松本清張先生の「昭和史発掘」、素晴らしいの一言に尽きます

本日は掃除や買い物の合間にこれまで読み進めてきた「昭和史発掘(新装版全九巻)」(松本清張著 文春文庫)を遂に読み終えました。

福岡の実家で父の本棚の真ん中に威圧感を放って並んでいたこの本、今読み終えて、もし若かりし頃これを手に取っていたら私の人生は変わっていたかもしれない、と大げさでなく感じる圧巻の内容です。莫大な資料とその行間から事実とその背景を浮かび上がらせようとする著者の執念が凄まじい。全く書ききれませんが、以下、1~3巻、4~5巻、6~9巻に分けての感想です。また妻にディスられる、真面目かつ固い内容となってしまいましたが、この本についてはもうしょうがない。

○1~3巻: 昭和初期に実際に起こった様々な事件について、緻密な取材を基に著者ならではのストーリー再構築を図る試みは、ノンフィクションなのに上質のサスペンス的な緊迫感が有り引き込まれます。

田中義一による「陸軍機密費問題」にはじまり、戦後の下山事件を彷彿させる「石田検事怪死事件」、当時の文壇の様子がイメージ できる「芥川龍之介の死」、「潤一郎と春夫」、 大戦に向かって進んで行く時代の契機としての三月事件、十月事件を描く「桜会の野望」、そして血盟団事件からの「五・一五事件」と、なんとなくおどろおどろしくて理解が進まなかったこの時代の雰囲気がなんとも鮮やかにすんなりと頭に入ってきます。「佐分利公司の怪死」は不謹慎ながら本格ミステリーも顔負けで出色です。全編を通じて差別や暴力、思想統制といったものへの著者の静かな怒りが感じられる内容となっています。

○4~5巻: 「小林多喜二の死」では、治安維持法制定からの左翼、社会主義思想弾圧、不況と格差の中から生まれたプロレタリア文学の一瞬の輝き、特高の暴虐が描かれます。国体護持の原理主義化がこの時期に進んだことは「天皇機関説」で解説されるその論争の詳細の中に見て取れますが、そもそも維新直後の明治時代は機関説が常識であったというのはよく分かっておらず、不勉強を反省です。

「相沢事件」・「軍閥の暗闘」・「相沢公判」では皇道派による永田鉄山暗殺事件から二・二六事件直前までの詳細が描かれますが、厖大な資料の分析を下敷きとした臨場感溢れる緻密な筆致が素晴らしく、五・一五の後は二・二六というように、歴史を点でしか理解できていなかったことが恥ずかしくなります。ちなみに、五・一五実行犯の処罰が軽かったことが二・二六の一因になったとされています。

○6~9巻: いよいよ、このシリーズもクライマックスの二・二六事件の全容をその前段から克明に記載した6~9巻きで完結です。全編読み通してみると、これまでに描かれた事件が二・二六に向けた伏線として鮮やかに浮かび上がってきて感動します。昭和史というより二・二六史だな、と思ったところで、清張にとっての戦前昭和の全てが二・二六に凝縮されているのだと気づき戦慄します。

そもそも判明した認識違いが、革命成らざるの後、青年将校がほぼ自決しておらず裁判から処刑という手続きが踏まれたという点、北一輝・西田税が主導的役割を演じていない点、更に、相沢中佐による永田鉄山斬殺事件とその裁判の動向が二・二六クーデター実行の決断に大きく影響していた点など多数で、とにかく不勉強を恥じます。二・二六無かりせば、北一輝は歴史に名を遺す程の人物でなかったというのは教科書と違った見方で面白い。

戦前であってもやはり立憲政体における一機関であった天皇を、統帥権の拡大解釈を以てある意味意図的に絶対主義的な存在に祭り上げ活用しようとした将官クラスの皇道派官僚軍人と、北の日本改造法案大綱にも煽られ、純粋に、悪く言えば浮世離れして昭和維新を目指した青年将校とのコントラストは皇道派の中においても軍部が一枚岩でなかったという意味で興味深いですし、この事件をさっさと片付けてしまった幕僚派石原莞爾の実力と野心も印象的です。

上記のような天皇機関説や統帥権といった確り理解せず流してきたテーマを改めて考えるきっかけとなったり、戒厳令や奉勅命令の取り扱い、非公開・弁護士無し・上告無しの特設軍法会議とその条件としての戒厳令との関係などについて筋道立てて考える訓練になったりと、本当に色々と勉強になる本でした。

投稿者: 金次郎

読書が趣味の50代会社員です。

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