金次郎、たそがれ研修を受け定年後について考える

先日会社で研修を受け、一日半みっちりグループワークなどを通じて色々と考える良い機会となりました。どんな研修かと言いますと、あなたこのまま何も考えずに定年を迎えたらヤバいことになりますよ、という内容で、会社員生活の終わりがぼんやりと見え始める50歳前後で受けるため〈たそがれ研修〉と社内では呼ばれております(笑)。定年後あなたはだいたい17年生きる、あなたが死んでから奥さんは更に10年以上生きる、よっていくら必要になるが年金だけだとこういう感じになってゆとりの有る生活を送るにはこれだけ足りない、というようなシビアな話を突き付けられます。少し前に話題となった退職時に2000万円貯金が必要か否かという問題と基本的には同じような話なのですが、そもそも金次郎家が毎月どれくらい支出しているのかよく分かっていない体たらくにてスタートラインにすら立てていない不安感は否めません。

そして、ちょうど先日電話した際に父親も言っていたのですが、うまい具合にビンゴ的にきれいに金を使いきって死ぬのは不可能なために、常に預金が減っていくことへの恐怖と向き合わねばならず、それを避けるためにはやっぱりぎりぎりまで収入を得続けた方が良い、という当然の帰結となり、悠々自適の読書&ブログで余生を過ごそうと思っていた金次郎にはやや暗雲の切ない内容となりました。60歳過ぎでの再就職のハードルが高いというほぼ脅迫(笑)の説明を受け、将来を見据えた学び直しや準備を計画的に少しずつでも意識して実際に動き始めるべきタイミングと実感いたしました。ただ、働き続けるにしても、今の会社で40年前後がむしゃらに勤務した後の選択ということもあり、少しくらいは自分のやりたいことに寄せたいなと思い、研修でもさんざん問われましたので、改めて自分がハッピーだと感じるのはどういう瞬間かと自らを振り返ってみることとしました。こっ恥ずかしい自分探し作業でしたが、あれこれ考えているうちにこれまでの人生を通じて公私問わず仕事でも遊びでもオリジナリティのある金次郎らしい発信をして、それに対し面白かったやためになったなどのポジティブなフィードバックをもらった際にとても嬉しい気分になることを再確認することができ、そういうことならと、難易度は非常に高いと理解しつつも、現段階の夢として、このブログあるいはそれに類する発信を皆さんに楽しく読んでいただき、そこで僅かばかりでも稼げればいいな、とパイプドリームを掲げてみることにしました。研修では更に一歩進んで、その実現に向けた具体的なアクションも設定せねばならないということで、①ブログのみならず今後発信プラットフォームとなり得るsocial mediaについて行ってこれを活用できるようデジタルリテラシーを上げる、②このブログの文章をより分かり易く、読み易くてかつ面白いものにすべく心掛ける、③できるだけたくさんのことを経験すべく妻と色々なところに出かける、④もっと幅広く、かつ深い読書を意識する、そして⑤定年までの限られた時間にできるだけ密度の濃い経験を積めるよう、全力かつより広い視野で仕事を頑張る、という当たり前のステップを設定しました。先ずはとにかく妻の治療が最優先ですが、暫く時間が経過しても①~⑤ができていないぞ、とお気づきの際は是非叱咤激励いただけますようお願いいたします(笑)。

さて、前回のブログで海外の文学賞について取り上げましたが、その流れで「世界の8大文学賞 受賞作から読み解く現代小説の今」(都甲幸治ほか著 立東舎)を読んでみました。ノーベル文学賞、芥川賞、直木賞、ブッカー賞、コンクール賞、ピューリッツァー賞、カフカ賞、エルサレム賞のそれぞれについて詳細が説明してある上に、識者の方々が各賞の受賞作からお薦めの3作品を紹介してくれるというありがたい本で、前回ブログを書きつつ深めた予備知識も有ったので非常にすんなり読み進めることができました。前回取り上げなかったノーベル文学賞は理想主義、人道主義が選考基準として重視されていて、面白くて文章が素晴らしいというだけでは受賞できない仕組みとなっているようです。この観点に加えやはりスウェーデンの賞だけに北欧的価値観も判断基準となっていてアジア人には不利という現実は否定できず待望されている村上春樹先生の受賞はなかなかにハードルが高いのですが、もう一転、長生きしている高齢の作家が受賞するというご長寿コンテスト的な性格も有ることから、村上先生にはぜひ健康に留意して長生きしていただき、よぼよぼとなられながらでも、どうにかノーベル賞の栄誉を手にしていただきたいところです。

先日お会いした方が船戸与一先生の満州国演義シリーズ(全九巻)を読んでいると仰っていたのですが、いきなり全九巻はリスクが高いと思い、1980年代のブラジルに流れ着いた日本人の人間臭い生き様を描いた短編集である「カルナヴァル戦記」(講談社)を読み、「おタキ」で描かれる熊本弁のおタキばあさんの気概や、「アマゾン仙次」での仙次の迫力が印象的ですっかりはまりそうになっていたところに、直木賞のパートでちょうど「虹の谷の五月」(船戸与一著 集英社)が紹介されており、グッドタイミングとこちらも読み始めました。フィリピンのセブ島の田舎に住み、闘鶏を生業としている日比混血の少年トシオが主人公なのですが、どんどん逞しさを増す彼の成長ぶりや、元ゲリラ戦士であったガブリエルじいちゃんや虹の谷を拠点に孤独に闘い続けるホセのあまりのかっこ良さになんだか胸が踊ってしまい、読了前紹介するのは珍しいのですが、あまりに面白いので載せてしまいました。金次郎が出張でフィリピンに行き始めたタイミングと時代が重なっていることも生々しい印象を強める一因になっています。

話が結構飛びましたが、残りのカフカ賞もエルサレム賞も村上先生は取っていて、特に後者では受賞の際の〈壁と卵〉のスピーチが話題になったのでご記憶の方もいらっしゃるかと思います。どちらもノーベル賞の足掛かり的な位置づけとされていて、思えば村上先生のノーベル賞受賞フィーバーが始まったのはこれら前座賞を取られたあたりからではないかと思います。ちなみに同様に不思議とノーベル文学賞を取っていないマーガレット・アトウッド大先生はカフカ賞を取られていますし、なんとブッカー賞は二度受賞されています!

長くなってしまいましたがもう少し本を紹介しておきます。「幕末紀」(柴田哲孝著 KADOKAWA)は愛媛宇和島藩主で名君と名高い伊達宗城の密命を受け、幕末の日本中を密使として駆け巡った著者の4代前の祖先である柴田快太郎が主役の歴史小説です。通常とは一味違う視点で、土佐勤皇党や坂本龍馬、新選組の横暴や池田屋事件の顛末などが描かれていて新鮮な上、快太郎が実在の人物でしかも著者の祖先というところにかなりのリアリティを感じました。著者による「下山事件 最後の証言」(祥伝社)も謀略渦巻く凄い話でしたが、本作にもフリーメイソンの陰謀を示唆する表現が多々出てきます。

「はるか」(宿野かほる著 新潮社)は問題作「ルビンの壺が割れた」(新潮社)で反共を呼んだ覆面作家の著者による第二作で、近未来AI時代の死生観について考えさせられる内容となっています。主人公は自ら作り出した最愛の妻を模したAIにはまってしまうのですが、技術の進歩を消化しきれない、すなわちAIリテラシーが低い状態で現実とビット世界の境界を見失う主人公の姿が、自分の将来のイメージと結構リアルに重なって身につまされる気分となりました。宿野先生はこの後作品を出されていないようで、本覆面作家プロジェクトが終わってしまったとすると非常に残念です。

今週は芥川賞、直木賞の候補作品が発表となります!年明けにはいよいよ本屋大賞2022ノミネート作品が発表になるので、読書の冬本番です(笑)。


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投稿者: 金次郎

読書が趣味の50代会社員です。

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