村上春樹先生の第8長編「ねじまき鳥クロニクル」と第12長編「1Q84」を読む

急激に気温が下がり特に夜寝る際は暖かいふとんが恋しくなってまいりました。うちは狭いくせに保温効果があきらめきれず、非常にかさばる羽毛ふとんを使用しておりますが、かさばり対策としてクリーニング店の洗濯&保管サービスを活用しております。しかし、なぜだか異常にフレキシビリティに欠けるこのサービスはなんとふとんの返却時期を10月末か11月末、あるいは12月末の3オプションしか設定しておらず、9月末の時点で涼しさを感じてしまっている我々夫婦はあと球のユーザーに我々のふとんをレンタルして儲けているのではないかとの疑念すら抱いてしまいます(笑)。ちなみに羽毛ふとんはハイイロガンを品種改良したグース(ガチョウ)かマガモを品種改良したダック(アヒル)の軸のある羽根(フェザー)と軸の無い羽毛(ダウン)が詰め込まれたものですが、羽根や羽毛が大きいほど軽く保温性に優れているということで、ダックよりはグース、フェザーよりはダウンが高級品とされています。羽根ぶとんというのはフェザー比率が高いものでややお求めやすい価格になっていますね。グースの中でも卵を産ませるために厳選され、冬を越えて成長した個体すなわちマザーグースの羽毛(ダウン)比率の高い製品には結構びっくりする価格が付いているのをデパートなどで見かけますが、アイスランドのアイダーダックという保護されている水鳥の羽毛で作られる製品は軽さと羽毛のかぎ状の形状が生み出す保温効果から最高級品とされており、ふとんの西川でお値段を見ると驚きの462万円!となっていました。アイダーダックがひな鳥が巣立った後に放棄した巣の中にしきつめてある羽毛しか使えないので稀少なことは理解できるものの、それにしても高い。色々調べていて最高級品を奮発してやろうかとだんだん妄想が膨らんできていましたが、あっさり撃沈して1ヵ月寒さに耐えることといたします。

今回はやや前段を軽めに終え、ちょっとヘビーめに本の感想を紹介することといたします。英会話の先生とのフリートークの話題にもし易いので、このところ調子に乗って読んでいる村上春樹作品ですが、先ずは第8長編の「ねじまき鳥クロニクル」(新潮社 )です。妻と二人、普通の生活を送っているように見えた失業中の岡田徹の人生の歯車が、飼い猫がいなくなったことが合図であったかのように少しずつ狂い始め、遂には愛する妻さえも突然失踪してしまう、という感じでスタートする物語は、なかなかストーリーの流れを捉えるのが難しく、渦に巻き込まれるような気分で読み進めさせられる作品です。場面は東京のあちこち、北陸のカツラ工場、大戦中の満州、はたまた村上作品ではお約束の井戸の中から繋がる異世界と飛びまくり、加納まるた・クレタ姉妹、赤坂ナツメグ・シナモン親子、気持ち悪い議員秘書の牛川をはじめキャラの強い登場人物多数で、相変わらず渦の中ではあるものの次第に物語に引き込まれていきます。春樹作品の例に漏れずしっかりと意味不明ではありますが、それぞれの人間存在は自らの認識によって構築された世界の中で、自分固有のエンジン(ねじまき鳥)により他者とは異なる時空で駆動させられていて、他者に対する認識というものは常に不確かで不安定なものである、そしてそれは総体としての歴史についても言えることである、というようなことがおっしゃりたいのではないかと感じました。自分の文章ですが読み返してみて意味不明ですね、すみません(笑)。最近頭髪ネタは許容されない方向となっておりますが、銀座でのかつら調査のアルバイトの件りは村上作品には珍しくくすっと笑える一幕で気に入りました。どこかの解説に、この「ねじまき鳥~」の原稿を推敲する中で大幅に削除された部分が第7長編である「国境の南、太陽の西」(講談社)のベースとなったとありましたが、一体どこにどういう形で組み込まれていたのか非常に気になるところです。

さて「1Q84」(新潮社 )は村上先生の第12長編でモデルがオウムと思われるカルト教団を取り扱っていて、永遠のテーマである善と悪について描き出そうとする意識が感じられる作品です。ストーリーはNHK集金担当の父を持つ天吾と新興宗教の信者一家で育った青豆のboy meets girl展開を軸に進行しますが、過激派、カルト教団、出版業界の裏側、必殺仕事人的請負殺人と盛り沢山で春樹作品としてはエンタメ的に充実した内容となっています。ディスレクシアの美少女作家(?)フカエリ、虐待を激しく憎む麻布のマダム、そして「ねじまき鳥~」でも存在感を放った牛川の再登場と本作でも登場人物のエッジは健在です。金次郎は牛川をかなり好きになっていたので後半ではだいぶ悲しかった。。。

「ねじまき鳥~」から15年を経て、文体は非常にスタイリッシュになっており洗練の度を強めている一方で、なぜ青豆が天吾原理主義的にひたすらに天吾を想うに至ったのか、天吾は天吾で青豆の凄まじい想いに応えるだけの気持ちが有ったのならどうしてぎりぎりまでそれに気付かなかったのか、などの必然性に対する疑問は残りますし、オーウェルの「1984年」のビッグブラザーに対応する存在がスモールピープルというのはさすがに安易過ぎやしないか、そしてそもそも〈空気さなぎ〉って何?!と思うところは多く、本作に対する賛否両論が多々あるのはよく分かります。

とにかく、オウム事件被害者、オウム信者それぞれへのインタビューをまとめた「アンダーグラウンド」(講談社)、「約束された場所で Underground2」(文芸春秋)、という非常に優れたノンフィクション作品を手掛けた影響が随所に見られ、「ねじまき鳥~」の綿谷登、「海辺のカフカ」のジョニー・ウォーカーのように分かり易く描かれていた〈悪〉の姿が、本作では絶対悪としては描かれていないカルト教団リーダーに象徴されるように立場や視点あるいは状況に応じて可変なより曖昧なものとして捉えられており、オウム事件取材を経た村上先生の心境の変化がうかがえます。そもそも人間は善悪あるいは清も濁も併せのんで、理屈で割り切れない部分も抱えながら生きていくのが当たり前の姿であるにも関わらず、そこから乖離し過度に純化されて完全なものと思い込まれた善という存在は、二元論的に外部に攻撃対象としての悪を求めてしまうという意味で、本作中のマダムがそうであるように無自覚に非常に危険な存在になってしまう、というようなメッセージも強く感じる読後感ではありました。やはり意味不明ですね(笑)。この流れでしばらく前に読んだ最新長編の「騎士団長殺し」(新潮社 )に繋がるわけですが、当時は全く意味が分からなかったものが、今なら少しは理解できるのだろうか。

緊急事態も解除となり、10月以降は少しは刺激が増えてブログも書きやすくなるかなと淡く期待しております。


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投稿者: 金次郎

読書が趣味の50代会社員です。

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