金次郎、「カネを積まれても使いたくない日本語」(内館牧子著)の内容に慄然

バレンタインデーはまだなのに、日本橋三越で2月初旬から始まったバレンタインイベントで購入した年に一度の楽しみである高級チョコをなんともう食べてしまいました。今年はDelReYの10個セットで、外側のチョコ部分は勿論、中に入っているガナッシュが抜群でした。コーヒー、キャラメル、ピスタチオなどの定番だけでなく、金次郎がやや苦手としているパッションフルーツやエキゾチックフルーツのガナッシュも息が止まるほど美味で、不要不急かつ禁断のセカンドDelReYを買うかどうか真剣に妻と二人で検討中です。ちょっとお高いのは気になりますが、1個いくらという計算を忘れて楽しみたいクオリティです。

さて、自称読書家でもありますし、それなりに日本語は気を付けて使っており、会社ではメール内でのおかしな表現には中年らしく目くじらを立てております。会議中でも「今の発言は意味がよく分からない。」や「今の発言、これまでの議論の文脈と整合してないよね。」などと言ってしまう煙たいおっさんそのものです。

そんな金次郎が愕然とさせられた本が「カネを積まれても使いたくない日本語」(内館牧子著 朝日新聞出版)です。最初に出てくる〈ら抜き〉のあたりでは未だ内館先生と共に世の乱れた日本語を糾弾しよう、と意気込み、有名スポーツ選手が「オリンピックに出られる。」が言えずに「~に出れる。」でもなく微妙に変化して「オリンピックに出れれる。」と言ってしまったエピソードに、レレレのおじさんかよ、と突っ込みを入れる余裕すらありました。お名前様やご住所様などの表現にも違和感が有ったので、これに対する批判も、よしよし、と読んでおりました。

ところが、いきなり【させて頂く】がやり玉に上がると、時々使っていることに冷や汗。更に、【結構~します】や【というふうに】、【してみたいと思います】、【普通に】、【仕事で汗をかく】などの高使用頻度の表現がどんどん気持ち悪い、美しくないと断じられ、読み終わる頃には最初の勢いは消え、すっかり意気消沈でした。徹底的にへりくだる、断定を避けて存在しないリスクすら回避する、という姿勢が最近の言葉の乱れの背景とのことで、勇気を出してシンプルかつ美しい日本語でリスクを取っていこうと少し思いました。【やばい】というのはその筋の方が使っていた言葉のようですが、今ではすっかり定着し、上品なおばさままでもが「やぼうございます。」と言ったとの話は面白い。また、判断するを、判断【を】する、のように【を】を入れる表現もおかしいと書かれていて、読んだ直後に森会長が「不適切な発言につき、撤回をさせて頂きます。」と言っていて笑えました。

ちょっと話は変わりますが、金次郎の会社には日本語がやや不得手ではあるが英語は抜群に上手い帰国子女がたくさん働いています。数年前に金次郎の母が他界した際、そんな帰国子女の一人である後輩がお悔やみのメールを送ってくれました。その気遣いは大変嬉しく、辛い時だったので心強かったのを覚えていますが、その文面はというと「心よりご冥福申し上げます。」と書いてあったのです!いやいやいやいや、死後の幸福を目指すのはあなたじゃないし、しかも謙譲語とは。ただの「お祈り」の入れ忘れとは思いましたが、久々に笑えた瞬間で気持ちが随分和みました。後輩、ありがとう。

このミス大賞受賞作の「元彼の遺言状」(新川帆立著 宝島社)は、作家になるために弁護士になったという著者のデビュー作で、自分を殺した犯人に多額の遺産を譲る、という謎の遺言状を遺して亡くなった元彼一族の遺産を巡る争いに自ら巻き込まれる強欲弁護士の活躍を描いた痛快ミステリーです。新川先生はプロモーションでメディアによく出られてましたが、この作品の主人公も女性やり手弁護士なので、ついついそのキャラの影響で、この人強欲で嫌な人なのかな、と思ってしまいます。内容は新感覚で面白いのですが(相変わらず中身についてはほぼ語れません。。。)、著者と主人公の設定が近すぎるのはちょっと微妙かもとも感じた一冊でした。

今回の芥川賞で「推し、燃ゆ」に惜しくも敗れた「旅する練習」(乗代雄介著 講談社)はとにかく心を揺さぶられる作品でした。小説家の伯父と小学校卒業間近のサッカー少女である姪っ子が千葉から茨城まで、伯父は野鳥を中心に目に留まった風景を描写しながら、姪はドリブルやリフティングの練習をしながら、徒歩で数日旅をする情景を淡々と描いたロードノベルなのですが、一読後確実に読み返すこと間違い無しの秀作です。美しい文章で描かれる活き活きとした彼女の姿が脳裏から離れなくなり、何故、どういう心情でこの文章が編まれたのかに思いを馳せると改めて胸が熱く、そして痛くなる物語です。

「いつの空にも星が出ていた」(佐藤多佳子著 講談社)は感動小説の名手によるベイスターズ愛をテーマにした短編集です。とにかく物語の中に、好きだから好き、という単純で純粋で最強の愛が凝縮されて閉じ込められている熱い熱い作品です。ページをめくるたびにその熱がどんどん伝わってくるので、ベイスターズや野球のファンでなくても激しく胸を熱くさせられます。コロナ禍で元気を失くして心が折れそうになっている人にはぜひこれを読んで活力を取り戻して欲しいと思います。

「架空の犬と嘘をつく猫」(寺地はるな著 中央公論新社)は心が離れバラバラになってしまった家族の中で、自分を偽って家族の嘘に調子を合わせることが思いやりと信じて生きてきた主人公が、自分に正直に、地に足の着いた人生を歩むようになるまでを描いた作品です。最近注目度が上がっている寺地先生は金次郎の隣県の佐賀県ご出身で、本作にも懐かしの佐賀弁がふんだんに登場していて嬉しい。

タイトルにある架空の犬というのは、自分の頭の中だけにある自分だけの心のよりどころの象徴ですが、そういうものも大切だけど、現実にも信じて頼れる誰かが必ず存在するから大丈夫、という前向きなメッセージに勇気づけられる作品でもあります。近刊の「どうしてわたしはあの子じゃないの」(双葉社)も気になっています。

内館先生のせいで、このブログを書くのに異常に気を使ってしまいました。いきなり全部直すのは無理なので、少しずつ改善していこうと思います。

投稿者: 金次郎

読書が趣味の50代会社員です。

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