「二重らせん 欲望と喧噪のメディア」を読み、意外な日本のメディア王の存在を知る

早くも10月に入り、金次郎は毎年恒例の人間ドック前スイーツ断ち期間に入っております。ここしばらく中央区・江東区界隈を散歩した後のスイーツ購入というカロリーのマッチポンプ状態を続けておりましたので正直非常に苦しいです。ただ、緊急事態も解除となりこれから年末にかけてカロリーマッチマッチモードに入ると懸念されますので、ここでぐっとこらえて体重を落としておくのが50代目前のオヤジとして取るべき道と歯を食いしばって耐えております。

さて、気分を変えて本の話です。「二重らせん 欲望と喧噪のメディア」(中川一徳著 講談社)は1959年にそれぞれ民放第三局、第四局として誕生したフジテレビとテレビ朝日(旧日本教育テレビ→NETテレビ)が生み出すカネと利権を我がものにしようと激しい抗争を繰り広げた人々の栄枯盛衰の歴史を綴った迫力のノンフィクションです。

フジテレビは日本放送と文化放送、テレビ朝日は東映、日本経済新聞社そして旺文社などが中心となって設立されましたが、この本の前半では文化放送の経営にも関与していた旺文社の創業一族である赤尾家の野望とカネへの執着を中心に描かれます。

赤尾といえば、金次郎は父から譲り受けた「赤尾の豆単」で英単語を勉強した記憶がありますが、旺文社初代社長の赤尾好夫氏こそこの豆単の考案者であり、英検の創始者であり、8チャンネルと10チャンネル(現在は5チャンネル)をめぐる初期抗争の主役なのです。フジテレビの31.8%を保有する文化放送の過半数を持つことで、同51%の日本放送の最大株主とはいえ約13%と同社支配権を持たない鹿内家とフジテレビの支配を巡ってわたり合った好夫氏は、NETテレビの旺文社持ち分である21.4%も駆使してフジテレビ、テレビ朝日双方に多大な影響力を行使し続けました。複数の大手メディアにこの規模で支配権を行使し操った存在は本邦史上赤尾一族しかおらず、知られていませんが(少なくとも金次郎は全く無知でした)日本にもメディア王と呼べる人がいたんだな、と功罪は別として感慨深いものがありました。

教育関連企業でかつあくなき支配欲を持つというのはちょっとイメージにギャップがありますが、このギャップはカネへの執着が際立つ二代目社長の赤尾一夫氏時代にどんどん加速していきます。そもそもテレビ朝日は教育関連コンテンツを50%以上放送することを条件に設立されていて最初は辻褄が合っていたのに、経営不振からアニメや映画(東映が配給)も教養番組というこじつけで放映し始めたあたりからやや様子がおかしくなっていて面白いです。その後東映持ち分を朝日新聞社が引き取って系列下していく流れなのですが、朝日は朝日で村山家と上野家という二大株主による支配構造となっており、そちらについても細かく記載されていて興味深く読めました。

後年一夫氏はメディア業界への参入を企てる面々を相手取り二枚舌、三枚舌で自らの文化放送、テレビ朝日あるいは旺文社そのものの持ち分を高値で売却しようと様々な策を講じる流れとなりますが、一つのクライマックスはオランダの信託会社に移したテレビ朝日株をその信託ごと孫正義/メディア王ルパート・マードック連合に売り払って日本のメディア業界を〈クロフネ襲来!〉と震撼させた一件だと思います。メディアへの外資規制(外資持ち分が議決権の20%未満という放送法のルールで最近東北新社も問題になっていましたね)をものともせず、徹底的な節税を図る一夫氏の執着ぶりはある意味筋の通ったカネの亡者の姿であり清々しさすら感じます。結局、孫/マードック連合は強い圧力とバッシングを受け、同株式を買値と同値で朝日新聞社に売却しましたので、一夫氏一人勝ちの構図で恐れ入ります。

このあたりから、SONY、オリックス、はたまた村上ファンド、楽天、そしてライブドアなどのオールスターキャストが浮かんでは消える激動の買収合戦を描いた後半に突入しますが、前半からの流れを理解できているので、当時ニュースでの報道をなんとなく眺めていた頃とは全く違う臨場感に大変興奮しながら読めました。上場狙いで買持ちしたフジテレビ株が塩漬けになりそうになり焦る村上氏、その村上氏に煽られ時間外取引で脚光を浴びた堀江氏、クーデターで追われたフジテレビ創業一族の鹿内氏とクーデターをした側の日枝氏との因縁対決など読みどころ満載ですが、やはりキャラ的には赤尾一夫氏の圧倒的な奇抜さが際立っており残り全ての名だたる登場人物を脇役に追いやるオーラ(?)が凄いです(笑)。

その他にも、文化放送は聖パウロ修道会というキリスト教系宗教団体が戦後に設立し、今なお30%を保有しているとか、東映は東急関連の企業(東横映画)だったとか、大和証券のIPO請負人の暗躍や、テレビでの放映内容が大株主の意向でやすやすと偏向していた事実など、とにかく厖大な情報の詰まった労作で少しでも興味のある方は是非読まれることをお薦めします。著者が15年以上前に著したノンフィクションの名作とされる「メディアの支配者」(講談社 )も近いうちに必ず読みます。

「悪の処世術」(佐藤優著 宝島社)はなぜ悪の権化とされるような独裁者が人気を集め権力の座を維持することができたのか、プーチン、習近平、アサド、スターリン、毛沢東、ヒトラーといった独裁者それぞれの権力基盤を〈知の巨人〉佐藤優先生が分かり易く解説してくれていて勉強になる本でした。そんな中でも、アルバニアの共産主義者であるエンヴェル・オッジャというなかなかにマイナーな人物を取り上げて高く評価するあたりは流石の佐藤節といえるかと思います。民主主義の弱体化が叫ばれ、ともすれば迅速かつ強権的なコロナ対応の成功から独裁国家が評価されるような場面も散見される昨今、改めてその影の部分やレトリックにしっかりと注目しておくことには意義があると感じました。

「始まりの木」(夏川草介著 小学館)は「神様のカルテ」シリーズをはじめ医療がテーマの著作が多い夏川先生が民俗学を取り上げられるということで興味津々で読んでみました。変わり者で皮肉屋の古屋准教授と院生の藤崎千佳という凸凹コンビが地方を歩くフィールドワークの中で、我々日本人が忘れて久しい自然を感じ自然に導かれて生きることの尊さを思い出させてくれる心に沁みるエピソードに出会うというなかなかの感動ストーリーとなっています。ちゃんと得意分野の病院のシーンもたくさん出てきますが、怖い意味でなくふとした時に魂の存在を感じる医療現場と万物に神が宿る民俗学の世界は意外と共通点があるのかな、と思いました。しかし、「神様のカルテ」の栗原一止もそうですが、心優しき真摯な偏屈者を描かせたら夏川先生は当代随一と思います。コロナ医療現場の最前線を描いた「臨床の砦」(小学館)も読みましたが、これは足元やや感染が落ち着いているから冷静に読める内容で医療の逼迫はやはり怖いと感じました。

今週末はE美容師にお会いするのでまた紹介本を考えねば。


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投稿者: 金次郎

読書が趣味の50代会社員です。

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