金次郎、謎のサコージュについて学習する

会社からいただいた2週間の長期休暇中に久々に福岡に帰省しようと思い父に連絡してみたところ、なんとかねてから痛めていた肘の手術で10月末からしばらく入院するとのことで、コロナのせいで相変わらずお見舞いもできない状況のようなので今回は残念ながら帰省を断念することといたしました。父は75歳で一軒家に一人暮らしをしており、家事や庭の草取りから終活準備に至るまで肘が痛くてはどうにもならんということで手術に踏み切ったようで、いつもなら肘痛ぐらいで全身麻酔の手術+2週間の入院はちょっと大げさなのでは?といぶかるところですが、夫婦で肩と股関節の痛みに苦しむ今の金次郎家においては100%異論無しの判断でした。そんな中、今度は義理の両親がサコージュを見つけて入居するという話が持ち上がり、不勉強の金次郎はサコージュ?と耳慣れぬ響きに戸惑い、コサージュ?、それともコートダジュール?、モナコに移住できるほどリッチではなかった筈、宝くじに当選でもしたか?、と一瞬頭が大混乱しましたが、どうやらサービス付き高齢者向け住宅を略してサ高住というそうで50歳にもなってそんなことも知らぬ自らの不明を恥じました。義理の両親は全くもって元気なのですが、やはり80代の夫婦にとって一軒家のメンテナンスは大変なようで、その他もろもろの事情も考慮してこのタイミングで引っ越しするのが最適との判断に至ったようです。入居予定の施設を見学に行った妻も、周囲や施設の環境も良く、オプションで食べられるご飯が想像以上に美味しく、自炊用の食材訪問販売も充実していて思いのほか快適そうだとひと安心しておりました。サ高住には一般的に60~65歳から入居可能ということなので、もちろん金次郎夫妻に当面予定は有りませんがそんなに遠い将来の話でもないなと、すっかり年寄り気分になりました(苦笑)。ちなみに、サ高住の〈サービス〉とは安否確認と生活相談が基本のセットで、今回入居を検討している施設でも定期的な居室訪問やドアの開閉確認(12時間以上玄関とトイレのドアに動きが無い場合レスキューが派遣される)、状態に合わせた介護ケアの提案といったサービスが常時受けられるようで安心です。それ以外はほぼほぼ普通のマンションに住むイメージで、契約形態もサービス契約+賃貸契約という形になると学びました。最近はそこに介護サービスも受けられる施設を併設しているケースも増えてきていて、安心して長期間面倒を見てもらえる体制が整っているようです。一方、こちらの方が馴染み深いですが、有料老人ホームという形態も存在しており、介護付き、住宅型、健康型というパターンが有り、入居条件として要介護認定が求められるとのことです。サ高住と違って、契約としては施設の利用権を購入するという形態で、要介護認定の方が入居されるので当然ではありますが、生活の自由度はサ高住に比べてどうしても低くなってしまうものの、その分手厚い介護が受けられる仕組みになっているようです。少しだけ高齢者の住宅事情について状況を把握したので、実家の父が退院したら将来構想について話してみようと思います。(手術は無事成功し、現在父は果てしない退屈に悶々としているようです。)

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金次郎、佐藤優先生に刺激され高校時代を回想する

先輩に薦められ佐藤優先生の「国家の罠:外務省のラスプーチンと呼ばれて」(新潮社)を読もうとしていたのに、以前紹介した「十五の夏」の影響か手が滑り「友情について 僕と豊島昭彦君の44年」(講談社)を読みました。佐藤先生の浦和高校時代以来の親友である豊島昭彦さんが膵臓ガンで余命宣告されたことを契機に編まれた、言ってしまえば〈市井の人〉の来し方を描いたこの本は、その出版に至る経緯も影響しているのかもしれませんが、山あり谷ありの人生を投げ出さずに、自分の生きた証を刻むべく地に足を付けて日々の生活を送ることの大切さを実感させられる、50歳目前の金次郎の心にずっしりと響く内容でした。豊島さんの日債銀の破綻からあおぞら銀行での苦労や転職先のゆうちょ銀行での不遇の記述を読み、自分の環境は恵まれているなと感謝しつつ、それに甘えていることへの自覚と反省を新たにする良い機会ともなりました。でも、若い人にはちょっと実感が持てない内容かもしれないですね。人生の証を刻むことに加え仕事以外の生活を充実させることの大事さが作中で語られていますが、そういう意味ではこのブログもちっぽけではありますが、書き続けていて良かったなと思いました。これからも頑張ります。

ところで作中に佐藤先生と豊島さんとの浦和高校時代のエピソードについての回想が頻出するのですが、よくこんなに高校時代の出来事を覚えているなぁと感心しました。と言うのも、金次郎は高校時代の友人に会うたびに、自己中、周囲に興味が無かった、傍若無人、などと辛辣に非難されがちで(冗談交じり、と信じたい)、身に覚えはないものの本人も高校時代の記憶が曖昧なために、そんな筈は断じてない、と言い張ることもできず、とにかくすみませんでしたとよく覚えてもいないかつての自分の言動に謝罪することしきりであり、そんな自分と比較しての感心というわけです。

そこで、現代にネタが非常に乏しい金次郎として、今回は佐藤優ばりに高校時代の記憶を掘り起こして書いてみることにします。

しかし、いざ書こうとすると、入試、合格発表、入学式と一応経験した筈なのに全く記憶が無く、なんとなく校歌や応援歌、学校伝統の体操などを異常に練習させられたことを覚えている程度です。あ、その後応援団に入れと先輩から強要(?)され、泣きながら当時所属していた陸上部の先輩に断ってくれと頼んだ意味不明の記憶がいま蘇りました(笑)。学年10クラスのうち1年の時は1-7組で共学なのに男子クラス(ちなみに3年間男子クラス)、ちょっと癖のある字を書かれる国語のS先生が担任をされていたことは覚えているものの、そういうざっくりとした枠組み以外のディテイルが記憶障害のように思い出せません(苦笑)。

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