ニックネームにも気を遣うご時世にそのパターンについて検証する

最近では友人や同僚にニックネームを付ける際にも細心の注意を要するご時世となってきていて、会社でもだいぶ口数が減ってしまう程息苦しい環境ですが、あまりにもネタが無いので思いつくニックネームのパターンについてつらつら書いてみようと思います。ファーストネームはバリエーションが多すぎるので先ずは名字編です。名字を縮めて○△さん→○ちゃん、〈っ〉を入れて石井さん→イッシーのようなシンプルなもの以外で考えてみました。ちなみにうちの妻は旧姓が○本さん→○もっちゃんのパターンで、その呼ばれ方はとても嫌だったそうです。これはどちらかと言うと呼び方なのだと思いますが、うちの会社で結構多いケースは名字に〈選手〉を付けて佐藤さん→佐藤選手と呼び、「佐藤選手の今晩の予定はどうなっているの?」のように使うパターンです。基本的には先輩が後輩を呼ぶ際に使うケースが殆どと思います。金次郎が入社した27年前にこう呼ばれて、自分は何のスポーツやるんだっけ?と戸惑った記憶が蘇りました。これに似たパターンが名字の後に〈氏〉を付けるやり方で、感覚的には女性が使うケースがやや多いように感じます。名字が藤原さんの場合はかなりの確率で藤原氏となり、これはメジャーなニックネームと言っても過言ではないと思います。4音の名字の場合に業界人のようにそれをひっくり返すパターンも結構多いです。なんとなくですが、〈山〉を含む名字で使われることが多いような気がします。山崎さん→ザキヤマ、山口さん→グチヤマ、という感じですね。3音でも松田さんはダーマツになり易いですが、山田さんや吉田さんはそうならないのが不思議です。その他によく有るのは固有名詞や地名の一部が名字となっている場合にそれが拡張されてニックネームとして使われるパターンです。岡山さん→岡山県、村田さん→村田銃、水戸さん→水戸納豆、田島さん→タージマハール、桜田さん→サグラダ・ファミリア、という感じです。これは直接呼びかけるというよりは、ご本人がいないところでの会話の中で使われるケースが多いように思います。その他にはちょっとした英語での言い換えや連想のケースもバラエティが多いと思います。栗田さん→マロン、星山さん→スター、佐藤さん→シュガー・塩、という感じで皆さんも活用された記憶が有るのではないでしょうか。勿論芸能人・有名人パターンもよく有りますが、長嶋さん→シゲオ、氷川さん→キヨシ、狭間さん→カンペイちゃん、斎藤さん→セイロク、そして最近は問題になっている坂田さん→アホノサカタなどが挙げられます。〈竹〉や〈武〉から始まる名字の方はかなりの確率で〈タケちゃんマン〉になるリスクが有りますね。外国人がローマ字を上手く読めないことに起因する、藤田さん→フヒータ(スペイン語系はjをhと発音する)、野瀬さん→ノーズ(=nose)、牛山さん→ユシヤマというパターンも時々有りますね。ちょっとレアですが逆から読んで意味の通る、例えば近藤さん→ウドンコというのも有り得ると思います。自分の名前を逆から読むというのはほぼ本人しかやらない行為なので、例えば大勢人がいる状況であっても、話したい人に当人の名前の逆さ読みで呼びかけると、その人だけに伝わって高い確率で振り向いてもらうことができます。金次郎はちょっと暗号的なのでこれ結構気に入っています。逆から読むということでは、金次郎は昔に名字をローマ字表記して後ろから読み、全く違う語感を楽しんでいた時代が有りました。田中さん→akanat=アカナット、吉田さん→adihsoy=アディーソイ、木村さん→arumik=アルミックというように異国情緒が漂います。ちなみに最近大流行している歌手のAdoさんはこのパターンでは小田さんということになります(笑)。

さて本の紹介です。「最後の怪物 渡邉恒雄」(大下英治著 祥伝社)は、「たかが選手」発言で叩かれたり、自民党と民主党の大連立を画策したりと何かと物議をかもす謎の権力者という印象の〈ナベツネ〉について、彼の人生を振り返りながらその人となりと権力基盤を解説したノンフィクションで、厄介な爺さんという見方は変わらないものの理解が深まる中で腑に落ちる部分も有り読んで良かったと思いました。元々哲学を志し東大文学部に入学したのですが、そこで天才哲学者今道友信の壁に阻まれ挫折して新聞記者になったという彼の経歴は、アカデミアっぽい印象がほぼ無いこともありかなり意外でした。また、学生時代は共産党に入党していたようで、こちらも現在のかなり右寄りな思想信条とのギャップに驚きました。軍隊での理不尽だらけの苦い経験により、反天皇・反軍隊を意識した活動であったようですが、日本共産党こそ規律最優先、ヒューマニズム軽視で軍隊以上の不自由組織であることに失望し離籍したという経緯には若干青さを感じて微笑ましくすらあります。いずれにせよ、そんな背景で左翼インテリからの転向派で論理明快な保守系新聞人ができあがったという、ある意味この時代に典型的な流れがよく理解できました。入社後政治部記者となり、党人政治家大野伴睦の番記者から側近となって政治の世界に深く関与するようになり、その後は中曽根元首相のブレーンとして彼を陰に陽に支え、遂には総理の座に押し上げたというのは有名な話ですね。

読売新聞社内での社会部との激烈な勢力争いや、盟友であった氏家元日本テレビ社長でさえ読売本体から追い出した権力欲や敵と見なした相手を徹底的に排除する執念は凄まじく、支障が有るためか直接的には表現されていませんが、彼のそういう人となりが滲み出る内容になっております。そんな彼だからこそ殆ど株も持つこと無く、雇われ経営者として有り得ない程の独裁的権力を手中にできたのだなと、その最後の怪物ぶりに感銘すら受けました。勿論その他にも、読売巨人軍の経営に関与するようになるまで野球のルールが全く分からなかったとか、意外にも中央公論社の救済には男気を出して積極的に取り組んだとか、小沢さんの楽観で不首尾に終わった大連立の裏話とか、体調を崩された奥さんに惜しみない愛情を注いでいたなどの〈普通の〉エピソードも紹介されていますので適当に息抜きしながら読める構成にはなっています(笑)。彼のライバルとされ(ナベツネ氏は認めていませんが)、外務省機密漏洩事件で有罪判決を受けることとなった毎日新聞の西山太吉氏について、この事件が下敷きとなっている山崎豊子先生の「運命の人」のドラマ化の際に、自分が田中角栄にたかった記者として金を受け取らない清廉な西山記者と対極的に描かれたことについて、自分は漏洩事件で西山擁護の証言までしたのに、事実でない脚本について西山本人から一言の詫びも無くけしからん、と激しく憤っていて笑えました。

気になったので「運命の人」(山崎豊子著 文藝春秋 )を読んでみました。新聞記者間の激烈なスクープ競争や花形記者の多忙な生活のリアルな描写に始まり、その流れから1971年の沖縄返還交渉中に日米間で取り交わされた金銭補償に関する密約にまつわる機密漏洩事件へと物語は展開していきます。主人公の弓成(西山)は、国民の知る権利を守るための報道の自由と情報ソースの秘匿というジレンマに苦しみ、最後までかばった情報入手元にも裏切られて結果的に有罪となり、新聞社でのポジションや政界の人脈も失いボロボロになって九州でくすぶり続けます。このあたりから話の道筋が急激に、恐らく山崎先生が最も書きたかったであろう、悲惨な沖縄戦の方向にシフトするので、弓成の華麗な復活がいつどのように実現するのかに注目している読み手としては迷路に迷い込んだ気分にさせられます(苦笑)。ということで、ちょっと構成には無理が有るかとは思いつつも、ナベツネ本を読んでいたおかげで何とか興味を維持して読了することができました。

「グロテスク」(桐野夏生著 文藝春秋 )では、それぞれに異様な4人の女性が登場しますが、中でも美貌の妹へのコンプレックスから他人への悪意を怪物的に募らせる語り手のわたしが断然ゲスくて嘘ばっかりで気分が悪くなります。東電OL殺害事件がモチーフとなっているようですが、一流企業の社員と渋谷の娼婦という二つの顔を持つことで、片方の世界で認められずとも自分には別の世界の人間関係が有り、両方の世界をメタ視点から見下ろして睥睨しているという歪んだ優越感を感じながら辛うじて自分の存在を肯定しようとする和恵は恐ろしくグロテスクですが健気で憎めないと感じました。

ナベツネ関連作品で紙幅を取られ過ぎバランスが悪くなってしまいました。反省です。

 


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投稿者: 金次郎

読書が趣味の50代会社員です。

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