金次郎、最高のスパイミステリーである「ジョーカー・ゲーム」(柳広司著)シリーズを堪能

 

今年の9月からデジタル庁が創設されることが決まったとニュースでやっていましたが、この話題を耳にするたびになんとなく違和感を感じ続けていたため、ちょっとじっくり考えてみることにしました。デジタルという言葉の意味は、ばらばらの、離散した、量子的な、のような感じで、対義語のアナログは、連続した、となるわけですが、そもそもよく考えたらこれは形容詞じゃないですか。直訳すると、ばらばらな庁、離散した庁、量子的な庁となり、百歩譲ってカタカナを使ってもデジタルな庁ということで意味が全く分かりません。なんとなくイケてる感じにしたかったのは理解できるものの、財務省や経済産業省、あるいは国税庁やスポーツ庁のようにきちんと何を担当するのかを表す名詞を前に持ってくるべきで、例えばデジタル産業庁、デジタル基盤推進庁、デジタル技術庁、国民デジタル官吏庁などでしょうか(笑)。違和感の正体が分かってすっきりしましたが、極端な話ビューティフル庁やクール庁と同じ構造の名前になっており、非常に情けないと同時にこの新設された庁の先行きが危ぶまれる、ひいては日本のデジタル化の遅れがどんどん加速してしまう懸念でとても不安になるニュースでした。また、高給取りになり得るデジタル技術関連で高いスキルを持った人が果たしてデジタル庁に公務員として安定的に務めてくれるのだろうか、と考えると暗澹たる気分になります。頑張ってくれ、ガースーさん。

さて、本日はこのところはまっている柳広司先生の本を何冊か紹介します。

「ジョーカー・ゲーム」(KADOKAWA)、「パラダイス・ロスト」(KADOKAWA)、「ラスト・ワルツ」(KADOKAWA)はいずれも戦前戦中の日本陸軍の中に秘密裏に創設されたスパイ養成組織である〈D機関〉で訓練を受けたとんでもない能力を持つスパイたちが繰り広げる諜報戦を描いたスパイミステリーシリーズです。目的を遂行するためにはスパイは目立つべきではなく、そのためには絶対に殺人という注目を浴びる行為は犯さない、そして、死ぬことは何の役にも立たず、心臓が動いている間は生きて情報を持ち帰ることだけを考える、というスパイの行動哲学が、当時の如何に死ぬべきかを神聖視する価値観と真っ向から対立しているのが非常に面白い。また何といっても、〈D機関〉の創設者であり全てを統率し魔王と呼ばれ怖れられる存在の結城中佐の仕事を徹底的にやり切る姿が最高にカッコいい作品です。それぞれの短編に違う名も無きスパイたちが登場し、どんな窮地に追い込まれても軽々と任務を遂行するプロフェッショナリズムにはフィクションであることは分かりつつ感動させられます。

金次郎は愛する第二の故郷シンガポールのラッフルズホテルが舞台となっている「失楽園」、華族恋愛モノかと思いきやしっかり裏切られる「舞踏会の夜」が好きでした。都合つかず未読なシリーズ作品の「ダブル・ジョーカー」(KADOKAWA)も早く読みたくてうずうずしております。

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