チーム金次郎、肉の最高峰である金竜山に登る(後編)

先週は本邦最高峰の焼肉を食べ始める直前までの記載となりお腹を空かせた読者の皆さんには大変申し訳ございませんでした。いよいよ以下にてめくるめくお肉の世界について、まだまだ鮮明で溢れかえっている記憶の中から特上のエッセンスを何とか整理して書いていこうと思います。いきなり最初から度肝を抜かれたのが、真っ先に出てきた特製塩タンで、お皿に盛られたその美しい佇まいにまずびっくり、そしてその大きさや肉厚さに二度びっくりで、焼きあがった後には想像を絶するぷりぷりした食感とその柔らかさ、そしてお肉と肉汁の豊潤な旨味が溢れお塩の風味と溶け合って何とも言えぬ感動をもたらすその味わいに三度目の衝撃を受け打ちのめされました。

とにかくこれまで食べたどんな牛タンとも比較にならない品質で、数多くの肉を制してきた肉食獣Tをして「死して尚生き続ける牛タン」と言わせしめる最高の逸品でした。次は、ややサイコロ状にカットされて出てきたレバーを本当に軽くあぶって食べるのですが、レバ刺しで食べても十二分に美味しいであろう素材に少しだけ火を入れることで、マシュマロかと思う程の中身のふんわりとしたとろける柔らかさと香ばしさが共存する奇跡の一品として仕上がっており、これを食べればレバー嫌いも絶対に治ると断言できるクオリティでした。そして何より忘れてはいけないのが、この上なく贅沢なことに、我々がお肉を大将とシェフという当代最高レベルの職人さんに焼いていただいているという事実です。大将は天性の鋭い感覚でどんどんと肉を焼いていく天才肌、シェフは肉を折りたたむなどして火の入り具合を緻密に管理する繊細な技巧派で、そのスタイルの違いにも非常に興味深いものが有りました。金次郎夫婦は大将に焼いてもらったお肉を食べていたのですが、やや離れて座っていたために我流での焼きを余儀なくされていた宿敵Mに試しに大将バージョンのお肉を分けてあげたところ、自分で焼いても抜群に旨いと思っていたのに大将肉は更に数段レベチの味わいと驚愕しておりました。その後もカルビなど絶品のお肉が次々と供され、ほぼ〈旨い〉しか言葉が出てこない放心状態となったその先に絶品ハラミで更に打ちのめされることとなりました。吸い付くような何とも言えない食感と奥深い味わいの上質の脂を併せ持つ最高のハラミは、これまで食べてきたどの店のハラミとも違う異次元の存在で、入店時にシェフが説明してくださった、このお店はお肉の質は勿論のこと、肉のカットが大変に工夫されているという解説が、旨いという感覚を少しだけ冷静に眺められるようになった終盤に来て漸く実感として消化できた気がしました。このところの希少部位で勝負する焼き肉店の乱立傾向は、タン、カルビ、ロースといった伝統的な部位での勝負においては圧倒的絶対王者金竜山にかなわないと思い知り、違う戦場に競争の場を移していった兵どもの夢の跡なのだなと感傷に浸ったりもいたしました。お肉が終わり、締めに移行しても超絶クオリティは留まるところを知らず、クッパの程よい辛さとお肉スープの旨味のバランスは最高でしたし、冷麺の中に静かに浮かんでいる梨の味わいはフィニッシュにふさわしい爽やかな後味を残すものでした。お料理のことばかり書きましたが、金次郎ら一見客にも丁寧に優しく接してくださったオーラ漂うおかあさんの思い出話は趣深いこと此の上無かったですし、スタッフの皆さんも溌溂と感じ良く動かれていて非常に気持ちよく食事を進めることができました。ビールと混ぜると美味しいよと差し入れていただいたマッコリを言われたとおりにビール割で飲んでみると、これが驚きの新感覚で特に暑い夏の盛りには癖になる美味しさだなと感じました。お肉の旨さに涙ぐむ肉食獣T、お肉に集中し過ぎて饒舌ぶりが影を潜めむっつりと無言がちの宿敵Mと感動に言葉が追い付かない場面も多々有りましたが(笑)、勿論我々もそれなりに会話はいたしまして、肉食獣Tは真善美の探究を語り、宿敵Mは座の文芸としての俳句を語り、シェフはイタリア修行時代を語り、大将は寿司を握る極意を語るという至高のお肉と文化的な会話のマリアージュとなりなかなかに刺激的な会となりました。ただでさえ生まれてきて良かったと感謝感激であったにも関わらず、更に有難いことに、次回もご一緒しましょうとシェフにお誘いいただき、食べログには電話番号さえ掲載されておらず一見さんでは予約する術すら無いこのお店にまた半年後にうかがえることとなり一同幸せを噛み締めながらお店を後にいたしました。100%食べ歩きブログとなってしまいすみません(笑)。

気を取り直して本の紹介です。宿敵Mの影響で読んだというわけではないのですが、「ぼんぼん彩句」(宮部みゆき著 角川文化振興財団)は自らも句会に参加する宮部先生が、その洞察力と鑑賞力を駆使して句会で発表された参加者の12の俳句からインスピレーションを受けて創作した物語を集めた短編集です。プレバトの夏井先生は兼題写真から想像力を働かせ発想を飛ばしてオリジナリティの有る俳句を作るよう指導されていますが、本作での俳句から物語を創出するという脱構築的な試みは俳句と物語がお互いに響き合う効果も生んでいてなかなか味わい深いと感じました。以下は気になった句と物語の簡単な紹介です。「枯れ向日葵呼んで振り向く奴がいる」思いがけぬ不遇に怒り、悲しみ、打ちのめされながらも、それらを消化して静かに前に進もうとする女性の強さが描かれるお話。金次郎はこんな不遇には耐えられませんが(笑)。「鋏利し庭の鶏頭刎ね尽くす」息子の亡くなった同級生女子にお門違いかつ一方的な思い入れをするやばい家に嫁いだ女性の苦悩と決別を描くサスペンス。偶像化され美化されていく死者と比較されるというのはかなり苦しいです。「散ることは実るためなり桃の花」ダメ男から離れられず現実から目を背け続ける愛娘の姿を歯を食いしばって見守ろうとする母親の決意を描くお話。親子とはすれ違うようにできているのでしょうかね。「異国より訪れし婿墓洗う」設定はSF、夫の命と娘の幸せを天秤にかけ娘を選んだ母親が、その夫の墓を一生懸命洗う外国人の娘婿の姿に自分達夫婦の決断が正しかったと確信するという、嫌な奴も出てきますが、なかなかいい話でした。「月隠るついさっきまで人だった」姉の彼氏の隠された異常性を目の当たりにした妹の恐怖を描くホラー。宮部先生の描く異常者はリアリティが有って本当に怖い。「山降りる旅駅ごとに花ひらき」親族の中で理不尽な扱いを受け続けてきた女性が、唯一の支えであった祖父の死に接し、改めて祖父の思いに触れ、本当の意味で不幸な過去と決別する様を清々しく描く。「薄闇や苔むす墓石に蜥蜴の子」蜥蜴を追っているうちに殺された男児の遺体を見つけた小学生に、息子を見つけてくれて有難うとお礼を言いつつも、男児が蜥蜴に生まれ変わって知らせてくれたという言葉に逆上する被害者の母親を描く切なくも恐ろしいストーリー。「薔薇落つる丑三つの刻誰ぞいぬ」廃病院に閉じ込められた女性が、かなりおどろおどろしい女の幽霊に救われ、心を通い合わせて前を向いていくという怖いけど少し笑えてほっこりするホラーです。

「教養としての精神医学」(松崎朝樹著 KADOKAWA)では、5大疾病にも数えられ誰でも罹患し得る精神疾患についての正しい知識を広めようと、YouTubeなどでも著名な著者がその分類や具体的な症状から診断法、対処法まで分かり易く解説した非常に有益な本でした。本当に誰でもなり得るうつ病や統合失調症から様々なパーソナリティ障害まで、患者さんやその家族がどんなことに困っているのかも含めて丁寧に説明してあって素晴らしいのですが、読書家の金次郎としては、様々な小説で描かれる精神疾患を持つ登場人物たちのキャラクターが、その診断の拠り所となるマニュアルのDSM-5(Diagnostic and Statistical mmanual of Mental disorders第5班)で定義されている標準タイプから殆ど乖離していないという事実が印象的でした。物語の中で精神の悩みを抱える人物を描こうとする際に作家の皆さんが必ずこのDSM-5を参照しているのみならず、ある意味標準的でない症状を持つ精神疾患患者をイメージできないという、小説における想像力の限界を示しているような気がしており、今後発表される作品がその壁を突き崩すのか否か注目していきたいと感じました。ちなみに金次郎は閉所恐怖症気味なのですが、正式にはだだっ広いところで無力感に苛まれる広場恐怖症というものに分類されるようです。確かに短い時間でも船に乗るのはだいぶというかかなり苦手です(涙)。

先週末にインドでG20が開催されましたが、グローバルサウスのリーダーを目指すインドは大量のトイレを設置するなど衛生対策や景観の美化に注力しているようです。それは素晴らしいことだと思うのですが、デリーの歴史的建造物をピカピカに磨いたりおかしな色を塗ったりしていてvandalism(=無知による芸術の破壊)と批判されています。最初の東京オリンピックの時もそういうことがたくさん起こったのだろうなと、時空を越えた二つの都市の風景を思い描き頭の中で重ねてみた週末でした。

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投稿者: 金次郎

読書が趣味の50代会社員です。

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