どうやらタブローとは絵画のことのようです

本日は妻の実家に年始の挨拶に行ってきました。相変わらず義父母・親戚の皆さんは自分の話が大好きかつ一番で、誰にも拾われることなく消えて行く言葉たちにはお構いなしに自己アピールプレゼンが前後左右から発信され続けるカオス。 そんなカオスな状況でストーリーを完結させられる自信なく、 言葉を発することすらできず折れた心の地蔵としてお供え物のように並んだ食べ物を眺めるだけの繊細過ぎる私金次郎。例年通りですが、今年も年始は無我の悟りの境地からスタートです。

さて、タブローってなに?田口トモロヲ?を調べるところから始まった今回の読書、「美しき愚かものたちのタブロー」(原田マハ著 文芸春秋)は、日本に本物の西洋美術を持ち込むという壮大な目標に夢中になった薩閥松方正義の息子である松方幸次郎と、幸次郎が欧米コレクターと五部以上にわたり合って収集した松方コレクションを守るために数奇な運命を辿ることになった日置釭三郎の半生について、かなり史実に沿う形で描かれたノンフィクション的な小説です。

原田先生としては美術うんちく控え目のバランスで、敗戦で失った誇りを取り戻そうとする吉田首相をはじめ関係者の執念と、関連する国立西洋美術館ができるに至った経緯などストーリーを重視した構成になっており、そもそも松方コレクションについてやルノワール(アルジェリア風のパリの女たち)やモネ(睡蓮)が同美術館に所蔵されていることを知らなかった私にとってはたいへんためになる内容でした。

保守的なフランス美術界に「愚かもの」と蔑まれながら新たな創作に挑戦した前衛芸術家たちと松方の精神が重なり合うように描かれていて、まさに美しき愚かものたち、という感じです。

これより少し前の時代を描いたのが「たゆたえども沈まず」(同 幻冬舎)です。19世紀後半のパリを舞台に、当時のヨーロッパ美術界での浮世絵ブームと日本美術が新ムーブメントであった印象派にもたらしたものを日本人画商とゴッホ兄弟との親交を通じて描いています。短編集「ジヴェルニーの食卓」(同 集英社文庫)の、‘タンギー爺さん’、 ではセザンヌに焦点当てていましたが、これを再構成して長編としてリライトした内容となっています。

フランス社交界における外国人、保守権威アカデミーに対抗する印象派、更により前衛的であったゴッホ、といった異端や革新的存在として世に出ようと苦闘する人々の覚悟と懊悩が、現状に甘んじてしまっている中年の心に痛めにじわっと沁みますね。タイトルはパリ市の標語である‘fluctuat nec mergitur’から取られていますが、まさに波にもまれても決して沈むことのない強さ、がモチーフになっています。

来年はもう少し会話できるよう努力してみよう。

投稿者: 金次郎

読書が趣味の50代会社員です。

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