投稿前半のよもやま話を書きながらさくらももこ先生の凄さを思い知る

コロナ禍の生活でずっと出社もせず家からのリモートワークを継続している環境では、相変わらずブログに書く新ネタが生まれてまいりません。ということで、もう人生終わりなの?と思ってしまうほど、走馬灯に映る昔の記憶を振り返ってここで書き留めることが増えていますが、今回もそんなお話です。

金次郎の実家が福岡ということで、その昔会社の同期と九州縦断ドライブ旅行を企画したことがありました。その旅程は、羽田→鹿児島、福岡→羽田の航空券のみ購入し、鹿児島からレンタカーでいきあたりばったりに北進し実家のある福岡市南区を目指すというラフなものでした。GW期間中という日程であり、無計画過ぎることに一抹の不安を抱えつつも、20代後半の忙しい盛りでもあり、仕事にかまけ二人ともほぼノー準備で鹿児島空港に降り立つこととなりました。同行した同期のTはオシャレで拘りの強い人物でしたが、よく見ると金次郎よりだいぶ大荷物を抱え、重そうにそれを持ち運んでいました。その荷物について尋ねたところ、自分の好きなイケてる音楽を聴きながらドライブしたいと、当時はまだメジャーであった媒体のCDを大量に持参してきたとの説明でした。彼が滔々と語った旅の青写真は、カッコいい外車をレンタカーし(できればオープンカー)、最高の音楽を鳴らしつつ、ナンパなどにも挑戦しながら、九州を縦横無尽に荒らしまわる、という魅力的な(?)もので、20代で血気盛んであった金次郎も一も二もなくそのワイルドなプランに賛同しました。もともと宮崎でゴルフをすることは予定されていて楽しみでしたし、ついでにバブルの遺産シーガイアにも行こう、鹿児島では砂蒸し風呂の指宿温泉を訪問し特産の黒豚トンカツを食べよう、熊本ではこむらさきのラーメンを食べよう、などと夢は膨らみ二人のテンションは最高潮となりました。さて、そんな二人が鹿児島市内は女性比率が高くて楽しい、などと呑気に会話しながら辿り着いたレンタカー店で悲劇は起こりました。

金&T:「すみません、外車のレンタカーを見せてもらえますか。」

店員:「外車はご用意がございません。」

金&T:「それは残念ですが仕方が無いのでイケてる国産高級車をお願いします。」

店員:「あいにくGWで立て込んでおりご用意するのが難しい状況です。」

金&T:「普通の車でいいので空いている車でお願いします。」

店員:「大変申し上げにくいのですが、予約がいっぱいでご用意がございません。」

金&T:「そこをなんとかなりませんか。」

店員:「有るには有るのですがご要望に沿えるかどうか。。。」

そんなやり取りを経て提示された車とは、なんと、自動車から見栄えやステイタスという要素を徹底的にそぎ落とし、まさに我々の求めるスペックと対極の存在ともいえる、カローラライトバン!緑ナンバーの商用車で明らかにこのレンタカー店の営業用の車としか思えぬ薄汚れたたたずまいにしばし呆然としました。革命的なコンセプトの変化に直面し、二人で大変葛藤しましたが、他に選択肢が無いということで、自分たちの準備不足を呪いつつ苦渋の決断で加齢臭の漂うそのカローラライトバンをレンタルさせていただくこととしたのでした。

読者のみなさん、そうです、もうお気づきとは思いますが、そんな究極のビジネスライク車には当然の如くイケてるオーディオシステムは搭載されておらず、CDはおろかFMラジオすら聴くことができず、悲しい二人の青年は大量のCDをライトバン後部に収納し(収納は広い)、AMラジオから流れるワイドショー的なトークや歌謡曲・演歌などを聞きながら九州珍道中に向かうこととなりました。我々は完全に営業の人となり、当然ナンパなどはもってのほかという状況でしたが(涙)、一つだけメリットがあったのは、商用車ゆえに当時はどこにでも自由自在に路駐可能であったという点で、GWで混雑していた熊本の市内観光においては大変威力を発揮しましたし、喜入の巨大な原油タンクを見に行った際も風景の中に自然と溶け込むことができ、若干留飲を下げられたのはせめてもの救いでした。みなさん、旅行の前にはしっかり下調べや予約をするなど準備を怠らないようにしましょう(苦笑)。

こうして散文を書いていると、何度も繰り返しになりくどいのですが、平成の清少納言とも呼ばれたさくらももこ先生のエッセイの圧倒的なエピソードの総量と面白さのレベルにいつも改めて感動します。そんなさくら作品に近づきたいと何度も読んでいる集英社の初期エッセイ三部作のエピソードの中から特に気になっているものを紹介します。

「もものかんづめ」

「奇跡の水虫治療」:冒頭に置かれたこの話で全て持っていかれる感がありますが、水虫になってしまった女子高生ももこが、家族のいじりに耐えながら水虫を治療すべく研究を重ね、遂に怪しげな民間療法で快癒するという内容です。水虫になったももこをバカにしていたお姉ちゃんに水虫がうつるくだりはニヤけずには読めません。

「明け方のつぶやき」:怠け者で信じやすいももこが眠っている間に英語を記憶できるという触れ込みの〈睡眠学習まくら〉を買ってしまうお話です。まくらに内蔵されたレコーダーに自分で英語を吹き込み録音するという代物ですが、最初に吹き込んだ言葉が父ひろしによる加藤茶のギャグである〈うんこちんちん〉で、しかもそれを消し忘れていて明け方枕から〈うんこちんちん〉が流れ出す、というくだりは本当に笑えます。

「結婚することになった」:とにかく父ヒロシのニヤけた感じがどうにもおかしいエピソードです。ももこの婚約者からの結婚の挨拶の席で、持ってけ泥棒的にどうぞどうぞと応対したり、結婚式の親族紹介で「私が新婦のさくらひろしです。」と挨拶したり親族の名前を完全失念したりと、とにかく適当で笑えます。でも、結婚式の最後にはそんなひろしの眼にも涙が光る、というストーリー展開の妙はやっぱりすごい。

「さるのこしかけ」

「遠藤周作先生」:「深い河」(集英社)や「沈黙」(新潮社)、「侍」(新潮社)などの死生観や宗教観に鋭く切り込む真面目な小説を多数著されている遠藤周作先生が実はニヤけた嘘つきのおじさんだった、というお話でギャップに笑えます。「ぐうたらシリーズ」を読んでみようと思いました。

「イサオ君がいた日々」:ももこが知的障害のある同級生の振る舞いや世界の捉え方を目にして、偏見無くありのままに物事を見つめる姿勢の大切さや尊さに気づかされた、というお話で、このエッセイや「ちびまる子ちゃん」が生み出される原点となったエピソードと言っても過言ではないと思います。

「たいのおかしら」

「グッピーの惨劇」:ももこが家で飼育し繁殖させていたグッピーのかわいそうな運命のお話なのですが、死んでしまったグッピーのグロテスクさとももこの焦りが本当に鮮やかに描かれていて、耐えきれずに笑ってしまう罪深い作品です。カセットテープへのダビングの際に家族の声が入り込んで困る、というのは懐かしい昭和のワンシーンですね。

「父ひろし」:ちびまる子ちゃんでもお馴染みの父ひろしがももこをからかう様子が描かれていますが、この構図には既視感が有るぞと思ったら金次郎家の父が妹をからかっていたのと全く同じ感じでした。現代から見た善悪の評価は別として、そういうのが昭和の一般家庭の日常だったのかな、となんとなく懐かしくなりました。さくら先生のエッセイを読むと、しばらく会えていない父と妹を思い出します。

前回のブログからの流れで「海辺のカフカ」(村上春樹著 新潮社 )を読みました。相変わらず多様な解釈が可能な、平たく言うとよく分からないことも多い内容でしたが、意外と夢中で一気に読むことができたので、遂に金次郎にも村上世界の扉が開いたか、と喜ばしい気分になる一方で、登場人物の田村カフカや大島そして佐伯といったこじらせ集団よりも断然ナカタ、星野のシンプル集団に共感してしまう自分には村上作品を読む資格が無いのではないかと若干不安にもなりました。最近頑張っているTwitterに上記のような感想をつぶやいたところ、さすが村上作品で多数のリアクションをいただきその影響力の大きさを改めて実感しました。

8月は過去最多の38冊を読了し、相変わらず量を追いかけてしまっている読書スタイルを反省しました。


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投稿者: 金次郎

読書が趣味の50代会社員です。

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