金次郎、同期に友人が少ない寂しさから少し気を取り直す

金次郎のITリテラシーが恥ずかしいほど低い話を最近のブログで書いた記憶が有りますが、ふと15年ぐらい前のWindowsのバージョンのOutlookの中に〈同期〉というコマンドが有ったことを思い出しました。さすがに今ではsynchronizeのことだと理解できているものの、当時の金次郎は、これを会社の同期全員にメッセージを発信するコマンドだと本気で勘違いしており、同期に友人が少なかったこともあいまって、こんなの誰が使うのだろう、Microsoftも変なことを考えるものだな、日本向けにカスタマイズしたのかな、などと理不尽にも不審に思っておりました。同僚にその疑問を伝えなかったことがせめてもの救いです(笑)。先日会社企画の講義を聴講したのですが、その中で職場で女性の活躍が制約される要因として岩盤の年功序列システムが挙げられており、少なくとも出産という物理的なブランクを不利として構造化するという点で、それはその通りだと思ったのですが、この年功序列システムを精神的に支え補強しているのが正に入社年次とその記号的意味合いを越えた〈同期〉というものへの過度な思い入れというか拘りなのだろうなと感じました。人事関連に限らず会社の同僚についての会話では、常に○○は何年入社で誰と同期というスケールを持ち出さないと話が始まらず、このところ増えている中途入社の方々も即座に××年入社扱い、として、それまでに積んできた経験や身に着けた能力とは無関係にこの1年刻みの実質を伴わないマトリックスに組み込まれてしまうというのは、ちょっと現代的ではないのかなと思います。ひねくれ者の金次郎は、入社時に同期と仲良くしていないと仕事上助けてもらえず困ることになるよ、と言われたことに無駄に反発し、友人はそういう打算で作るものではないと同期会的な集まりを頑なに避け続けた当然の帰結として友人の少ない淋しい社員となったわけですが(涙)、年齢、性別、国籍など表面的属性のバイアスを排除して、それぞれのビジネスパーソンを発揮し得る価値で評価すべきという時代の大きな潮流の中で、金次郎は寂しいただの意固地野郎以外の何者でもなかった事実はともかく、ただの結果論というだけでも21世紀の先取りであったという点で自分を褒めてあげたくなりました(笑)。入社年次という概念が100%排除され、目の前の同僚を、昭和生まれ男性とか、バブルとかゆとりとか、ジェネレーションYとかZとかそういうラベリングが生み出すステレオタイプの先入観に縛られず純粋にどんな人なんだろう、と考えながら一緒に働く状況をイメージすると不安3割、刺激7割という感じで、現行システムの恩恵にあずかりまくっている年代としては厳しく緊張しまくりの状況になるとは思いますが、きっと成長にも繋がり楽しくもあるのだろうと考えたりもしております。そうなると、いよいよ大人から子供まで誰に対しても敬語で話す時代の到来ということになりますね。この話を宿敵Mとしていたら、Mがこんなに同期に拘るのはうちの会社か吉本NSCぐらいではないかとなかなか面白いことを言っていました。芸の世界は実力が全てなので何故だろう、とやや疑問に感じましたが、年功序列とは違うものの〈同期〉的なものへの日本人の強い思い入れを巧みに利用して、そのストーリーでファンを引き付けようとする吉本の戦略なのだろうという結論に辿り着き一人で納得いたしました。

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