「アガサ・クリスティー自伝」は最高に面白くておすすめ!

昨年2020年は後にミステリーの女王と呼ばれることになるアガサ・クリスティーが「スタイルズ荘の怪事件」(早川書房)でデビューし、〈灰色の脳細胞〉で知られるエルキュール・ポワロを世に出してから100年のメモリアルイヤーでした。

ポワロは、第一次大戦で荒廃した欧州大陸からイギリスに亡命してきたベルギー人の元刑事で50代という設定ですが、クリスティーもその後ポワロが50年以上も活躍するとは夢にも思わず、ひたすら小学一年生を続けながらストーリーが緩慢に進んでいく名探偵コナンばりの苦しみを味わうことになっています。クリスティー自身も、もっと若い設定にしておくべきだったと悔やんでいますね(笑)。

極めて大雑把な分析ではありますが、シャーロック・ホームズを情報収集重視のひらめきタイプ、エラリー・クイーンを緻密なロジック積み上げタイプの名探偵だとすると、ポワロは秩序を重んじ細部に拘る共感力タイプの名探偵と言えるかと思います。〈相棒〉の杉下右京はクイーンとポワロの間、明智小五郎はホームズタイプというイメージでしょうか。

そんなポワロものを中心に多くの作品を残したクリスティーは1976年没ということで、金次郎が4歳の頃までご存命だったことになり、親の世代にクリスティーは同時代の人気作家だったというのがちょっと実感が沸きません。偉大過ぎるからでしょうか。

そんなわけで、100周年を機に前から気になっていた「アガサ・クリスティー自伝」(アガサ・クリスティー著 同 上巻下巻)を読んでみたのですが、これが非常に面白い本で大変おすすめです。

クリスティーが15年かけて記したこの本は、クリスティー自身の人柄についてや、数多の名作が産み出された背景は勿論、当時のイギリス社会や大英帝国統治下の植民地の様子も垣間見え、ミステリーファンならずとも楽しめる一冊となっています。

ご本人については、たびたび内気な性格と書かれていますが、全くそんな感じはせず、チャレンジ精神に溢れる大胆な行動の数々はとても魅力的です。また、作家になる人のご多分に漏れず、少女時代からの抜群の想像力と記憶力に関するエピソードからは並々ならぬ天賦の才が感じられ、凡人金次郎の作家への道がまた遠くなりました(涙)。

クリスティーはやや保守的な書き手と評されることが多いですし、この自伝の中にも夫を上手く使って養ってもらう存在、というような女性観が披露されていますが、それでも更に100年ぐらい遡るジェーン・オースティンの「高慢と偏見」の時代からはだいぶ女性の立場が向上している様子も見て取れて面白いと思います。

また、当時はやや斜陽気味だったとはいえ、世界中に植民地を抱える大英帝国の中流以上の階級の人々が世界を比較的自由に往来する姿が非常にグローバルで印象的です。クリスティー作品の中には、イギリス以外の舞台が多く登場しますが、彼女自身もそういったトラベラーの一人で、長期滞在したフランスやエジプトという比較的近隣諸国だけでなく、最初の夫と南アフリカからオーストラリア、ニュージーランドと見分し、その後ハワイに移動しホノルルでサーフィンを楽しんだとの記載も有り、このような体験を創作に役立てたものと思われます。滞在を契機として学ぶことになったフランス語もポワロの口癖としてしっかり活用されています。エ・リヤン(よろしい)、モナミン(君)、アン・ブエリテ(その通り)、などですね。

離婚後に一念発起して中東旅行に出かけたエピソードについても詳述されていて、列車内で出会った貴族夫人にうんざりする描写は面白い。バグダッドでも繰り広げられる、当時の英国貴族の社交生活の様子も興味深いですし、何より、当地で出会った二番目の夫との恋愛もグローバルでなかなか凄いです。考古学者である彼と中東で共に発掘作業にいそしむ生活が「メソポタミアの殺人」(同)や「ナイルに死す」(同)などの著作につながり、クリスティー作品全体にもエキゾチシズムの彩を加えています。以下、たいして読んでいませんが、面白かったクリスティー作品の簡単な紹介です。

「スタイルズ荘の怪事件」(同):ヘイスティングス大尉の語りから始まるデビュー作で、割と時間をかけずに完成したように自伝中では書かれていますが、なかなか凝った内容です。著者の薬剤師の経験が活かされていてこの作品の質を数段高めることに貢献していると思います。

「そして誰もいなくなった」(同):ポワロは出てきませんが、デボンに近いインディアン島という孤島を舞台に繰り広げられる最高傑作は、後世のミステリー作家に多大な影響を与えています。人が一人死ぬたびに人形(あるいはそれに類する物)が一体消えるというモチーフの作品を何度読んだことか。ファンが選ぶ好きなクリスティー作品ランキングでも常に1位を争う名作です。

「オリエント急行の殺人」(同):シリアの早朝の場面から始まるこの物語は何度も映画化されており非常に知名度が高いですね。旅行中の事件ということで、イギリス、アメリカ、フランス、イタリア、ロシア、ハンガリー、ギリシャと様々な国の多種多様な登場人物が入り乱れるのも特徴的です。

「メソポタミアの殺人」(同):バグダッドでエイミー・レザラン看護師が事件のあらましを書き綴る形式のこの物語でも、クリスティーの中東での経験、戦時下の看護師としての体験が上手く活かされています。当時の中東の様子を想像するのに恰好の作品です。

「ナイルに死す」(同):美貌の大金持ちの令嬢であるリネット・リッヂウェイを巡る様々な思惑が交錯するストーリーは登場人物も多くプロットもやや複雑です。自伝を読んで改めて読み直すと、クリスティーのおばあさんが盗難に遭うとの被害妄想から色々な場所に宝石類を隠していたというエピソードがばっちり使われていることが分かり、くすりと笑えて楽しい。

「ABC殺人事件」(同):自伝にストッキングのセールスマンの仕事が大変、というようなことが書かれていますが、きちんとこの作品中にもストッキング売りが主要登場人物として出てきます。物語の内容とは無関係に、100年前はストッキングは訪問販売されていたんだなぁ、と時代の変化を感じました(笑)。

「アクロイド殺し」(同):紹介不要というか、解説不可能な傑作ミステリーです。未読の方は是非ご一読下さい。

「春にして君を離れ」(同):珍しくミステリーでないこの作品は、クリスティーが〈書きたくて書いた〉家族関係に潜む矜持と怠惰の悲劇の物語です。独善的にしか世界を捉えられないジョーンは思いがけない砂漠での内省を経て果たして変われるのか、茫漠とした風景と対照的にじわじわ高まる緊迫感がどんどん読み進めさせる一冊です。かつての友人との偶然の再会が波紋のように広がって、ジョーンの思い出の場面に全く違う解釈を与えてゆきますが、現代小説にもよく使われる手法ですね。妻を憐れむことで自らを慰める諦念の夫ロドニーと信念を貫く勇気を持った薄幸の女性レスリー、真の幸福についても考えさせられる傑作で金次郎はかなり好きです。

ここまで書いて、クリスティーが幼少期から観劇に親しんでおり、キャリア後半で多くの戯曲を著す基となった話を書くのを忘れたことに気づきましたが、ちょっと疲れたのでこの辺にしておきます。

投稿者: 金次郎

読書が趣味の50代会社員です。

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