金次郎、アイドル山P並みにアメリカにかぶれアメリカ史関連書籍を読み漁る

ほとんど外出も外食もしておらず、本当にここに書くネタに欠乏している今日この頃ですが、こんな時には昔の記憶を搾りに搾ってネタを見つけるしかないということで、時代を40年ほど遡って小学生時代の金次郎の悲しいストーリーを披露することにします。別に最初から読書の話でいいんですけど、と言われそうですが、今回は特に後半の読書関連の内容が固くなりそうなので柔らかいお話に少しお付き合い下さい。飲み会などでたまに話しているので、またそのパンツの話か、と眉をひそめておられる読者もいらっしゃるかと思いますがどうかご容赦下さい。

あれは忘れもしない小学3年生の夏、水泳の授業の後の着替えが終わった直後の出来事でした。当時水泳は2クラス合同で行われ、男子と女子に分かれて着替えを行っておりました。ちょうど男子が着替え終わった金次郎少年のクラスに女子がぞろぞろと戻って来たタイミングで、教室の床にポツンと落ちている男子用ブリーフパンツが発見されました。当時非常にお調子者であった金次郎少年は、チャンス到来とばかりにすかさずそのパンツを拾い上げ、男女を問わずその辺りにいた級友たちに投げつけ始めました。当然教室は阿鼻叫喚の騒ぎとなり、金次郎少年は事件の中心人物となったことに非常に悦に入り満足な状態となりました。小3ながらこざかしいことに、そのカオスを演出する前に、そのパンツが万が一にも自分のものであってはならぬと、きっちり自らの水泳バッグの中身をチラ見し、水泳の前にはいていた白いパンツが正しく収納されていることを瞬時に確認し、パンツを落とした愚か者を嘲りつつ一点の曇りもない気持ちでパンツ投げにしばらく興じておりました。

10分ほど経過したところに激怒した担任の先生が登場し、教室は一気にお通夜ムードとなり、うつむく生徒、怒る担任、その担任の前の教卓におかれた白いパンツ、というシュールな構図となり無言で数分の時間が流れました。その後担任からパンツを投げることの罪についてひとしきり説教をされ、「君たちはなぜパンツを投げるのか。」との本質を衝く問いかけに、生徒たちは反省の沈黙状態に。そして、その沈黙を破り担任が「そもそもこれは誰のパンツだ。」と当然の疑問を投げかけますが、この状況では流石に名乗り出られないのか誰もパンツの所有権を主張しません。担任に促されるままに生徒全員が改めて自らの持ち物を確認することとなりましたが、それでも持ち主は判明せず、沈鬱な雰囲気はなおも続きました。既に確認済みということで周囲の観察に集中していた金次郎少年でしたが、何もしないのも怪しいということで、形式的に水泳バッグの中身を改めるふりだけすることに。当然そこには既に目視済みのはきかえた白いパンツが、白い、白い?、白い水泳キャップがひっそりと鎮座していたのでした!

そうです、なんと、金次郎少年は丁寧に確認することなく、水泳バッグの中の白色の存在を、実はキャップであったそれを、拙速にパンツと勘違いし、自らのパンツを投げ散らかして教室を阿鼻叫喚のカオスの渦に叩き込んだ、信じられない変態小僧となってしまった自分に驚愕することとなったのです。

試験でマークシートの記入が一段ずれていたのを見つけた時も、業務上大きな損失の危機に見舞われた時も、個人的な内容のメールを顧客のグループアドレス宛に誤って送信したと気づいた時でさえも、あの9歳の夏に経験した頭の中が真っ白になるパニック状態とは比較すべくもなく、あんな恐ろしい体験をしてよくちゃんと大人になれたなと自分をほめてあげたいと心から思います(笑)。

その後、有り得ないことに金次郎少年は、パンツを失くして母親に怒られる怖さと、パンツを取り戻すべく名乗り出て変態の誹りを受ける不名誉を量りにかけ、結果おずおずと小さな手を挙げパンツを取り戻す選択をしました。その後の記憶は完全に欠落していますが、よほど母親が怖かったのだな、と思う一方、厳しい躾が金次郎少年を正直者に育ててくれたのだとすると感謝せねばならない、とも思います。できればお調子者にならぬよう躾てほしかった。。。

さて、話はいきなり変わりましてお堅い本の話です。随分と時間がかかってしまいましたが、1年以上かけてようやく岩波新書の〈シリーズ アメリカ合衆国史〉全4巻を読み終えました。大変勉強になったその4冊とは、「植民地から建国へ 19世紀初頭まで」(和田光弘著)、「南北戦争の時代 19世紀」(貴堂嘉之著)、「20世紀アメリカの夢 世紀転換期から1970年代」(中野耕太郎著)、「グローバル時代のアメリカ 冷戦時代から21世紀」(古矢旬著)になりますが、恐縮ながら内容が厖大かつ多岐にわたるため、まだ消化しきれておらずうまく要約して紹介することができません。記憶に残っているポイントの羅列となりますが、政治という観点では、連邦派と共和派の対立から始まった党派抗争がいかにして現在の民主、共和両党の二大政党制に落ち着いたかの流れを掴めますし、それぞれの政党を支持してきた勢力がどのように変遷してきたかについても理解が深まると思います。このテーマについては「アメリカの政党政治」(岡山裕著 中央公論新社)も併せて読むと民主党の方が歴史も古くがちがちの南部保守層(=黒人差別容認派)にその源流を有する点や、共和党が弱小の第三勢力から二大政党の一角をなすまでに党勢を強めた経緯など、現代から見ると少し意外に思えることが多く、興味を維持しつつ勉強できる気分にはなれます(笑)。よく言われることですが、突飛に思えるトランプの主張は突然変異的に発生したわけではなく、クリントン政権末期の段階でダイナミックな変化に取り残された人々、すなわちサイレントマジョリティが声を上げ始め少しずつ歴史の表面に現れつつあったというのが実感できて面白く、そういう意味で現代アメリカの分裂がその根深さ故にしばらく続くのだなと思わされちょっと暗い気持ちにもなりました。また、対立の争点として、人種差別や宗教観の取り扱いが重要になるわけですが、上記4冊で流れを掴みつつ、「アメリカ黒人の歴史」(本田創造著 岩波書店)や「白人ナショナリズム」(渡辺靖著 中央公論新社)、「アメリカを動かす宗教ナショナリズム」(松本佐保著 筑摩書房)などを読むと、更に内容を深掘りできると思います。基本的には分かりにくいアメリカ史ですが、一つだけ良い点は必ず4年に一度大統領選挙が実施される規則性で、これが区切りとなるので比較的(あくまで比較的ですが)頭に残りやすいという気がします。「アメリカ大統領選」(久保文明著 岩波書店)もその仕組みをカジュアルに理解するのに有用な本だと思うのでお薦めです。

ちょっとだけ普通の小説もご紹介。「路」(吉田修一著 文芸春秋)は、本邦商社が手掛ける新幹線の台湾への輸出という史実プロジェクトを軸に、台湾に特別な思いを抱える登場人物たちの人生の岐路を描く群像劇ですが、街の風景や食べ物の描写一つ一つに滲み出る著者の台湾愛に当てられ、すぐにでも飛行機に飛び乗って台湾を訪れたい気分にさせられる一冊です。金次郎も台湾には何度も出張しましたが、とにかく食事が美味しく人が優しい、いい思い出しかない場所ですね。台湾といえば東山先生の「流」(講談社)が先ず頭に浮かびますが、「路」もこれに匹敵する秀作だと思います。

とうとう切り札とも言うべき昔の話を持ち出してしまい、来週ちゃんとこのブログを書き続けられるのかかなり不安です。

 

投稿者: 金次郎

読書が趣味の50代会社員です。

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