金次郎、はじめましての高校同級生と銀座でおでんを食べる

先日、高校時代の友人M君と、そのM君の知り合いで、金次郎が高校時代に一度も話したことの無かった同じく高校同学年のKさんと3人で飲むというなかなか珍しい会が有りました。高校は一応共学だったのですが、金次郎は3年間男子クラスという運命のいたずらにより、今回はじめましてと挨拶を交わしたKさんは勿論、在学中ほぼ女子と会話をしない青春時代を送るという悲しい高校生活でございました。その悲しみ故か当時の記憶がかなり薄く、M君からは成績のことにしか興味が無かった薄情者とのレッテルを貼られ未だにイジられておりますが(苦笑)、当日はそんな記憶の空白を埋めるべく同級生や先生たちの様々な情報を教えていただき、自分が如何にマイナーな存在であったかを再認識して悲しくなりつつも、大変有意義な会となりました。中でも、英語のK先生がそんなにモテモテだったとは大変意外で驚きましたし、最近ご結婚されたお相手が金次郎の印象にも残っている同級生の女子と聞かされ二度びっくりいたしました。

銀座の雑居ビルの地下に有る謎のおでん屋ゆうゆうじてきというお店のカウンターで日本酒をちびちび飲みながらお互いの近況などを取り留めなく話していたのですが、金次郎同様M君もやっているオンライン英会話レッスンについて話していたところ、同じくカウンターで近くに座っていた常連っぽいお客さんが自分も英語が上手くなりたい、とかなりの勢いで会話に参加してこられました。なんとその方は10年以上外資系の半導体関連の会社にお勤めのようなのですが、その間ずっと英語での社内会議の内容が殆ど分からない状態を継続しているという鋼メンタルの持ち主で、いったいどうやって乗り切っているのかと尋ねたところ、タイミングを見計らってアイシー、アンダストゥッドを適当に繰り出してお茶を濁してやり過ごしているそうで、中途半端に勉強している我々からすると寧ろリスペクトしたくなるような強者ぶりに驚愕しました。それで10数年やってこられたのなら今更勉強せずとももう大丈夫なのでは?と聞いたところ、いや最近さすがに厳しくなってきてストレスだ、とのことで、その辺の微妙な線引きの基準が全く理解できなかったものの、金次郎のやっているDMM英会話はとてもフレキシブルだしレッスンマテリアルも充実しているのでいいですよ、とお薦めしておきました。そんなマテリアルの中にちょっと面白いものが有ったので紹介します。ネットでよく使うwwwを英語のスラングではLOL(laugh out loud)と表現する話は以前このブログでも書きましたが、他の言語バージョンも最近解説されていました。フランス語ではMDRとなるようで、これは笑い死にしたという意味のmort de rireの省略形、ポルトガル語では、笑う・笑い声を意味するrisosの略でRSを使うようです。ペルシャ語圏のイランでは、私は笑っている、という意味のman khandeh mikonam」の省略のMKM、スウェーデン語では激しく笑うを意味するasgarvの省略形であるASGを使うとのこと。また、笑い声を表すhahahaはスペイン語ではじぇじぇじぇ風のjajajaとなり、なんとタイ語ではその発音から555と書くとのことで、当然ですがwww以外のどれを見ても全く面白い気がしないのに外国人はそれらの省略形を見てニヤっとするのかと想像するとちょっと笑えるなと思いました。

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金次郎、「峠」(司馬遼太郎著)を読んで新潟に出陣

先週機会が有り人生で初めて新潟県を訪問いたしました。浅学で恥ずかしいのですが、新潟については田中角栄元首相、上杉謙信、米どころ、ぐらいしか知識が無く、そもそも上越新幹線で東京駅からわずか2時間で新潟駅までたどり着ける距離感に驚かされるところから始まる素人丸出しの旅となりました。新潟に行くならと、会社の先輩に薦めていただいた司馬遼太郎大先生の「峠」(新潮社 )を事前に読んでいたおかげで、辛うじてこの新幹線が進んでいるあたりを主人公河井継之助が歩いていたのかなとイメージすることぐらいはできましたが、それ以上何かを考えて掘り下げる取っ掛かりも無く、間抜けのように東京駅のホームで買った駅弁を食べ、ぼーっとしながら越後湯沢、燕三条、長岡といった途中の駅の風景を眺めつつ、長岡から新潟は意外と遠いなというようなことを道中考えておりました。

そういえば、「峠」も幕末の長岡藩で下級武士から筆頭家老へと異例の出世を遂げ、戊辰戦争最大の激戦とも言われる北越戦争において新政府軍との闘いを指揮した異才河井継之助の人生を描いた物語で、越後の話ではあるものの微妙に新潟ではないな、と準備の不備にやや悲しくなったりもしました(苦笑)。勿論そんな金次郎の落胆とこの名作の価値は無関係で、発想や思想の幅は同時代人随一と呼べるほど開明的であったにも関わらず、信奉する陽明学の影響からか、重要な局面で継之助が見せる自らの長岡藩士という立場に拘る頑迷固陋ぶりはそれと非常に対照的で、坂本龍馬のようにシンプル&ストレートでないこの人物の複雑な多面性が伺え、それを苦心して描いている司馬先生のイメージも浮かんできて非常に面白く読めました。継之助がかなり偏屈で面倒臭い天才であったことは間違いなく、周囲の人はさぞや苦労しただろうと同情しますし、お墓が作られては壊されるというのを何度も繰り返しているエピソードが彼に対する賛否両論の激しさをよく表していて、そんな個性的なキャラの人に会ってみたかったような絶対に関わりたくないような少し不思議な気分にさせられる読後感でもありました。

若干話がそれましたが、いや読書ブログなのでそれてないのですが(笑)、旅の話に戻りますと、新潟と長岡は新幹線で20分ぐらい離れているちょっと違う場所だぞと最後に気づいた金次郎の絶望は結果的に杞憂となり、奇跡的にクライアントが長岡出身の方で、この本を読んでいたことが奏功したのか(先輩、ありがとうございます)、仕事の話はスムーズに進み、その後の飲み会も盛り上がった楽しいものとなりました。新潟は冬は寒く年中風が強く吹く土地柄で、女性が気もお酒も強くしっかりされていることから、〈新潟の杉と男は育たない〉、というのが新潟の特徴を端的に示す有名な表現だというようなお話をうかがいながら地元の特産品や美味しい日本酒をたらふく食べて飲んだのですが、中でも名物の油揚げは美味でしたし、北雪酒造の純米大吟醸YK35というお酒は芳醇かつフルーティーで、たくさん日本酒を飲んだ一週間にあっても最高の逸品だったと思います。そして、何の変哲も無くさらりと供される締めの白飯の旨いことといったらなく、普通の牛丼チェーン店でも米が不味いとすぐ潰れるという米どころ新潟の底力を垣間見た気分でした。唯一の心残りは、名物茶豆の季節に少しだけ早かった点で、何とか近いうちにまた機会を作って再訪したいところです。

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金次郎、お世話になった方からの依頼で父から15歳の息子に贈る本を選出

どうにかこうにかweeklyでのupを維持しております本ブログですが、次回はスケジュールの関係でちょっと間が空き4月3日(日)あるいは4日(月)の投稿となり、そこで金次郎と宿敵Mの本屋大賞2022順位予想を大発表いたします。その後6日(水)の大賞発表を受け、8日(金)か9日(土)に予想対決結果をご紹介する予定にしております。どうぞお楽しみに!

さて、今回は敬愛する先輩であり、シンガポール時代より家族ぐるみで仲良くさせていただいているAさんからこの春より高校生になるご長男に贈るべき本を見繕って欲しいとのご依頼があったので、こちらで紹介させていただこうと思います。いざ考え始めるとこれは大変な難問で、お父さんの思いも息子さんの趣味もある程度踏まえていないと不適切なチョイスになりそうで、悩みに悩み、この数年で読んだ2000冊超のリストを頭からひっくり返すこととなりました。結局、自分の好きな本が中心になってしまい本ソムリエとしての才能の無さを露呈する結果となってしまいましたが、以下が絞りに絞った10冊となります。Aさん、ちょっと偏ってしまいすみません。

【Aさんのご子息への紹介本10選(順不同)】

◆「銃・病原菌・鉄」(ジャレド・ダイアモンド著 草思社 ):人類の進化の歴史とその背景を地球的視野で語るこの本は、高校生にはちょっと難しいようにも思いますが、金次郎としては本格的に歴史や地理の勉強をする前に読んでおきたかった一冊です。メモを見ながら内容の詳細を思い出し選びましたが、冒頭のニューギニア人であるヤリさんと著者とのやり取りは非常に印象に残っています。これを選んでしまったので、泣く泣く「サピエンス全史」は候補から落としました。

「徳川家康」(山岡荘八著 講談社):金次郎は父の本棚に鎮座していたこの全26巻を眺めながら成長しましたが、実際に読んだのは成人してからで、もっと前に読み、内容について父と語り合うべきだったと後悔しまくった、様々な人生の機微を疑似体験できる歴史大河小説です。人生の節目で何度も読み返す人が多い、新たな発見の宝庫である本作の存在を心に留めていただければどこかできっと何かの役に立つと思います。

「動物農場」(ジョージ・オーウェル著 早川書房):言わずもがなの名著ながら全体主義、スターリン主義批判ということでやや歴史的モメンタムを失っていたものの、新たな全体主義の足音が幻聴ではなく聞こえ始めたこの時代に改めて若者の記憶の端にでも残しておきたい内容と思い選出いたしました。先ずは、何だこの意味不明な動物の話は、と怪訝に思ってもらい、その後歴史を学んで、これってまさかあの話では、とリンクして驚いて欲しいというのが金次郎のささやかな企みです。

「バッタを倒しにアフリカへ」(前野ウルド浩太郎著 光文社):アンリ・ファーブルに心酔するバッタ博士の著者が西アフリカのモーリタニアで苦労しながらバッタ研究を続ける体験記です。面白く読み進める中で、仮説を導く発想、検証に向けた色々な工夫、やりたい事への共感を集めて仲間を増やす方法論、現場に赴くことの大切さなど、人生において重要なことが学べる良書だと思います。

◆「十五の夏」(佐藤優著 幻冬舎 ):最近このブログでも紹介しましたが、まさに15歳のこの時期にウクライナ危機を経験している今こそ読むべき旅行記と思い選びました。佐藤先生の常人離れした人生は全く参考にはなりませんが、旅行もままならぬ昨今、日本にいては感じ取ることのできない危機感を体感して欲しいと思います。旅行記かぶりということで涙を呑んで「深夜特急」は外しました。

「地下鉄道」(コラソン・ホワイトヘッド著 早川書房):オバマ元米国大統領も推奨したこの本は、悲惨な南部黒人差別の実態を描き出すばかりでなく、リベラルの仮面を被った人間の偽善をも暴き出すちょっとシリアスな内容です。ただ、そういう時代に命懸けで黒人たちの逃亡を支援した結社〈地下鉄道〉に関わった人々の思いに何かを感じて欲しいと思い選びました。

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金次郎、新年早々箱根駅伝も見ずに自転車レースにはまる

少し遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。本年もどうぞ宜しくお願いいたします。年末年始は妻の股関節痛のため帰省や親戚への挨拶はおろか、ほぼどこにも行かずデリバリー食材を活用しての引きこもり生活となり、徹底的に家でのんびりした結果、旧年中の疲れも抜けてなかなか良い休息となりました。そんな年末にラストスパートできたこともあって、2021年の読了数は381冊と昨年に続き自己最高を更新いたしました。ただ、今後は出社頻度や会食、もしかしたら出張も増えるやもしれず、次の自己記録更新は退職後になりそうです。でもそんなに先じゃないのが怖い。

さて、昨年末に王様のブランチBOOK大賞が発表となり、2021年はこのブログでも紹介したミステリー「六人の嘘つきな大学生」(浅倉秋成著 KADOKAWA)がその栄誉に輝きました。以下に並べた通り、毎回ブランチBOOK大賞受賞作は本屋大賞レースでも上位に食い込む一方(ここ10年で大賞4回、トップ3以上8回)、ミステリー作品はファン層がやや限定されるためか前評判は高くともトップ3に入らないケースも多く、まだ本屋大賞ノミネート作品発表前ですが「六人の嘘つきな大学生」を何位にするか早くも予想に悩み始めております(笑)。

2011年 「マザーズ」(金原ひとみ著 新潮社)→本屋大賞選外

2012年 「楽園のカンヴァス」(原田マハ著 新潮社)→同3位

2013年 「昨夜のカレー、明日のパン」(木皿泉著 河出書房新社)→同2位

2014年 「かたづの!」(中島京子著 集英社)→同選外

2015年 「羊と鋼の森」(宮下奈都著 文藝春秋)→同大賞

2016年 「みかづき」(森絵都著 集英社)→同2位 

2017年 「かがみの孤城」(辻村深月著 ポプラ社)→同大賞

2018年 「そして、バトンは渡された」(瀬尾まいこ著 文芸春秋)→同大賞

2019年 「線は、僕を描く」(砥上裕将著 講談社)→同3位

2020年 「52ヘルツのクジラたち」(町田そのこ著 中央公論新社)→同大賞

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【アフター4読書二周年】今年の人気記事ランキング発表!

先日会社の若者から、前半のよもやま話の引き出しが多くて驚きます、とお褒めの言葉をいただきました。読めばそれなりに書ける本の紹介と違って、よもやま話は自分の中に有るもののうちからネタを絞り出して書かねばならず、この作業は自分の薄っぺらさと向き合うことを余儀なくされるので、内容の緩さにそぐわぬ必死の形相になりながら毎回どうにかこうにか紙面を埋めており(涙)、これまでも多くの方に面白いと言っていただきましたが、やっぱり何度褒められても嬉しいですね。

そうこうしながら、このブログを始めてからはや丸2年が過ぎました。たまたまですが、コロナ禍で飲み会が激減したタイミングと完全に期間が被っていたことがどうにかここまで続けられた大きな要因だと思います。今後少しずつ生活が通常モードに戻っていくと想定される中、読書&ブログの時間をどう捻出するか2022年はチャレンジの年になりそうです。いい区切りなので、振り返りも兼ね前回のランキング発表からの約1年間(2020年12月~2021年12月)に読んでいただいた回数が多かった記事のランキングをまとめてみました。(カッコ内は前回の順位です。)

第10位(-) 瀬尾先生の新作長編「夜明けのすべて」とやはり犬は泣ける伊吹先生の「犬がいた季節」を読む(2020年12月22日):この記事はまだ一回の充電で走行できる距離が100km程度だった10年前のEVドライブ珍道中の完結編で、結構たくさんの方に面白かったと褒められて嬉しかった記憶が有ります。読書と無関係な部分の分量が多すぎるのが少しだけ気になりますね(笑)。

第9位(-) 金次郎、福岡県出身のブレイディー・ミカコ先輩を再認識+30年前の思い出を語る(2021年1月13日):30年前の若気の至りのエピソードは非常にしょうもない話なのですがやっぱり懐かしくて自分でもたまに読み返してニヤニヤしています。後半の新自由主義がもたらしたイギリス社会の歪についての真面目な感想とのギャップがゴーストライターがいるのではと疑われかねない激しさで笑えます。

第8位(-) いよいよ本屋大賞2021ノミネート作品発表!(2021年1月26日):やはり人気の高い本屋大賞関連投稿です。読み返してみると、本当に自分がこれを書いたのかと一瞬自信が無くなるぐらいなかなか簡潔に候補作を紹介していてちょっと自画自賛してしまいました(笑)。

第7位(-) 期待通り面白かった染井為人先生の「正体」を紹介!(2020年12月8日):10位にも入ったEV珍道中の第一回(全3回)ですが、存外金次郎の昔の面白い思い出は人気が高いことが分かります。引き続き記憶を絞りに絞って思い出シリーズを充実させてビューを稼ぐことを検討してみたいと思います。人生50年の区切りとして自分史的な感じにしてもいいかもしれません。かすんでしまっていますが、「正体」も面白い本ですのでぜひご一読下さい。

第6位(-) 文学女子とその母上に冬休みにじっくり読める本を紹介(2020年12月28日):引き続き人気のこの本紹介企画ですが、最近お薦め本リストが枯渇気味という難題に直面しております(笑)。文学女子ABさんも来年は受験生ですので面白い本を紹介し過ぎるのもどうなのかと悩みつつ今後のこの企画の在り方について考える今日この頃です。

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金次郎、海外の文学賞についても少しだけ調べてみる

前回のブログに妻のことを少し書きましたが、読んでいただいた皆さんからたくさんの有用な情報をいただきました。お心遣いに大変感謝しております。どうもありがとうございました。できるだけ早くポジティブなご報告ができるよう夫婦二人で治療を頑張って参ります。

さて、海外の作品を読もうとして候補作の紹介文を眺めていると、○○賞受賞!という記載をよく目にします。そういった賞がたくさんあって何が何だか分からなくなりがちなので、思い立ってここで軽く整理してみたいと思います。(日本の文学賞についての説明はこちらで)

ノーベル文学賞は作品でなく作家に贈られるため奥が深すぎてここでの説明から除外しますが(苦笑)、その他の賞で最も目にする機会が多い印象なのはやはりブッカー賞でしょうか。イギリス連邦+アメリカの作家による長編小説が対象となるこの賞は厳正な審査が有名で様々な分野から選出された選考委員が多数のロングリスト作品を全部読んで、ショートリストした6作品の中から最終的に受賞作を選ぶ流れとなっているようです。賞金は5万ポンドとなかなか高額で、優れた作品を選ぶというコンセプトから芥川賞や直木賞と違って複数回受賞する作家も存在しています。金次郎は少なくとも以下の受賞作を読んでおり、いずれ劣らぬ面白い作品ばかりですので今後もこの賞は信頼して翻訳が出たらなるべく早めに読みたいと思います。

「日の名残り」(カズオ・イシグロ著 中央公論新社)1989年/「昏き目の暗殺者」(マーガレット・アトウッド著 早川書房)2000年/「パイの物語」(ヤン・マーテル著 竹書房)2002年/「グローバリズム出づる処の殺人者より」(アラヴィンド・アディガ著 文芸春秋)2008年/「七つの殺人に関する簡潔な記録」(マーロン・ジェームス著 早川書房)2015年(本ブログで紹介済み)

珍しいところを簡単に紹介しますと、「パイの物語」は本賞を取ったからか映画化もされています。16歳のインド人少年ピシル・モリトール・パテルが3歳のベンガルトラと7か月以上太平洋を漂流するという奇想天外なストーリーで、何と言っても狭いボートの上でのトラとの共生が生み出す極限の緊張状態がこれまでのサバイバル小説と一線を画していて新鮮です。漂流は第二部で描かれているのですが、一見意味の無さそうな第一部の内容が後になって非常に重要になってくる構造はなかなか手が込んでおり、クライマックスの第三部では人間性の限界が見事に描かれています。

「グローバリズム出づる処の殺人者より」はインド社会の現実と闇を、なんともリアルに描き出している秀作です。語り手の、淡々と皮肉っぽく悟ったような語り口が究極の格差社会の壮絶さを際立たせていて本賞受賞も納得です。気持ち悪いところも有りますが、読み始めたら止まりません。とある人がインド出張中に肥溜めに落ちたという話を思い出してぞっとしました(笑)。

このブッカー賞がお手本にしたというか、真似をしたとされるのがフランスのコンクール賞でフランスの作家による独創的な小説に贈られる賞です。こちらは賞金が10ユーロというのが笑えます。金次郎は、「地図と領土」(ミシェル・ウェルベック著 筑摩書房)2010年(本ブログで紹介済み)「天国でまた会おう」(ピエール・ルメートル著 早川書房)2013年、を読んでおり、どちらも独特の雰囲気の有る作品で印象に残っておりました。「天国で~」は戦争で下顎を失った悲しい男の物語です。

この他にもよく話題になるのはアメリカの報道、写真、小説、音楽など21部門で選出されるピューリッツァー賞かと思います。色々なメディアでこの賞のことを目にする機会が多いのはやはり21部門も有って濫発されているからでしょうか(笑)。電気屋さんなどでよく見かけるグッドデザイン賞が応募数の約30%に授与されるというのを少し思い出しました。ピューリッツァー賞のフィクション部門にはあまり縁が無く、調べた最近の作品では「地下鉄道」(コルソン・ホワイトヘッド著)2017年(本ブログで紹介済み)しか読んでおりませんでした。一方、ノンフィクション部門にはなかなか興味深い作品が多く、「石油の世紀」(ダニエル・ヤーギン著 日本放送出版協会 )1992年(本ブログで紹介済み)、「銃・病原菌・鉄」(ジャレド・ダイアモンド著 草思社 )1998年、「病の皇帝〈ガン〉に挑む 人類4000年の苦闘」(シッダールタ・ムカジー著 早川書房 )2011年(本ブログで紹介済み)「一四一七年、その一冊がすべてを変えた」(スティーブン・グリーブラッド著 柏書房)2012年と読んでおりました。中でも「一四一七年~」は、馴染みの無い年号が気になって読んだだけだったのですが、古代ローマの詩人ルクレティウスによって紀元前に著され、1000年の行方不明期間を経てブックハンターによってドイツの修道院でたまたま〈発見〉された「物の本質について」が世界に与えた影響を描くという笑えるほど壮大な内容でした。この〈発見〉がその後に起きる宗教改革、ルネッサンス、自然科学の進歩と深く結びついていたと知って、歴史の運命的なつながりはやはり奥が深いと思いました。トマス・ジェファーソンも愛読していたようで、独立宣言の〈幸福の追求を支援~〉の部分はこの本の影響だそうです。

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「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2」の大人の事情を考える

突然ですが、Oxford dictionaryが選ぶ2021年のword of the yearはvaxとなりました。名詞の場合の意味はvaccineと同じでそのままワクチン、動詞として使う場合はvaccinateと同じ意味でワクチンを接種する、という感じになります。2020年は様々なcovid-19関連の言葉が使われ過ぎてword of the yearが絞り切れず選べなかったことを考えると、良くも悪くも今年は世界中こぞってワクチン打ってコロナに勝つ!というトレンド一色の年だったということになるでしょうか。ちなみに2019年はグレタさんの影響でclimate emergency、2018年はtoxic、2017年はyouthquakeがそれぞれword of the yearとして選出されていたようです。今年は日本の流行語大賞もワクチンになるかと思いきや、新語でないということで既に発表された30件の候補には入らず、金次郎としてはこのブログで取り上げた〈うっせぇわ〉〈ゴン攻め〉〈副反応〉にぜひ頑張ってもらいたいところです(笑)。余談ですが、中国駐在から帰任された方と本日久々にお会いしお昼をご一緒したのですが、現地でSinovacを2回接種され、帰国後にもファイザーを2回打たれるとのことでブースター越えの4回接種には無敵マリオオーラを感じました(笑)。

さて、無理くり英語のword of the yearを持ち出したのは以下の本の紹介をする前振りです(笑)。「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2」(ブレイディー・ミカコ著 新潮社)はノンフィクション書大賞を取って売れまくった「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」(同)の続編です。金次郎は、以前このブログでも紹介した通り「ぼくイエ1」を大いに感動しながら読み終えたので、発売直後からずっとランキング上位を維持しているこの続編も非常に楽しみにしておりました。

ところがいざ読了してみると、例の続編はオリジナルを越えられないの法則以上の違和感が残り、このやるせなさはどこから来るものかとちょっと悩んで考えざるを得ない気分となりました。相変わらず元底辺中学における日本と違う教育システムの仕組みは非常に興味深いですし、ミカコ先生のエスプリや音楽うんちくも健在ですし、我が故郷の福岡ネタも盛り込まれていますし、アイルランド系トラック野郎の配偶者の方はじじいなのに鉄板にファンキーですし、そのあたりには不満は全く有りません。そして何より日本より圧倒的に多様なイギリス社会において、そういう社会で避けられない人種や階級や主義信条の違いによって生じる複雑な問題を思いもよらない柔軟なメタ視点で乗り越えていく息子くんの成長ぶりが、遠からず訪れる親離れの予感を頼もしくも淋しく受け入れようとしているかぁちゃんの目線で愛情いっぱいに描かれていてこれは感動無しには読めません。

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会社の先輩に薦められ、有名作「冷静と情熱のあいだ」を読む

緊急事態宣言も解除となり、東京都のリバウンド防止措置期間も終了したことで、出社率上限が撤廃されたことを受け、今週からそこそこ会社に行くようにしております。そして、スーパー久しぶりにお客様とリアル面談をしたのですが、面談が終わったタイミングがちょうどランチタイムでしたのでその近所の名店「はしご(入船店)」で超久々にダーローダンダン麺を食べ心の底から感動しました。二日酔い時にこそ最強に旨いと感じる中毒性抜群のラーメンですので前日お酒を飲まなかったことをやや後悔したものの、それでも十分ダンダン麺は美味でした。そして、「はしご」の密かな楽しみである黄色い漬物も健在で、白ご飯が黄色ご飯になるほど山のようにご飯に載せて堪能することができました。ただの千切り沢庵だと思うものの、49年の人生であれ以上の飯の友に出会ったことが無いのできっと何か中国四千年の秘密が隠されているのだろうと勘ぐっております。オフィスに戻った後も興奮冷めやらず、「はしご」に行って黄色い漬物を山のように食べたと複数人に自慢し全員から羨ましがられるフィーバー状態となり、若干仕事への集中力が削がれたことは否めません。すみません。コロナが永遠に落ち着いて、全てのサラリーパーソンが愛する「はしご」のダンダン麺と黄色い漬物をいつでも食べられる平和な世の中がずっと続いてくれることを心から祈った一日でした。

前回のブログで長期間離れ離れだった男女が久々に再会するというホットな内容について書き、「流沙」と「マチネの終わりに」をそういうストーリーの小説として紹介しました。すると、そのブログを読んで下さった会社の先輩から「冷静と情熱のあいだ」もそんなお話だよと薦めていただいたので、早速週末に一気に読みました。本作は人気作家二人の合作で交互に1章ずつ連載されたものを単行本二冊にまとめたという珍しい構成となっていて、男性(阿形順正)目線で描かれた「冷静と情熱のあいだ Blu」(辻仁成著 KADOKAWA)と女性(あおい)目線の「~ Rosso」(江國香織著 同)が対になっており、どちらから読むかで印象が変わるというなかなか凝った作りの恋愛小説です。

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長い間離れていた二人は幸福になれるのか、小説に例を探してみる

最近あのお二人が話題ですが、婚約中とはいえ、3年2ヵ月も会っていないのにいきなり結婚してしまうという荒業が可能なのだろうか、とどうしても思ってしまう今日この頃です(笑)。3年といえば、中学生は高校生になり、大学新入生が上手くいけば就職が決まってしまうほどの期間ですし、企業では中期経営計画の期間として一般的で、何が言いたいかというと、だいたい物事に一区切りを付けて次の新たな展開に進んでいこう、というぐらいの長さなわけです。そんな長い間、リモートでのコミュニケーションはあったにしろ全く直接会うことなく、ちゃんと関係が維持できて上手くいく話なんてご都合主義の小説でも滅多にお目にかかれないような・・・、と思いつつ記憶を掘り起こしてみました。

時間的空間的遠距離恋愛小説として真っ先に思いつくのが、「流沙」(井上靖著 文芸春秋)です。西ドイツのボンで暮らす考古学者とパリを拠点にしているピアニストが出会って直ぐに結婚を決めるものの、若さというか未熟さゆえに、あっという間に問題が発生し、お互い海外在住ということもあり、2年半も離れ離れで暮らした後破綻寸前までこじれるものの、どういう訳かインドというかパキスタンのモヘンジョ・ダロ遺跡(インダス文明!)で奇跡的に復縁するというお話です。全体的なストーリーの雰囲気がお二人の図式と似ていると思ってしまうのは金次郎だけでしょうか。気になったので、最後のところだけ読み返してみると、エピローグ的に終章として書き込まれている恋愛を終わらせた別の登場人物女性の手紙が非常に印象的でした。その手紙の中ではちょっとネガティブな意味で〈凍れる愛〉というドキりとする表現が使われていましたが、お二人は3年前にフリーズドライして保存してきた(?)愛情をうまく溶かしてホカホカにしていただければ良いな、と思いました(意味不明)。

次に思いつくのは、なんと足掛け6年で3回しか会えなかった二人の悲しい大人の恋を描いた「マチネの終わりに」(平野啓一郎著 文芸春秋)ですね。最近映画化もされましたのでご存知の方も多いかと思います。主役は男性が天才クラシックギタリスト、女性がPTSDを抱えるジャーナリストということで共通点があるような無いようなですが、王子と王女のラブストーリーという感じでは全くなく、なんとももどかしい上にドロドロの展開も入り込んでくることに加え、必ずしも誰もが認めるハピエンというわけではないのでやはり参考文献としてはやや不適切かなとも感じました。しかし、奇しくもラストシーンはニューヨークとなっておりやっぱりちょっと奇遇かも。二作ともボリューミーではありますが面白いお話なので、今回の騒動を機に、長い間会えない二人の恋愛模様というテーマで秋の夜長に読書してみるのも一興かと思います。

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「二重らせん 欲望と喧噪のメディア」を読み、意外な日本のメディア王の存在を知る

早くも10月に入り、金次郎は毎年恒例の人間ドック前スイーツ断ち期間に入っております。ここしばらく中央区・江東区界隈を散歩した後のスイーツ購入というカロリーのマッチポンプ状態を続けておりましたので正直非常に苦しいです。ただ、緊急事態も解除となりこれから年末にかけてカロリーマッチマッチモードに入ると懸念されますので、ここでぐっとこらえて体重を落としておくのが50代目前のオヤジとして取るべき道と歯を食いしばって耐えております。

さて、気分を変えて本の話です。「二重らせん 欲望と喧噪のメディア」(中川一徳著 講談社)は1959年にそれぞれ民放第三局、第四局として誕生したフジテレビとテレビ朝日(旧日本教育テレビ→NETテレビ)が生み出すカネと利権を我がものにしようと激しい抗争を繰り広げた人々の栄枯盛衰の歴史を綴った迫力のノンフィクションです。

フジテレビは日本放送と文化放送、テレビ朝日は東映、日本経済新聞社そして旺文社などが中心となって設立されましたが、この本の前半では文化放送の経営にも関与していた旺文社の創業一族である赤尾家の野望とカネへの執着を中心に描かれます。

赤尾といえば、金次郎は父から譲り受けた「赤尾の豆単」で英単語を勉強した記憶がありますが、旺文社初代社長の赤尾好夫氏こそこの豆単の考案者であり、英検の創始者であり、8チャンネルと10チャンネル(現在は5チャンネル)をめぐる初期抗争の主役なのです。フジテレビの31.8%を保有する文化放送の過半数を持つことで、同51%の日本放送の最大株主とはいえ約13%と同社支配権を持たない鹿内家とフジテレビの支配を巡ってわたり合った好夫氏は、NETテレビの旺文社持ち分である21.4%も駆使してフジテレビ、テレビ朝日双方に多大な影響力を行使し続けました。複数の大手メディアにこの規模で支配権を行使し操った存在は本邦史上赤尾一族しかおらず、知られていませんが(少なくとも金次郎は全く無知でした)日本にもメディア王と呼べる人がいたんだな、と功罪は別として感慨深いものがありました。

教育関連企業でかつあくなき支配欲を持つというのはちょっとイメージにギャップがありますが、このギャップはカネへの執着が際立つ二代目社長の赤尾一夫氏時代にどんどん加速していきます。そもそもテレビ朝日は教育関連コンテンツを50%以上放送することを条件に設立されていて最初は辻褄が合っていたのに、経営不振からアニメや映画(東映が配給)も教養番組というこじつけで放映し始めたあたりからやや様子がおかしくなっていて面白いです。その後東映持ち分を朝日新聞社が引き取って系列下していく流れなのですが、朝日は朝日で村山家と上野家という二大株主による支配構造となっており、そちらについても細かく記載されていて興味深く読めました。

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村上春樹先生の第8長編「ねじまき鳥クロニクル」と第12長編「1Q84」を読む

急激に気温が下がり特に夜寝る際は暖かいふとんが恋しくなってまいりました。うちは狭いくせに保温効果があきらめきれず、非常にかさばる羽毛ふとんを使用しておりますが、かさばり対策としてクリーニング店の洗濯&保管サービスを活用しております。しかし、なぜだか異常にフレキシビリティに欠けるこのサービスはなんとふとんの返却時期を10月末か11月末、あるいは12月末の3オプションしか設定しておらず、9月末の時点で涼しさを感じてしまっている我々夫婦はあと球のユーザーに我々のふとんをレンタルして儲けているのではないかとの疑念すら抱いてしまいます(笑)。ちなみに羽毛ふとんはハイイロガンを品種改良したグース(ガチョウ)かマガモを品種改良したダック(アヒル)の軸のある羽根(フェザー)と軸の無い羽毛(ダウン)が詰め込まれたものですが、羽根や羽毛が大きいほど軽く保温性に優れているということで、ダックよりはグース、フェザーよりはダウンが高級品とされています。羽根ぶとんというのはフェザー比率が高いものでややお求めやすい価格になっていますね。グースの中でも卵を産ませるために厳選され、冬を越えて成長した個体すなわちマザーグースの羽毛(ダウン)比率の高い製品には結構びっくりする価格が付いているのをデパートなどで見かけますが、アイスランドのアイダーダックという保護されている水鳥の羽毛で作られる製品は軽さと羽毛のかぎ状の形状が生み出す保温効果から最高級品とされており、ふとんの西川でお値段を見ると驚きの462万円!となっていました。アイダーダックがひな鳥が巣立った後に放棄した巣の中にしきつめてある羽毛しか使えないので稀少なことは理解できるものの、それにしても高い。色々調べていて最高級品を奮発してやろうかとだんだん妄想が膨らんできていましたが、あっさり撃沈して1ヵ月寒さに耐えることといたします。

今回はやや前段を軽めに終え、ちょっとヘビーめに本の感想を紹介することといたします。英会話の先生とのフリートークの話題にもし易いので、このところ調子に乗って読んでいる村上春樹作品ですが、先ずは第8長編の「ねじまき鳥クロニクル」(新潮社 )です。妻と二人、普通の生活を送っているように見えた失業中の岡田徹の人生の歯車が、飼い猫がいなくなったことが合図であったかのように少しずつ狂い始め、遂には愛する妻さえも突然失踪してしまう、という感じでスタートする物語は、なかなかストーリーの流れを捉えるのが難しく、渦に巻き込まれるような気分で読み進めさせられる作品です。場面は東京のあちこち、北陸のカツラ工場、大戦中の満州、はたまた村上作品ではお約束の井戸の中から繋がる異世界と飛びまくり、加納まるた・クレタ姉妹、赤坂ナツメグ・シナモン親子、気持ち悪い議員秘書の牛川をはじめキャラの強い登場人物多数で、相変わらず渦の中ではあるものの次第に物語に引き込まれていきます。春樹作品の例に漏れずしっかりと意味不明ではありますが、それぞれの人間存在は自らの認識によって構築された世界の中で、自分固有のエンジン(ねじまき鳥)により他者とは異なる時空で駆動させられていて、他者に対する認識というものは常に不確かで不安定なものである、そしてそれは総体としての歴史についても言えることである、というようなことがおっしゃりたいのではないかと感じました。自分の文章ですが読み返してみて意味不明ですね、すみません(笑)。最近頭髪ネタは許容されない方向となっておりますが、銀座でのかつら調査のアルバイトの件りは村上作品には珍しくくすっと笑える一幕で気に入りました。どこかの解説に、この「ねじまき鳥~」の原稿を推敲する中で大幅に削除された部分が第7長編である「国境の南、太陽の西」(講談社)のベースとなったとありましたが、一体どこにどういう形で組み込まれていたのか非常に気になるところです。

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金次郎、「アンダーグラウンド」(村上春樹著)のリアルと自らの無知に驚愕する

8月といえば帰省の季節です。コロナ禍のため金次郎は故郷福岡にしばらく帰れておりません。先日中山七里先生の人気シリーズである御子柴弁護士ものの最新刊「復讐の協奏曲」(講談社)を読んだ際に、主人公御子柴の故郷が金次郎と同じ福岡市南区で、いつも使っていた西鉄大牟田線の大橋駅が頻繁に出てきたために、郷愁の思いが募りました。

帰省して父親や妹家族と会うのは勿論楽しみではあるのですが、懐かしい地元フードを食べるのがやはり重要なイベントですので、郷愁ついでに今回は金次郎が帰省したら絶対に食べたい福岡の地元グルメをご紹介させていただきます。

先ずは何と言っても吉塚うなぎ屋ですね。ふっくらと蒸してある上品な東京のうなぎも良いのですが、やはり西日本のパリッと焼いた上に若干ジャンキーな甘しょっぱいタレをたっぷりかけた蒲焼は最高です。そんな中でもこの店のうなぎは群を抜いて美味でコロナ前は中国人観光客が押しかけて入店が相当困難だったようです。今なら予約も取れるのにコロナのせいで帰省できない・・・、なんとも忸怩たる思いです。ただこれを書くためにネットを観たらお取り寄せ可能とのことなので、ちょっと妻と交渉してみようと思います。ちなみに東京ではひつまぶし名古屋備長で比較的近い味が楽しめます。

次に帰省したら確実に食べたいものが回転焼き(東京では今川焼)の蜂楽饅頭です。亡くなった母が若い頃に西新本店でよく食べていたそうなので歴史は相当古いこのお店は、たかが回転焼きと侮れぬ信じられないクオリティの美味スイーツです。皮も旨いし黒あんも白あんも甲乙つけがたい旨さです。金次郎家ではいつも東京に戻る直前に天神岩田屋店で数十個を購入し(黒あんと白あんの比率をどうするかでいつも10分程悩みます)、腕がちぎれそうになりながら有り得ない回転焼き臭をただよわせつつそれらを飛行機内に持ち込み、羽田到着後は脇目も振らずに自宅に戻り即行で冷凍保存にします。そうするとレンジで表を1分、裏を0.5分チンすることでかなりしばらくこの美味を楽しめるという幸福な時間が続きます。冷凍庫のキャパを食いつぶしてしまうためにその他の冷凍食品はあまり入らなくなってしまいますが(笑)。

最近行けていないので味がどうなっているか未確認ですが、機会が有れば食べたいのが一九ラーメン老司本店です。実家の近所ということもあり、とにかく上京するまでの十数年間食べ続けたお店で、濃厚なとんこつスープ、真っ直ぐな細麺と白ごまのバランスが最高の一品だと思います。こうして書いていると耐えられない程食べたくなってきました(涙)。

あと、あまりにもジャンクなソースと脂マヨネーズのかたまり過ぎて、妻からダメ出しをされるケースが殆どですが、やはりソウルフードとしてお好み焼きのふきやは外せないと思います。確かに美味しいかどうかは賛否の分かれるところかとは思いますが、若かりし頃の舌の記憶がどうしてもあの味を求めてしまいます。あー食べたい。しかも大橋店できてる!

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金次郎、なぜ相撲がオリンピック種目になれなかったかに興味を持つ

心の狭い金次郎はオリンピック陸上男子4×100mリレーのバトン失敗を観て、あやうく本も読まずに23時まで長々と待ったのに・・・、と思ってしまうところでしたが、佐藤多佳子先生のノンフィクション作品である「夏から夏へ」(集英社)で2007年大阪世界陸上での塚原・末次・高平・朝原の同種目でのアジア新記録樹立のドラマを感動しつつ読んでいたため敬意をもってメンバーに拍手を送ることができました。ちなみに金次郎は見た目が第三走者の桐生選手に似ているようで、同じマンションに住むおじいさんからよく「桐生くん、速かったね。」などと声を掛けられ、複雑な思いを脳内で交錯させた後に「あざっす。」と返答したりしております(笑)。

そんなオリンピックも閉会し、パラリンピックが始まるまで一休みという感じですが、様々な必ずしもメジャーとはいえない競技がオリンピック種目となっているのを観て、せっかく東京開催だったのにどうして相撲は正式種目にならなかったんだろうと思い、今更ながらネットで少し調べてみました。

やはり正式種目を目指す活動は存在しているようで、その主体となる国際相撲連盟(International Sumo Federation)という組織もちゃんとあり、そのISFの下で世界相撲選手権、世界女子相撲選手権もそれぞれ定期的に開催されていて、男女両方で実施できることというIOCの基準も充足しているように見えます。ではどうして正式種目になれないかといいますと(東京大会は追加種目の1次書類選考で落選)、色々な理由が考えられますが、①恐らく競技人口が絶望的に少ない、②IOCがこのところ推奨しているプロ選手、すなわち日本では大相撲、参加のハードルが高い、③そして何より相撲を最も推すべき日本が金メダルを取れるか微妙なので国を挙げて相撲をよろしくという雰囲気にならない、という感じかと思います。①については、世界での相撲競技人口は分かりませんが、例えば日本の高校生の部活データではサッカー、野球、バスケが20人に1人、バドミントン、陸上、テニス、バレーボールが30人に1人程度の規模である一方、ややマイナーな弓道が50人に1人、水泳が100人に1人、柔道が150人に1人であるのに対し、なんと相撲は4000人に1人と圧倒的に少ないのが現状です。勿論部活という意味では300人に1人しかいない空手が世界競技人口では7000万人とされ同130万人にすぎない柔道をはるかに凌駕しているケースもあり一概にはいえないものの、相撲がこれに当てはまるとも思えず道は険しそうな感じです。②もアマチュア選手ならいざしらず、日本古来の神事の担い手たるべき力士がグローバルに標準化された格闘技としてのSumo競技の場に参加するということになると相当な議論を惹起するでしょうし、そういう国技としての大相撲の文化的意義もさることながら、絵柄的にちょんまげの人が普通の髪型の人と闘うイメージも湧きません。また、③とも関係しますが、結構モンゴルに金メダルを持っていかれる懸念もあり、やはり難しいか、というところですね。アマチュアが参加する世界選手権でもかなり外国人に優勝をさらわれていると知りやや残念な気分となりました。開催国推薦枠が使える次回の日本開催はまた50年ぐらい先になると思いますので、それまでにこれらの課題が解決できるのか、微かに注目していきたいと思います。もしかしたら30年後ぐらいにウランバートルオリンピックが開催され、晴れて正式種目入りというシナリオも有るかも?

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金次郎、ワクチンの副反応にやや苦しむ

いよいよ職域接種も本格的に始まり、金次郎も7月1日の14時に会社でモデルナ製ワクチンの1回目接種を受けました。当日は体温、体調共に全く問題無く、お昼に同僚とかつ丼を食べやる気満々で接種に臨みました。利き腕でない左手のかなり上の方に注射するということで、当日は推奨の半袖Tシャツで出社し、キャプつばの日向くんのように袖をまくり上げて待機。ガチ日向くんにするためには、左右両方の袖をくるくると折り上げてノースリーブ状態にまで持っていく必要があり、金次郎はやる気だったのですが、それは不要ですと一緒にいた後輩にたしなめられるというお恥ずかしいやる気の空回りとなりました。

接種そのものはほとんど痛みも無く、アナフィラキシー確認の15分も無事終了して業務に復帰、夕方から夜にかけても左腕が軽くピリピリするぐらいの症状しかなく、いつもの踏み台昇降運動も少しやってワクチン恐れるに足らずと勝ち誇って就寝しました。

2日目(7月2日)も午前中はやや眠かったものの、もはや持病である不眠症による睡眠負債と判断し普通に家で仕事をしていましたが、接種からちょうど丸一日経過したあたりから眠気がひどくなり頭が全く働かない状態となります。

どうしようも無いので、やむを得ず1時間ほど仮眠をすることにしたのですが、そこそこ熟睡したにも関わらずその後も眠気は取れず、昼に食べたおむすびも消化できないほど胃が硬直した感じのもやもや感に苦しみ、加えて接種した左腕の筋肉痛は増すばかり、ということで、これはまさか?副反応なの?という悲しい状態に陥ってしまいました。

結局その日は運動はおろか、食欲も湧かず、本も1ページも読めずブログも書けぬまま、夕食も抜きで午後7時に就寝。そして、うまく眠れず午後10時頃覚醒した際には37.5度の発熱と全身倦怠感という状態に。そこから浅い眠りと覚醒を繰り返し、全身の不快な鈍痛に耐えながら3日目の7月3日土曜日を迎えますが、午前中は引き続き症状全部乗せの状態で何も手につかず、お昼にパンを少し食べられるようになったあたりから徐々に回復し、だいたい接種後54時間程度経過したその日の夜には若干の頭痛と肩の痛みを残して他の症状はほぼ解消し漸く普通の生活に戻ることができました。

Twitterからの情報で自称ワクチン博士となっている妻によると、モデルナの1回目接種で発熱する人は4%だそうで、不運を嘆くと共に2回目を受けるのがやや怖くなりました。1回目と2回目の副反応は独立事象であるとの博士コメントを信じつつ、面倒なので予め接種翌日はお休みを取った上で、びびりながら運命の2回目接種に望むことにしたいと思います。皆さんの参考になるかと思いややだらだらと書いてしまい失礼しました。

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金次郎、佐藤優先生に刺激され高校時代を回想する

先輩に薦められ佐藤優先生の「国家の罠:外務省のラスプーチンと呼ばれて」(新潮社)を読もうとしていたのに、以前紹介した「十五の夏」の影響か手が滑り「友情について 僕と豊島昭彦君の44年」(講談社)を読みました。佐藤先生の浦和高校時代以来の親友である豊島昭彦さんが膵臓ガンで余命宣告されたことを契機に編まれた、言ってしまえば〈市井の人〉の来し方を描いたこの本は、その出版に至る経緯も影響しているのかもしれませんが、山あり谷ありの人生を投げ出さずに、自分の生きた証を刻むべく地に足を付けて日々の生活を送ることの大切さを実感させられる、50歳目前の金次郎の心にずっしりと響く内容でした。豊島さんの日債銀の破綻からあおぞら銀行での苦労や転職先のゆうちょ銀行での不遇の記述を読み、自分の環境は恵まれているなと感謝しつつ、それに甘えていることへの自覚と反省を新たにする良い機会ともなりました。でも、若い人にはちょっと実感が持てない内容かもしれないですね。人生の証を刻むことに加え仕事以外の生活を充実させることの大事さが作中で語られていますが、そういう意味ではこのブログもちっぽけではありますが、書き続けていて良かったなと思いました。これからも頑張ります。

ところで作中に佐藤先生と豊島さんとの浦和高校時代のエピソードについての回想が頻出するのですが、よくこんなに高校時代の出来事を覚えているなぁと感心しました。と言うのも、金次郎は高校時代の友人に会うたびに、自己中、周囲に興味が無かった、傍若無人、などと辛辣に非難されがちで(冗談交じり、と信じたい)、身に覚えはないものの本人も高校時代の記憶が曖昧なために、そんな筈は断じてない、と言い張ることもできず、とにかくすみませんでしたとよく覚えてもいないかつての自分の言動に謝罪することしきりであり、そんな自分と比較しての感心というわけです。

そこで、現代にネタが非常に乏しい金次郎として、今回は佐藤優ばりに高校時代の記憶を掘り起こして書いてみることにします。

しかし、いざ書こうとすると、入試、合格発表、入学式と一応経験した筈なのに全く記憶が無く、なんとなく校歌や応援歌、学校伝統の体操などを異常に練習させられたことを覚えている程度です。あ、その後応援団に入れと先輩から強要(?)され、泣きながら当時所属していた陸上部の先輩に断ってくれと頼んだ意味不明の記憶がいま蘇りました(笑)。学年10クラスのうち1年の時は1-7組で共学なのに男子クラス(ちなみに3年間男子クラス)、ちょっと癖のある字を書かれる国語のS先生が担任をされていたことは覚えているものの、そういうざっくりとした枠組み以外のディテイルが記憶障害のように思い出せません(苦笑)。

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金次郎、「ヘルメースの審判」(楡周平著)でGWの読書を開始

本日5月4日に妻と共にロックバンドSPYAIRの配信ライブを観ました。King Gnuみたいに尖ってもおらず、優里みたいに雰囲気もなくて、ゴリゴリのハードロックでもないバンドですが、ファンを大切にしながら、音楽に精一杯の情熱を注いでいるメンバーの姿が昭和生まれの我々の心に刺さります。今日はアルバムツアーのファイナルが無観客になってしまって可哀想か生ライブで再会できる日を夫婦共々楽しみにしています。

配信といえば、会社ではすっかりオンラインでの会議が社内外を問わず標準化して久しいですが、先日ちょっと気になる記事を見つけました。その記事によると、40代以上のオジさん達の中でオンラインを意識してメイク=お化粧をする人の数が増えているとのこと!え?40代以上って、金次郎もど真ん中で入っているじゃん、GW明けからメイクしないといけない??と若干パニック気味になりつつ妻に相談したところ、非常に冷たい視線を浴びせられました(苦笑)。

どうやら、参加者の顔が等分に画面に並んでしまうオンライン会議では、オジさん達がまとっていた所謂、年齢や経験を重ねたことによる押し出しや威厳、そこはかとなく醸し出される風格やオーラのようなものが全く効果を発揮せず、画面上での見栄えのみで勝負しなければならなくなって若い者に太刀打ちできなくなってしまった中年軍団が焦って見た目を取り繕おうとした結果のブームのようです。金次郎はそもそも風格無いですし、オーラ全く出てませんし、下手すると自分の気づかぬところでオジ臭を発している恐れすら有る48歳なので逆に有利かも?などと思いつつ、特段メイクには取り組まず、会議での発言内容で勝負しようという当たり前の結論に辿り着きました。と言うか、発言時の声をガンダムのシャアや名探偵コナンの赤井でおなじみの池田秀一さんの声に変換するアプリが有ればぜひ入れたいところです(笑)。でも、あの素敵な声でブロークン英語をしゃべったり、論理破綻した意味不明コメントをしたりしたらネガティブギャップで大ダメージなような気もしますね。

さて、本題です。今回は最近米ファンドから買収提案を受け話題となった東芝がモデルと思われる「ヘルメースの審判」(楡周平著 KADOKAWA)を読んでみました。世界的電気メーカーであるニシハマ(東芝)による米原発関連企業のIE社(WH社)の高値掴み買収後に次々と発生した、知見の無いLNG事業進出、モンゴルでの核ごみ処理に関する密約疑惑、巨額の粉飾決算発覚といった様々な問題が恐らくかなり事実に即したストーリーで描かれており、なるほどそういうことだったのか、と頭がすっきり整理できます。

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金次郎、「ザ・ブルーハーツ ドブネズミの伝説」を読んで青春時代を懐古する

先日TBSの長寿番組であるCDTVサタデー(旧Count Down TV)が3月末で終了するという悲しい事実を知りました。番組開始当初から観続けてきた思い入れもさることながら、中年の金次郎夫妻にとってこのめまぐるしい音楽シーンにどうにかついていくために非常に程よいまとまり具合の情報ソースだったので、後継のCDTVライブ!ライブ!は存続するとはいえちょっと困ったなという感じです。ただ、音楽のマーケティングが形を変えたからなのか、コロナ禍だからなのかよく分からないものの、30位以内に長期間入り続ける曲がとても多くランキングが余り動かない週も結構有って、多様化の時代にランキングものはその役割を終えたのかもな、とも思ったりしました。しかし、何はともあれ、そろそろ新しい曲を覚えてカラオケにでも行きたい!

音楽つながりということで。「ザ・ブルーハーツ ドブネズミの伝説」(陣野俊史著 河出書房新社)はザ・ブルーハーツの歌詞の世界を、この伝説のバンドが活動した10年を振り返りながら、なんとか解釈しようと試みた著者の素晴らしい挑戦の書です。

金次郎にとって、1985年から1995年のブルハ(略称はこれでいいのか?)活動期間は中学入学から大学卒業までの時期で、まさに青春時代そのものであり、常にこのバンドの音楽が身近にあったわけですが、この本を読み改めて自分が曲の中身をよく理解していなかったこと、そして中身が分かっていないにもかかわらず金次郎の〈心のずっと奥のほう〉(「情熱の薔薇」より)に届いたこのバンドの曲の力を再認識しました。高校の文化祭で友人のバンドが演奏するブルハの曲に合わせて何度も何度も絶叫したのが懐かしく思い出されます。「リンダリンダ」、「人にやさしく」、「終わらない歌」、「NO NO NO」などなどなど。

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「四十八の冬」の金次郎が佐藤優先生の「十五の夏」に感銘を受ける

3月は本屋大賞の予想をする月のため読書スケジュールがかなりタイトなのですが、そこに「闇の自己啓発」関連の課題図書が加わり非常に厳しい状況です。そして更に、読み始めてしまったら止めるのは難しいと分かっていたのに、田中芳樹先生の「アルスラーン戦記」シリーズにまで手を出してしまいもはや瀕死の状態です。ぶり返している睡眠障害のおかげで何とかなっているという八方ふさがりでそこそこ辛いです。

さて、以前もこのブログに書きましたが、〈知の巨人〉としてリスペクトしている佐藤優先生の本は知的好奇心から常に読みたいと思っている一方で、自分の浅学さを突き付けられるのが辛いので若干躊躇する気持ちも否定できず、アンビバレントな葛藤の中で著作リストを眺め続けているうちにかなり時間が経過していて、この悩んでいる時間に100ページぐらい読めたのに、と後悔することがかなり有ります。

そんな中、少し前に入社当時よりお世話になっている大先輩の方から「十五の夏」(佐藤優著 幻冬舎 上巻下巻)をご紹介いただく機会が有り、金次郎の心のシーソーが、読む、の方に傾き久々に佐藤先生の本を手に取りました。

この本は、埼玉県立浦和高校に合格した優少年が、合格のご褒美として高1の夏に行かせてもらった東欧から当時のソ連への40日間の一人旅について綴った旅行記です。ハンガリーにペンフレンドがいたことや違う社会体制の国々の実情を見聞することに意義を見出したこと、という背景は勿論理解可能ですが、1975年の冷戦のさ中に15歳の息子にそういう旅をさせるご両親、それは人生を変える経験になる、と前向きに送り出す周囲の大人たちの感覚はやはり現代とはだいぶ違うと感じます。

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金次郎、「うっせぇわ」を聞き、「ロッキード」を読む

最近、異常に耳に残ってしまい、どうしても頭の中から消せないメロディが有ったので、調べてみると、それはAdoさんという高校生シンガーの「うっせぇわ」という曲でした。どうやら、親として子供に覚えて歌って欲しくない曲ナンバーワンということのようで興味が湧いたので歌詞をじっくり読み、YouTubeを観てみたりもしました。

まず何より臆病な金次郎としては、これまで48年間積み重ねてきたもの全てを否定されてしまう勢いの「はぁ?」のところでびびってしまい、序盤でかなり押し込まれている感じになります。そして、会話でのテクニックと思って常用しているパロディ的なネタについても、二番煎じ言い換え、もう見飽きたわ、と一蹴されてしまい、昔の面白話の思い出を語る技も、何回聞かせるんだそのメモリー、嗚呼つまらねぇ、と完全否定され、心を叩き折られた気分になりました。

うちには子供はいませんが、確かに、親:「手を洗いなさい」子:「うっせぇわ」、親:「宿題しなさい」子:「うっせぇわ」、親:「スマホの見過ぎ気を付けなさい」子:「うっせぇうっせぇうっせぇわ」とあの曲の節で言われる場面を想像するだけでぞっとします。世のお父さんお母さん、ご愁傷さまです。

ただ、親子ほども年の離れた若手社員と一緒に働く機会も増えているわけで、言葉遣いが悪いとか、良識が無い、などのそれこそAdoさんから言葉の銃口を突き付けられてしまうこと間違い無しの頭ごなしの説教はできるだけ封印して、入社当時に抱いていた因習、慣習やしきたりへの反骨心をどうにか思い出して、無意味に惰性でやっている仕事を押し付けて「クソ、だりぃな」と言われぬよう、本質を外さず時代に沿ったメッセージを伝えることで、極力円滑に仕事を進められるよう努力してみたいと思います。サラリーマンつらい。

さて、この時点で既にうっせぇのですが(笑)、「うっせぇな」と響きが少しだけ似ている「ロッキード」(真山仁著 文芸春秋)を読んでみました。以前このブログでも書いたように、故田中角栄元首相とロッキード事件には興味があり、そのテーマを「ハゲタカ」シリーズで大ヒットした真山先生が初ノンフィクション作品として手掛けられたと聞いてはもう我慢できず、早速購入したものです。

これまで何度も検証が重ねられてきた事件ということもあり、また金次郎自身が、この事件の定説について正しく理解できていないのも手伝って、正直どの部分が新たな論点、解釈なのかを明確に認識できたわけではないのですが、これが面白い本でお薦めであることは間違いありません。

詳細については是非中身をお読み頂きたいところですが、現金受け渡しのやり方や場所の不自然さ、全日空ルートの金額と目的の中途半端さ、そもそも総理大臣には機体選定の決定権が有ったのかという根本的な問題、など挙げだすと辻褄の合わぬ点はどんどん出てきます。

本書はそのような数ある不整合の中でも、とりわけ児玉ルートの資金使途が不明である点に着目し、かなりリアリティの有る陰謀シナリオを終盤で提示する構成になっていて、最後まで読み通すと、ヘンリー・キッシンジャーの策謀やリチャード・ニクソンの色濃い影の部分が浮かび上がってくると同時に、この本のタイトルが「ロッキード」とされた理由がお分かり頂けると思います。

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いよいよ本屋大賞2021ノミネート作品発表!

このブログもそうですが、仕事でメールを書いていても、どうも自分の文章が長たらしくてイケていない、と思うことが多いです。実際、ブログのタイポをチェックしてもらっている妻にも一文が長すぎて分かりづらいと頻繁に指摘されて修正を余儀なくされています(苦笑)。そんな時に見つけたのが、「動物農場」や「1984年」でお馴染みのジョージ・オーウェルが文章を書く際に悪文とならぬよう留意していた以下の6つの質問と6つの規則、です。ここに共有して、自らの戒めとしますので違反事例ございましたらコメント頂戴できればと思います(笑)。先ずは、次回から文章がどう変わるか乞うご期待!

【オーウェル6つの質問】

○私は何を言おうとしているのか?:一般論でなく自分自身の見解を自分の言葉で、ということだと思います。

○どんな言葉で表現するか?:伝えたいことが定まれば、自ずと使う言葉も一般的な使い古されたものでなくなりオリジナリティが出てくる、ようです。

○どのような表現やイディオムを使えば明確になるか?:ありきたりでなく新鮮なものを選ぶように、との教えです。

○この表現は効果を発揮するのに十分な新鮮さがあるか?:ちょっと上の質問と似ていますね。

○もっと短く言えるだろうか?・回避できるはずの見苦しいことを、何か言っていないだろうか?:この最後の問は、かなり耳が痛い。。。

【オーウェル6つの規則】

○印刷物で見慣れた比喩を使ってはならない:残念ながら比喩を使えるほど文才有りません(苦笑)。

○短い言葉で用が足りる時に、長い言葉を使ってはならない・ある言葉を削れるならば、常にけずるべきである:結構気にしているつもりですが、まだまだですね。

○能動態を使える時に受動態を使ってはならない:これはやっている気がしますね。英語を話す際にも無意味な受動態を使っていると反省。

○相当する日常的な日本語が思い浮かぶ時に、外国語や学術用語、専門用語を使ってはならない:これも結構誤魔化しでやっているかも、ダサい。。。

○あからさまに野蛮な文章を書くぐらいなら、これら5つの規則を破る方がまだ良い:そもそも野蛮な文章の意味が分かりません(笑)。

さて本題です。1月21日に本屋大賞2021の候補作品が発表され、いよいよこのブログにおける年に一度の大イベントである宿敵Mとの本屋大賞予想対決がスタートいたしました。ルールは昨年通り(詳細はこちら→本屋大賞2020ノミネート作品発表!)、Mが現在ドイツ在住という点を若干考慮して、Mによる予想提出締め切りは4月5日(日)24:00(日本時間)といたしました。大賞の発表は4月14日(水)ですが、それまでしばらくの間楽しめそうです。前回は非常に悔しい惨敗で、金の栞(@結構高額)を購入させられましたので、今回は勝って金次郎の金栞を手に入れたいと思います。

ノミネート10作品のうち7作が既読でしたが、何となく読まず嫌いにしていたNEWS加藤先生を遂に読むことになるので、アイドルが書いた小説という先入観をどこまで抑えて客観的に予想できるかが一つのポイントと思います。また、前回9位とあさっての予想をしてしまった凪良先生をどこに位置付けるか、常連だが上位に来ない伊坂作品の評価をどうするか、こちらも常連の深緑先生のファンタジー挑戦を正しく消化できるか、など悩みどころ満載です。ともあれ、以下ノミネート作品の簡単な紹介です。

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