ブログのネタが尽きてきて、いよいよ取っておきのリーサルウェポンを投入

今週は、金次郎の甥っ子が志望大学に合格するという嬉しいニュースが有りました。おめでとう、K太郎!

いよいよブログのネタに窮してしまい、本当にネタに困ったらこの箱を開けなさい的な最終手段を投入することとなってしまいました。金次郎は2002年から2006年までシンガポールに駐在しておりましたが、この期間は仕事も充実していましたし、多くの得難い知己を得る機会にも恵まれ、ついでに新婚生活がスタートした時期でもあり、正に三十にして立つを地で行く人生のターニングポイントでありました。そんな楽しかったシンガポール生活に彩りを添えてくれたのが社用車の運転手であるPさんでした。マレー系が多い運転手の中で唯一の中華系であった彼は、故宅八郎さんくりそつの容姿もあいまって際立つ存在感を醸し出しており、しかもその見た目に違わぬ数多くの武勇伝を創造し続けるレジェンドでした。

まず第一に、運転手にあるまじきことですが、彼の運転はすこぶる荒く、慣れていないお客さんなどを乗せると結構な確率で車酔いが発症してしまいます。今にして思うと彼は少し視野狭窄だったのではないかという気がするのですが、運転しながら上下左右に体を大きく動かすクセが有り、これが不安定な運転に拍車をかけるという悪循環で、よく彼の運転する車を使っていて慣れていた金次郎でもマレーシア往復など長距離行の場合は何度も吐きそうになりました。また、シーブリーズの偽物のような謎の液体を常に顔や首に塗りたくっており、最初は清潔感の演出かとも思いましたが、どうやら年がら年中の眠気覚ましだったようで、彼の運転中はいつ事故るかとなかなかの緊張感だったことを思い出します。更に、赤道直下に位置するシンガポールですので、車の窓は締め切り冷房をガンガン効かせているわけですが、彼はそんな密室で素知らぬ顔でおならを連発することを文字通り屁とも思わぬ強靭な精神の持ち主で、頻繁に金次郎や同乗したお客さんを悶絶させる毒ガス専門のテロリストでもありました。

彼の奇行は車中にとどまりません。命知らずな彼は何故だか40代でローラーブレードにハマってしまい、シンガポールによく有る低層階が駐車場になっているビル内で仕事の空き時間にローラーブレードを装着し、各階を繋いでいる車が通るスペースをグルグル回りながら9階から地上まで猛スピードで駆け降りるという危険行為を繰り返し、ビル側から苦情を受けた総務部から激しく叱責される事態となり、彼のアグレッシブインラインスケーター時代は数日で幕を閉じました。今でもガリガリに痩せて鋭い目つきの宅八郎似の男がヘルメット、ヒジとヒザのプロテクターを装着して飛ぶように駐車場を駆け降りる姿を思い出すと、あれは夢だったのではないかという気分にすらなります。

小さな事故を頻繁に起こしたり、休日に社用車を勝手に乗り回したり、挙句に社用車で白タクをしているのが会社にバレたりととにかく破天荒なPさんでしたが、何くれと無く金次郎夫婦の世話は焼いてくれましたし、ちょっと奇怪なものも含め美味しいローカルフードをたくさん紹介してくれましたし、懐に余裕は無い筈なのに本帰国の際は記念品まで用意してくれて、総合的にはいい人だったなと今では良い思い出です。その後彼がたどった数奇な人生については、また別の機会に書こうと思います。

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