「四十八の冬」の金次郎が佐藤優先生の「十五の夏」に感銘を受ける

3月は本屋大賞の予想をする月のため読書スケジュールがかなりタイトなのですが、そこに「闇の自己啓発」関連の課題図書が加わり非常に厳しい状況です。そして更に、読み始めてしまったら止めるのは難しいと分かっていたのに、田中芳樹先生の「アルスラーン戦記」シリーズにまで手を出してしまいもはや瀕死の状態です。ぶり返している睡眠障害のおかげで何とかなっているという八方ふさがりでそこそこ辛いです。

さて、以前もこのブログに書きましたが、〈知の巨人〉としてリスペクトしている佐藤優先生の本は知的好奇心から常に読みたいと思っている一方で、自分の浅学さを突き付けられるのが辛いので若干躊躇する気持ちも否定できず、アンビバレントな葛藤の中で著作リストを眺め続けているうちにかなり時間が経過していて、この悩んでいる時間に100ページぐらい読めたのに、と後悔することがかなり有ります。

そんな中、少し前に入社当時よりお世話になっている大先輩の方から「十五の夏」(佐藤優著 幻冬舎 上巻下巻)をご紹介いただく機会が有り、金次郎の心のシーソーが、読む、の方に傾き久々に佐藤先生の本を手に取りました。

この本は、埼玉県立浦和高校に合格した優少年が、合格のご褒美として高1の夏に行かせてもらった東欧から当時のソ連への40日間の一人旅について綴った旅行記です。ハンガリーにペンフレンドがいたことや違う社会体制の国々の実情を見聞することに意義を見出したこと、という背景は勿論理解可能ですが、1975年の冷戦のさ中に15歳の息子にそういう旅をさせるご両親、それは人生を変える経験になる、と前向きに送り出す周囲の大人たちの感覚はやはり現代とはだいぶ違うと感じます。

色々と理由は有るのでしょうが、二極化する世界において、鉄のカーテンの向こうに隠れているあちら側のもうひとつの世界に対するシンパシーと知的欲求が、無極化し情報が氾濫している現代と比較して圧倒的に強かったことは一つの要因として挙げられるのではないかと思います。ただ、あらゆる旅先で日本人高校生の一人旅は見たことがない、と言われているので、本件は一般化して考えるような話でなく奇特な佐藤家のDNAに帰するほうが納得感は高いのかもしれません(笑)。

そして正に優少年は社会主義体制と十把一絡げにできない多様な東側社会の現実を目の当たりにするわけですが、とにかく凄いのは40年前の出来事を細かく描写できるだけの佐藤先生の記憶力です。勿論ベースとなる旅行の記録メモは有るのでしょうが、気候、風景、周囲の雰囲気、会話の内容、食事の内容とその感想などについての記述は詳細かつ鮮明で、昨日読んだ本の内容すらまともに語れない金次郎には考えられない精度です。500日以上収監されていた独房で過去の記憶を搾り出したと他の著作で読みましたが、それにしても本当に凄い。

旅先で触れる思わぬ親切や不愛想な官僚主義、ペンフレンドであるフィフィとの友情、ほのかな恋心やひねくれた大人との対峙などエンタメ性満点のイベントが臨場感溢れる筆致で描かれ、コロナ禍でままならない旅行を疑似体験できることもあって、かなり分厚い本であるにも関わらず一気に短期間で読了してしまいました。

エジプトのカイロから入って、チェコスロバキア、ハンガリー、ルーマニア、ソ連(含む現在の中央アジア諸国)を訪問しハバロフスクから船で帰国という旅程ですが、以前ブログで紹介した「モスクワの伯爵」の舞台となったホテルメトロポールに優少年が宿泊し、小説通りそこの食事が最高に美味しいと書かれていてちょっと嬉しくなりました。

やはりハンガリーでペンフレンドであるフィフィと過ごした時間がその大人びた会話と共に最も印象的に記憶に残っていますが、ハンガリー動乱やハンガリーとルーマニアの確執について学べたことや冷戦中とはいえ東欧諸国の雰囲気の違いを感じられたことは大変勉強になりました。

しかし、想定外の出来事や勝手の違いに戸惑い悩みながらも、その場その場で自分の信念に従って大胆に判断し決断しながら成長していく優少年の姿には敬意すら覚えます。さすがに若干盛ってあるのだとは思いますが(笑)。

全編を通じ、一人の人間として生きていく上で〈信念〉を持つことの大切さ、そのために積み重ねるべき教養の必要を実感してまたもや反省で終わるレビューとなりました(苦笑)。

勢いで、同じく大先輩にご紹介いただいた「紳士協定 私のイギリス物語」(新潮社)とその続編的位置づけの「プラハの憂鬱」(新潮社)を読んでしまいました。

「紳士協定」は、佐藤先生が外交官として語学研修のために1年あまり滞在したイギリスで短期間ホームステイしたホストファミリーのグレン少年との友情を描いたこちらも回想録的作品です。

未だ根強く残るイギリス階層社会の質的、量的な枷に囚われて悩む少し気難し屋のグレン少年(12歳)とチェコの神学者フロマートカの研究と外交官としての立ち位置の両立に心を揺らす佐藤先生の世代を超えた交流が中心に描かれていますが、後に鈴木宗男事件関連で佐藤先生の調査を担当することになる武藤顕外交官との友情と将来二人の間を分かつ溝の端緒についても描かれていて興味深いです。

「プラハの憂鬱」は、同じくイギリス滞在中に出会った亡命チェコ人の古書店主であるズデニク・マストニーク氏との対話を通じて、佐藤先生がチェコ神学あるいはフロマートカへの考えを整理し深めていく様子が中心に描かれています。上記2作と比較すると内容がかなり神学寄りになっており、しかも亡命チェコ人や亡命ロシア人との親交を通じて得た自らの中にも在る複合アイデンティティへの思いにも焦点が当たる哲学的な記載も多く、やや難易度は高いように思います。教養不足の金次郎としては、この本から受けた知的刺激によって、様々なことについて思索をめぐらすきっかけになったということで良しとしようと思います。

佐藤先生に紙幅を割きすぎて「闇の自己啓発」の課題図書について書けなくなってしまいました(苦笑)。次回はきっちり何冊分か感想を書きます。

投稿者: 金次郎

読書が趣味の50代会社員です。

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