金次郎とオードリー春日、一文字違えば大違いを身をもって体験

先日オードリーの春日が台湾ロケでの撮影時に、テンションが上がりまくって街で人と行き会うたびに持ちギャグである「トゥース」を連呼していたところ、スタッフからそれはやめた方が良いと助言されたそうです。何故そんな存在全否定のようなことを言われるのかと憤ったものの、「トゥース」は現地の言葉で「血ヘドを吐いて死ぬ」という意味になるのだとの説明を聞き、さすがにまずいと必殺のギャグを封印することになったとのニュースが有りました。どうしても気分が盛り上がった場合は、ややキレが無くなるデメリットは有るものの「トゥースー」にすれば言ってもいいらしく、こちらは「食パン」という無害過ぎる意味になるのだそうです(笑)。少し前ですが金次郎も微妙な言葉の違いに起因する想定外の事態に直面しましたのでそのエピソードについて紹介してみたいと思います。

シンガポールから友人夫妻が来日し金次郎夫婦と4人で食事をすることになり、お店選び担当の金次郎は、恵比寿のアビスという鯖のマリネが抜群に旨いとっておきのお店に連れて行ってあげようと予約を試みました。とは言え、コロナになってからずっと訪問できておらず、お店が移転あるいは閉店していては困るとネットで〈アビス 恵比寿〉と検索し、移転はしているものの存続していることを確認して意気揚々と予約を入れました。移転先の場所は代官山とかなりオシャレエリアとなり、ネットで見る限りカジュアルなビストロだったところから相当に凝った創作フレンチ的な雰囲気に変貌を遂げておりました。まさかオーナーが変わったのかなと若干心に引っ掛かりつつも、あの旨過ぎる鯖のマリネが無くなることは有り得ないと高を括っておりました。そして食事当日となり、妻と共にあまり縁の無いオシャレ地域に緊張しつつ足を踏み入れ、迷いながらもなんとかお店に到着したのですが、明るい感じの以前のお店とは打って変わった真っ暗闇の部屋に深い濃紺のクロスがかかったテーブルが置かれ、間接照明のスポットがぼんやりと料理を照らすという魔窟のようなオシャレ過ぎる空間に大転換していて正直かなり面喰いました。お料理もアラカルト中心からコースのみと180度変わっていて、どうなることやらと思いながら恐る恐る友人と食事を始めたところ、このクオリティが想定以上に非常に高く、魚介のみを使った創作フレンチの品々はこれまでに経験したことの無い素材のコラボや味付けで彩られており、さすが旨い鯖のマリネを出す店だけのことは有ると皆で美味しい美味しいと騒ぎながら食べ進めておりました。しかし、今か今かと待てど暮らせどお楽しみの鯖のマリネが一向に出てきません。友人にはこの看板料理を激しくアピールしていたために、おい鯖はどうした、いつ出てくるんだと詰問され続け、やむを得ずひっそりと置いてあった本日のお料理リストを確認したところ、そこには鯖のさの字もマリネのマの字も記載されておらず、心を折られる衝撃の事実に目の前が真っ暗になりました。元々部屋は真っ暗だったんですが(笑)。これは最初から最後まで何かがおかし過ぎると、ようやくこの時点で改めてネット検索をしてみたところ、なんと情けないことに、お気に入りだったにも関わらず金次郎は行きつけの恵比寿のお店の名前を間違って記憶していたことが判明し、恵比寿のアビスだと思い込んでいた店名は、なんと恵比寿のアベスだったのでした(涙)。そのアベスの食べログページの口コミには、鯖のマリネが旨い、鯖マリネ最高、と看板メニューへの賛辞が並び、4人で一斉に「こっちじゃん!」と叫んで爆笑することとなりました(笑)。代官山のお店はアビス=Abysse、恵比寿のお店はアベス=Abbessesということで大変紛らわしくはあるものの、社会人生活29年目にあるまじき初歩的なミスであったことに加え、度重なる違和感を無視し続けたリスク管理意識の欠如に大いに反省いたしました。ただ、このアビスの方もややお値段は張るものの非常にオシャレでレベルの高いお料理を提供するお店でしたので、怪我の功名ということで金次郎の勝負店リストに入れ、この失敗を前向きに捉えようと思い直しました。ちなみにabysseはフランス語で深海、深淵という意味だそうで言われてみるとお部屋の雰囲気は完璧にコーディネートされたものだったとようやく気付くことができました。

さて本の紹介です。「ロックンロールからロックへ その文化変容の軌跡」(福屋利信著 近代文藝社)はアメリカでロックミュージックが生まれるまでの歴史について、民族的、宗教的、文化的な観点からの考察を試みた大変に面白い本でした。黒人奴隷が日々の重労働の中で生み出した硬質なリズムと単調な歌詞の繰り返しが特徴的なブルースは、奴隷解放後もジム・クロー法による隔離政策を通じより敵意の有る差別に晒されることになった黒人労働者によりテネシー州メンフィスでデルタブルースとして受け継がれていました。この時代と言えば、四辻で悪魔に魂を売ってギターテクニックを手に入れたという伝説を持つロバート・ジョンソンが有名ですね。一方、新移民としてエスタブリッシュメントである旧移民(WASP)との格差に不満を募らせるアイリッシュ系を中心としたプアホワイトの一部はアパラチア山脈地域の田舎に住み、そこで祖国の民謡をルーツとしたアパラチアン音楽を育んでこれがカントリーとして発展していきました。田舎者の意味の蔑称であるヒルビリーという名で呼ばれたこの音楽はメンフィス同様テネシー州のナッシュビルで主に白人労働者階層に好まれ広がっていったようです。1950年代にエレキ的要素を取り入れリズム&ブルース(R&B)に進化していたブルースは、労働者の音楽として人種の垣根を超えて白人にも聞かれるようになり、その逆も然りでヒルビリー=カントリーも黒人の人気を集めるようになっていました。そんな時代にたまたまメンフィスに家族で移り住んできていたのが、教会音楽であるゴスペルの影響を受け、黒人のように歌うことのできるセクシーでハンサムな白人青年であったエルビス・プレスリーで、彼がR&Bとヒルビリーを融合した音楽即ちロックンロール(=ロカビリー)を生み出し、キングオブロックンロールとして人種の枠を超えた人気を博す存在に上り詰めたという経緯のようで歴史の偶然を感じます。エルビスの活躍により50年代に大ブームとなったアメリカのロックンロールでしたが、ミュージシャンの不祥事や不慮の事故死など様々な不幸が重なり早くも50年代後半には一旦廃れてしまいます。しかしロックンロールは死なずで、この若者による反逆のサウンドは海を渡ったイギリスのマージー川沿岸の地域で独自の進化を遂げることとなりました。地名に由来してマージービートとも呼ばれるイギリスロックンロールのムーブメントはリバプールのビートルズ、ロンドンのローリングストーンズに代表される多くのバンドの活躍を通じて勢いを増し、改めてアメリカに再輸出されることとなり、この流れはブリティッシュ・インベージョンと呼ばれたそうです。この時期即ち60年代前半のニューヨークの音楽シーンは、グリニッジ・ビレッジを中心に中産階層の白人が社会派のプロテストソングを歌うフォークの時代でした。そんなフォーク界のプリンスとされたボブ・ディランが、再輸入されたイギリスのロックンロールサウンドに触発され、ティーンエイジャーのおもちゃと見なされ蔑視されていたエレキギターを抱え、サウンド中心のロックンロールとメッセージ性を重視するフォークを化学反応させ、歌詞の世界観を前面に出した独自の音楽を奏で始めたのがロックの誕生であり、ディランがエレキバンドを従えて行った1965年7月のニューポートでのライブがその記念日とされています。あまりにも長くなってしまったのでこの辺でやめておきますが、他にも50年代・60年代・70年代それぞれの社会の雰囲気、アメリカ南部と北部、そして東部と西部の音楽性の違い、ベビーブーマー世代がティーンエイジャーとして社会への不満を爆発させた時代性、ウッドストックやオルタモントが意味すること、ユダヤ系移民が娯楽産業に進出した背景など書きたいことが次々と浮かんでくる本当にためになる読んで良かった本でした。ご興味有る方はぜひ読まれることをおすすめします。折角ですので「ボブ・ディラン自伝」(ボブ・ディラン著 ソフトバンクパブリッシング)、「ビートルズとアメリカ・ロック史」(中山康樹著 河出書房新社)、「ビートルズ原論 ロックンロールからロックへ」(根木正孝著 水曜社)なども読み理解を深めました。一つのテーマについて掘り下げるのはやっぱり楽しいです。

もう少し音楽関連で紹介しますと、直木賞作の「青春デンデケデケデケ」(芦原すなお著 河出書房新社)は1965年の四国・香川でラジオから流れたベンチャーズの〈パイプライン〉の特徴的なギターに衝撃を受けた若者が、高校入学後に仲間4人とロックバンドを結成するという青春ストーリーです。1965年というのは上述のロック誕生の年ですし、4人の初ライブの舞台となったウエスト・ビレッジという名前のスナックは明らかにフォークの聖地グリニッジ・ビレッジがその由来であり、知識が増えることで読書がどんどん深まっていく楽しさを改めて実感いたしました。寺の息子の合田のキャラが特に好きでこういうちょっと老成した奴が高校の同級生にもいたなとにやけさせられ、クライマックスの文化祭ライブは文句なしにぐっと来て、笑って泣けて感動できる最高の青春小説だったと思います。

もう一冊だけ簡単に。「イッツ・オンリー・ロックンロール」(東山彰良著 光文社)はローリングストーンズの名アルバムのタイトルがそのまま題名となっている、福岡の中年ロックバンドのほとばしるロック魂を描いた心を揺さぶられる作品でした。売れないロックバンドのアルバムCDが偶然連続爆破犯の荷物に紛れ込んだことをきっかけに浮上のチャンスを掴むのですが、すかさず有りがちなやりたい音楽の方向性とマーケットへの迎合という商業主義の狭間で葛藤に苦しむことになります。危なっかしいけど目が離せない、このハチャメチャな中年ロッカーたちはどこに辿り着くのか、どこかに置き去りにしてきた自分の中の反骨精神に一抹の寂しさを覚えながら一息で読んでしまえる東山先生らしい秀作でした。ちなみに上述の「ロックンロールから~」においては、イーグルスが60年代の理想主義と70年代の商業主義の間で苦しんだロックバンドの象徴として解説されていました。

長くなったので最後のミニよもやま話は割愛します(笑)。お願いし忘れていましたが、下のバナーをクリックして順位アップにご協力いただけますと嬉しいです。

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投稿者: 金次郎

読書が趣味の50代会社員です。

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