チーム金次郎、肉の最高峰である金竜山に登る(前編)

先週末は人生でも指折りの貴重な体験をしてまいりました。いつもこのブログに登場いただいている人間国宝級の寿司職人M男さん(大将)と飽くなき味の探究者であるイタリアンシェフのK子さん(シェフ)ご夫妻に声を掛けていただき、日本焼肉界の最高峰とされ予約の取れない名店として知られる白金の金竜山を訪問するという僥倖に恵まれました。常連さんが必ず次回の予約を取って帰るというエコシステムの中で運営されているために、その常連サークルの方と知り合いになって連れて行ってもらう狭き門をくぐらないと辿り着けないお店であり、今回は40年金竜山に通い続けている大将の常連パワーにあやかり、6名席のうち4名を選出できるという超貴重な権利をいただいてしまい鼻血が出るほどの興奮に震えました。

焼肉界ではこのお店を訪問する栄誉を〈焼肉の(金竜)山に登る〉と呼んで讃えるのだそうですが(笑)、ご夫妻のご好意で金竜山に行きませんかと誘っていただいた今年の2月以降、金次郎夫婦そして我々がこの山に共に登る同志として招集した二人と一緒に、正にこの日を半年以上待ちわびており、6月には練習として集まって熟成肉を食べたりもいたしました(笑)。ちなみにその同志とは、このブログでの本屋大賞予想対決でもお馴染みのお肉大好き宿敵M、そして肉を食べることに執念を燃やす肉食獣Tというメンバーで、金次郎夫婦以外にあと2人と考えた際に肉と言えばということで1ミリの迷いも無く即座に脳内に浮かんだ最強の肉人材を集めてのチーム組成となりました。ラーメンを食することを日課としている油ギッシュな肉食獣Tと金次郎とは大学の部活の同期でかれこれ30年以上の付き合いですが、彼女の高いコミュ力とバイタリティはモンスター級です。そのせいか、ご友人にもユニークな方がおられ、ある時などは金次郎も参加していた飲み会で、肉食獣Tが連れてきたご友人が翌日からの沖縄出張で絶対不可欠な運転免許証を居酒屋のトイレに流してしまうという離れ業を演じ、居酒屋のトイレがつまるという大惨事が出来し、深夜の営業終了を待って暮らし安全♪のフレーズで有名なクラシアンを招集するという悲惨な事態となったことが思い出されます。話が大きくそれてしまいましたが、当日は午後4時からの予約でしたので、午前中の早い時間に少しだけお腹に食べ物を入れた後はまんじりともせず緊張して半日を過ごし、ご近所在住の宿敵Mと共に夕方からお店に向け出陣いたしました。前のめり感出し過ぎの勇み足で20分ほど早く到着してしまったために、まだまだかなり気温は高かったものの仕方が無いので近所を散歩でもしていようとお店の前で話し合っていたところ、そんな我々を不憫に思われたのか、日本一のお店とは思えぬフレンドリーさで大変快く店内に迎え入れてくださり、出だしから超感動の展開となりました。緊張しつつ掘りごたつのテーブル6名席に座ってみると、そこには既にいい感じで火の入った上質感漂う炭が静かに燃え盛っており、ほのかな炭の香りが我々にその後のアンビリーバブル体験を予感させ口中に涎が溢れるのを止めることができませんでした。4時までにこれまたやや緊張気味の肉食獣Tそして大将・シェフご夫妻が到着され、ビールで乾杯した後恐る恐るメニューを開いて注文しようとしたところ、常連の大将が40年の金竜山活動で辿り着き、いつも食べているスペシャルコースが有るとのことで、それは憲法レベルで従うべきルールだろうと注文はお任せすることといたしました。恐縮ですが読者の皆さんの食欲を刺激したところで次週に続きます(笑)。

さて本の紹介です。「マーク・トウェイン自伝」(マーク・トウェイン著 筑摩書房 )は「トム・ソーヤの冒険」や「ハックルベリー・フィンの冒険」でお馴染みのアメリカを代表する作家であるマーク・トウェイン先生が、しがらみに縛られたくないので墓に入ってから50年後に出版すべしと言い残して記した、歯に衣着せぬ内容の非常に面白い自伝となっております。生真面目な弟をからかいまくり、腕白でいたずらし放題の少年時代の記述は正にトム・ソーヤそのものであり、ハックやジムやインジャン・ジョーのモデルとなった人々の紹介も有って、数々の名作が生み出された背景がイメージできる前半はとにかく読んでいて楽しかったです。全くのダメ人間であったお兄さんの描写にもはらはらさせられますが、トウェイン先生ご本人もビジネス的な管理能力の欠如が明白で、絶対に返ってこない人にお金を貸したり、明らかな詐欺に引っかかったり、契約書を全く読まずにサインしてその後苦労したりと、どうしてそんなことを、と思う場面の連続に苦笑を禁じ得ません。また、ユーモア溢れる皮肉屋のトウェイン先生だけに、周囲の人々への評価には辛辣なものも多く、どうせ自分が死んだあとにしか出版されないと箍が外れてしまい、嫌いな人やむかついた人をさんざんにこき下ろしている描写は面白いをやや通り越して眉を顰めたくなるものも散見されました。ともあれ明らかな本音が並んでいるだけにトウェイン先生のリアルな人となりが垣間見えてこれぞピュアな自伝とのポジティブな感想を持つと同時に、19世紀から20世紀にかけてのアメリカ出版事情や、当時の講演文化についても詳しいので、アメリカ社会史の参考書としても非常に有用な一冊と感じました。一方、終盤での最愛の妻オリビア、長女スージーそして三女ジーンの死を切々と描いている場面は、不謹慎ながらさすが物語作家の面目躍如で、その哀切ぶりが胸に迫り大変悲しい気分となり、物語以上に物語らしい喜怒哀楽に溢れた内容に改めてトウェイン先生の筆力に感心いたしました。非常に有名で様々な文章中で参照される「嘘には三つの種類が有る。嘘とひどい嘘、そして統計(の嘘)だ。」(There are three kinds of lies. Lies, damned lies, and statistics.)との表現が有り、今週のFinantial Timesの記事にもこれを捩った文章が使われているのを見つけたのですが、ちょうど同じタイミングでこの本にも出てきて奇遇だなと思っていたところ、どうやらトウェイン先生がこの自伝で使ったことから世界中に広まった表現のようで期せずしてオリジナル(ではないのですが)に触れることができ少し嬉しい気分になりました。

アイロニーというかブラックジョークつながりではないですが、「文学部唯野教授」(筒井康隆著 岩波書店)は文学部という組織の構造や内部の権力闘争についてブラックユーモアたっぷりに語られる展開で、誇張されまくった際物キャラが繰り広げるドタバタ劇は単なるエンタメ作品として読んでも充分に楽しめる内容であったと思います。しかしながら、この作品の真骨頂はそのドタバタの間に差し込まれる唯野教授による現代文学批評史の概説であり、印象批評、新批評に始まり、記号論、構造主義、ポスト構造主義で終わるこの小難しくも興味を惹いてやまない内容は、読書家を目指す金次郎の知的好奇心を激しく刺激いたしました。勿論、一連の講義内容を完全に理解するのは到底無理で、これから何度も読み返すことになる予感のする作品でした。作中で唯野教授は副業で覆面作家活動をしているのですが、文学批評をしている大学の教授陣が職業作家を蔑視しているという構造に何とも矛盾したおかしみを感じにやにやしながら読みました。

先日、小泉進次郎議員が福島の海でサーフィンをやったというニュースを観ました。そこじゃないんだけどな、彼にしかできないパフォーマンスではある、誰も止めなかったのだろうか、まさかこれで好感度上がらないよな、などなどのモヤモヤした思いが胸に去来しましたが、クローズアップ現代でnegative capabilityという〈モヤモヤを解消しない力〉の特集をやっていたのを観て、この進次郎モヤモヤは胸に抱えて生きて行くことといたします(笑)。

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投稿者: 金次郎

読書が趣味の50代会社員です。

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