金次郎、上級過ぎる上級語彙に心が折れる

50代で中年ど真ん中の金次郎は、文章表現にも年相応に少しは知性や年の功を醸し出さねば恥ずかしいと思いつつ日々を過ごしておりますが、丁度良く「教養としての上級語彙」(宮崎哲弥著 新潮社)という本を見つけたので日本語の勉強をすべく読んでみました。ところが、上級語彙と言うだけのことは有り、漢籍が出典のものが多いためか、50年間見たことも聞いたことも無かった言葉が多数紹介されており、勉強というよりも自らの無知を突きつけられる結果となり心が折れそうになりました。皆さんにもこの衝撃をお裾分けすべく、以下に幾つか見ず知らずの表現を共有したいと思います。心してお読み下さい(笑)。

先ずは読書ブログらしく書籍に関する言葉である「上木(じょうぼく)」ですがいきなり意味不明ですよね。これは「上梓(じょうし)」と同じ意味ですと言われても混乱が加速するだけだと思いますが、〈出版する〉という意味になります。梓を使うことが多かった版木に文字を刻んだことが語源のようですが、そんなこと言われてもですよね(笑)。今週久々に高校時代の同級生に会いましたが、勿論その場で使える程には習熟できていなかったものの、そういうシチュエーションにふさわしい表現が「久闊を叙する(きゅうかつをじょする)」で、〈久し振りに挨拶する〉、〈無沙汰を詫びる〉という意味となるようです。次に、なんとなく聞いたことが有るようでニュアンスが分かりそうと調子に乗って仲の良い友人程度の意味合いで使ってしまうと人間関係の危機を招きかねないのが「刎頸の交わり(ふんけいのまじわり)」という表現で、これは〈その人のためなら首を刎ねられてもいいという程に深く強い友情〉の意味となり、金次郎さんちょっと重過ぎますというリアクションをされ距離を取られる結果になるリスクが高いです。寧ろ字面のインパクトは圧倒的に強い「莫逆の友(ばくげきのとも)」の方が〈大親友〉ぐらいの意味となりややカジュアルめに使えそうでそのギャップが面白いと感じました。4月からはまた新入社員が入ってきてジェネレーションギャップに苦しむことになりますが、会社にとって非常に重要な〈人材を鍛えて育成する〉を意味するのが「陶冶(とうや)」という表現です。これからあなたを陶冶します、と伝える際に、これからあなたを淘汰しますと聞き違えられるとパワハラで一発アウトとなってしまうので気を付けなければなりません。若手の失敗は学びの糧として広い心で受け止める必要が有りますが、〈過ちを許す〉ことを「寛恕(かんじょ)」と言い、更に〈海のように広い心で許す〉ことを「海容(かいよう)」という言葉で表現できるそうです。暫くは寛恕、海容、寛恕、海容と心の中で繰り返すことといたします。また、金次郎が非常に苦手としているのが褒めて伸ばす指導なのですが(汗)、〈褒め称える〉ことを「嘉賞(かしょう)」という雅な表現で言い表せるそうで、「今日のプレゼンは良かったね、かしょう(嘉賞)します。」と伝えたらカラオケの強要でまたパワハラですかね。逆に金次郎サイドから目上の人と直接コミュニケーションを取るような状況のことを「謦咳に接する(けいがいにせっする)」と言うそうで、色々な人と〈親しく接して感化を受ける〉ことは重要ですが、そういう行為を「親炙(しんしゃ)」と表現するようです。その他気になった表現としては「耳食(じしょく)」が〈聞いたことをそのまま信じること〉、〈見識が無いこと〉を意味するようで、〈知識不足〉を表現する「寡聞(かぶん)」同様なるべく使わずに済ませたい言葉でした。「満目(まんもく)」=〈見渡す限り〉、「粛殺(しゅくさつ)」=〈秋の冷たい空気が草木を枯らす様子〉、「踏み行う(ふみおこなう)」=〈実践する〉、「区々(くく)」=〈取るに足らない〉などの語彙も死ぬまでに一度ぐらいは使ってみたいかっこいい表現だと思いました。〈物事を自在に操る〉ことを「自家薬籠中の物とする(じかやくろうちゅうのものとする)」と表すそうで、ここでご紹介したような表現を正に自家薬籠中の物とすべく頑張りたいと思います。

さて本の紹介をしておきます。「マゼラン船団 世界一周500年目の真実」(大野拓司著 作品社)は歴史の教科書に載っているマゼラン一行の世界一周から500年になるのを機に、その行程を辿りながら、マゼランが志半ばで命を落とした地である現在のフィリピンに注目しその歴史を纏めた内容になっております。前半には航海中の苦労が詳述されていますが、船員がスペイン人、ポルトガル人、バスク人など多様な上にそれぞれ仲が悪く度々諍いが生じたり、後にマゼラン海峡と呼ばれることになる南米大陸の南端が悪天候かつ入り組んだ地形の超難所で通過するのが大変であったり、漸く太平洋に出た後も無風状態が続き海流を捉えるまでは全く船が進まず食糧が底をつきかけたりと、弱虫の金次郎には絶対耐えられない苦難の連続でぞっとしました。そんな大変な目に遭いながら漸く陸地であるフィリピンに辿り着いたものの、そこでマゼランをはじめ一部船員が現地人との戦闘に巻き込まれて命を落とすなどした結果、270人であった出航時の乗組員の中で無事スペインに帰れたのは僅か35人だったとのことで改めて航海の厳しさが偲ばれました。この35人とは別に、元々東廻り航路でアジアに到達していたポルトガル船によりインドネシア辺りでガイドとして雇われ、そこからスペイン経由でマゼラン船団に加わってアジアまで戻ることで西廻りの世界一周を達成した初のアジア人とされるエンリケについての話も非常に興味深かったです。更に面白かったのは、マルコ・ポーロが叙述した黄金の国ジパングは、一般的に認識されている日本のことではなくフィリピンのことだとする説で、フィリピンの緯度や産金事情なども「東方見聞録」に記載されている内容と整合的なのだそうです。マルコ・ポーロが実際には日本には来ておらず、寧ろフィリピンに近い中国の福建辺りを訪れてこの本を書いた史実を考えるとまんざら否定するものでもないと感じました。流石に魏志倭人伝中の邪馬台国に関する記述に住民の入れ墨に関するものが有り、それがフィリピン諸島に伝わるトライバルタトゥーと類似していることから、邪馬台国=フィリピンという説まで持ち出されている部分にはやや強すぎるフィリピン愛を割り引かざるを得ませんでしたが(笑)。マゼラン船団というタイトルの割に、フィリピンに関する記載がメインと言っても過言ではない内容ではあるものの、読後の満足感を考えるとそれはそれで有りかなと素直に思える本でした。

「破軍の星」(北方謙三著 集英社)はこれまで全く知らなかった人物である北畠顕家が主人公の歴史小説で、彼が鎌倉時代末期の混乱する世情の中で天才的な武将ぶりを発揮して歴史に爪痕を残した様子を鮮やかに描き出した秀作でした。弱冠16歳で陸奥守に任じられた生粋の貴族である顕家が深謀遠慮を以て東北の政治機構を整え、巧みな軍略、戦術で戦乱の世を潜り抜けてきた武士を相手に一歩も引かない見事な戦いぶりを演じる様はお話とはいえ感動ものでした。一時は戦上手で知られる足利尊氏を敗走させるなど戦果を上げるも、最後は理不尽な後醍醐帝の命に従うしかない貴族の宿命で戦場に散った貴公子の閃光のように眩しくも儚い一生が非常にドラマチックに描かれていたと思います。室町幕府側の立場で描かれている直木賞作の「極楽征夷大将軍」(垣根涼介著 文藝春秋)や「高師直 室町新秩序の創造者」(亀田俊和著 吉川弘文館)も合わせて読んでみるとこの混迷した時代の雰囲気が立体的に体感できてよりのめり込めること請け合いです。

次回以降このブログに意味不明の表現が多用されることになったとしてもどうか読むのをやめずにお付き合いいただけますよう伏してお願いいたします。

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投稿者: 金次郎

読書が趣味の50代会社員です。

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