人は3年前にフリーズドライして保存してきた(?)愛情をうまく溶かしてホカホカにしていただければ良いな、と思いました(意味不明)。

次に思いつくのは、なんと足掛け6年で3回しか会えなかった二人の悲しい大人の恋を描いた「マチネの終わりに」(平野啓一郎著 文芸春秋)ですね。最近映画化もされましたのでご存知の方も多いかと思います。主役は男性が天才クラシックギタリスト、女性がPTSDを抱えるジャーナリストということで共通点があるような無いようなですが、王子と王女のラブストーリーという感じでは全くなく、なんとももどかしい上にドロドロの展開も入り込んでくることに加え、必ずしも誰もが認めるハピエンというわけではないのでやはり参考文献としてはやや不適切かなとも感じました。しかし、奇しくもラストシーンはニューヨークとなっておりやっぱりちょっと奇遇かも。二作ともボリューミーではありますが面白いお話なので、今回の騒動を機に、長い間会えない二人の恋愛模様というテーマで秋の夜長に読書してみるのも一興かと思います。

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金次郎、シャインマスカットを食べつつドイツ現代史を学ぶ

今週は無事に年に一度の人間ドックを終え、コロナ禍においても体重微減、腹囲やや圧縮、悪玉コレステロール少し低下と最低レベルはクリアした結果で胸をなでおろしました。約20年前のシンガポール駐在時の美食がたたり、いつまでも脂肪肝が治らないのがノドに刺さったトゲとなっており、肝硬変などに悪化せぬようこの一年は牛豚を中心に食材から肉類を減らすと妻に宣言され、せっかく今半精肉店の近くに住んでいるのにと悲しい気分となりました。とは言え、スイーツ制限を全うしたことへのごほうびとして値段にこだわらず好きな食べものを買ってよしとのゴーサインが出ましたので、サモハン・キンポー(古い)ぐらい目玉が飛び出るほど高額のシャインマスカットを清水の舞台から飛び降りる覚悟で購入いたしました@日本橋三越。

ご存知の通り一般にマスカットと呼ばれるぶどうの女王マスカット・オブ・アレキサンドリアとアメリカ栽培種のスチューベンを交配させたものに更に白南を混ぜてできあがったシャインマスカットは甘さと香りが素晴らしい人気ぶどう品種ですが、お高いイメージを裏切らぬ高額ぶりに売り場でビビって、店員さんに「その隣のやつでいいです・・・」とワンランクダウン(笑)。この高価格には、1.2006年に登録されたばかりの品種で相対的に栽培農家が少なく供給量が多くない、2.種なしにするためのジベレリン処理が他品種より大変で生産コストが高い、という背景があるようです。中でも岡山産は安定した気候がこの品種に好適なため皮が薄くエグ味も少ない出来栄えとなるようで、山梨産や長野産が高地での栽培となり気温の変化から若干皮が厚めとなる傾向のため、これらと比較してやや高値で取引されているようです。シャインマスカットは皮まで食べても美味しいのが利点ということで、気合でこれ以上のレベルダウンには踏みとどまり岡山産を購入いたしました。また、種がなく食べやすいのも無精者の金次郎には大きな魅力であるシャインマスカットですが、そもそもデラウェアに代表される種なしぶどうはそういう品種だと思い込んでいて、ぶどう農家の皆さんが植物ホルモンであるジベレリンを使って一房一房丁寧に処理して下さっていることを恥ずかしながら初めて知った金次郎は、非常に情けない気分となった一方で、舞台から飛び降りる値段を支払ったことで少しでもその手間暇に報いることができれば良いなと感じた次第です。

ただ、シャインマスカットのラグジュアリーなイメージに反し、高額ぶどうランキングではなんと第三位ということで、上には上が有るようです。気になる第二位はシャインマスカットの親品種であるマスカット・オブ・アレキサンドリアでジベレリン処理ができず種なしにならない不利にも関わらず、日本での生産が気候の関係で難しいことから、需給バランスが反映されて高額で取引されているようです。勿論、麝香(=ムスク)のような芳香と満足感の高い甘さはお値段に見合うクオリティであることは間違い無しです。とは言ったものの、金次郎が紀元前から続く由緒正しい本物のマスカット・オブ・アレキサンドリアを食したことが有るのかについては甚だ疑問ではありますが(笑)。

そして、栄えある高級ぶどう第一位は石川県の戦略商品となっていて、初セリ価格が今年は一房140万円(!)を付けたルビーロマンという品種です。ほとんどマグロの世界ですね。一房が約400グラム、中には一粒が30グラムを超えるものもあるそうで、巨大なのに味は繊細という魅力的な品種のようです。こちらも2007年登録と歴史が浅く流通量も少ないため、通常時でも一房1万円以上を支払う覚悟をしても入手が容易でないとのことで、そこまで言われるといつかどうしても食べてみたいと中年の夢が一つ増えました(笑)。

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「二重らせん 欲望と喧噪のメディア」を読み、意外な日本のメディア王の存在を知る

早くも10月に入り、金次郎は毎年恒例の人間ドック前スイーツ断ち期間に入っております。ここしばらく中央区・江東区界隈を散歩した後のスイーツ購入というカロリーのマッチポンプ状態を続けておりましたので正直非常に苦しいです。ただ、緊急事態も解除となりこれから年末にかけてカロリーマッチマッチモードに入ると懸念されますので、ここでぐっとこらえて体重を落としておくのが50代目前のオヤジとして取るべき道と歯を食いしばって耐えております。

さて、気分を変えて本の話です。「二重らせん 欲望と喧噪のメディア」(中川一徳著 講談社)は1959年にそれぞれ民放第三局、第四局として誕生したフジテレビとテレビ朝日(旧日本教育テレビ→NETテレビ)が生み出すカネと利権を我がものにしようと激しい抗争を繰り広げた人々の栄枯盛衰の歴史を綴った迫力のノンフィクションです。

フジテレビは日本放送と文化放送、テレビ朝日は東映、日本経済新聞社そして旺文社などが中心となって設立されましたが、この本の前半では文化放送の経営にも関与していた旺文社の創業一族である赤尾家の野望とカネへの執着を中心に描かれます。

赤尾といえば、金次郎は父から譲り受けた「赤尾の豆単」で英単語を勉強した記憶がありますが、旺文社初代社長の赤尾好夫氏こそこの豆単の考案者であり、英検の創始者であり、8チャンネルと10チャンネル(現在は5チャンネル)をめぐる初期抗争の主役なのです。フジテレビの31.8%を保有する文化放送の過半数を持つことで、同51%の日本放送の最大株主とはいえ約13%と同社支配権を持たない鹿内家とフジテレビの支配を巡ってわたり合った好夫氏は、NETテレビの旺文社持ち分である21.4%も駆使してフジテレビ、テレビ朝日双方に多大な影響力を行使し続けました。複数の大手メディアにこの規模で支配権を行使し操った存在は本邦史上赤尾一族しかおらず、知られていませんが(少なくとも金次郎は全く無知でした)日本にもメディア王と呼べる人がいたんだな、と功罪は別として感慨深いものがありました。

教育関連企業でかつあくなき支配欲を持つというのはちょっとイメージにギャップがありますが、このギャップはカネへの執着が際立つ二代目社長の赤尾一夫氏時代にどんどん加速していきます。そもそもテレビ朝日は教育関連コンテンツを50%以上放送することを条件に設立されていて最初は辻褄が合っていたのに、経営不振からアニメや映画(東映が配給)も教養番組というこじつけで放映し始めたあたりからやや様子がおかしくなっていて面白いです。その後東映持ち分を朝日新聞社が引き取って系列下していく流れなのですが、朝日は朝日で村山家と上野家という二大株主による支配構造となっており、そちらについても細かく記載されていて興味深く読めました。

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