金次郎、ネタに困った時のいつもの世界のニュース頼み発動

オンライン英会話のレッスンではdaily newsという世界中のニュース記事を集めた教材を資料として使うことがよく有ります。このニュース記事の内容は当然のことながら金次郎が仕事や個人的趣味のためにチェックしている情報ソースとは方向性がだいぶ違うので、時々これまで気に留めていなかった面白い情報を期せずして入手できて得をした気分になることが有ります。

例えば飛行機の離着陸時に座席やトレイを元に戻すのと同時に窓のシェイドを上げるよう指示される理由について、座席やトレイについては避難が必要になる際に邪魔にならないためと理解できるものの、シェイドについてはこれまでかなり飛行機に乗る機会が有ったにも関わらず恥ずかしながら今ひとつ分かっていませんでした。勿論安全確保がその目的なのですが、①一瞬の判断の遅れが重大な事態を招きかねない避難時に迅速に行動できるよう、自然光に乗客や乗務員の視覚を慣らしておくため、そして②乗務員がどこからどう非難するのがベストかを広い視野で確認するため、ということのようで非常に納得感が高かったです。年明けの衝突炎上事故の後、避難をスムーズにするためにヒールの靴はNG、荷物が持ち出せないので貴重品は上着やズボンの前面のポケットに入れるのが良いと報道されておりましたが、飛行機に乗る人が皆釣り師のようにポケットだらけの服装になってしまうのではないか、ポケットに物を入れ過ぎて保安検査に凄く時間が掛かるようになるのではないか、などとくだらないことを考えたりもいたしました。役に立つだけでなく、結構悲しい内容の記事も有り、人間が感じる幸福度は9歳時にピークを迎え、それからほぼ一貫して下がり続けるというリサーチ結果についての考察が紹介されていました。何となくそうなんだろうなと薄々気づいてはいたものの、だいぶ下り坂の下の方に差し掛かってしまっている51歳の身としては、改めて救いの無い現実を突き付けられて切ない気分になりました。ただ、9歳の金次郎は、学業はパッとせず、習い事の剣道も恥ずかしい程に弱く、直ぐに「もうだめだ」と泣いて諦める弱虫で、全く見所の無い従って幸福度も高くない子供でしたので、自分だけは例外と勝手に思って51歳の今をピークだと信じ込みたいと思います(笑)。その他にも、他人といる時に相手を無視してスマホを見続ける行為をファビング(phubbing)と呼び、これはphoneとsnubbing(冷たくあしらう)の合成語であると学びつつ、飲み会で目の前に座った人にずっと携帯ゲームをプレイされ続けるという究極のファビングを食らったトラウマ体験がフラッシュバックして辛い気分になりました(涙)。その他の有用な情報としては、週4日勤務をトライアル導入したドイツやスイスの企業のほぼ全てで社員の満足度が上がりストレス水準も下がったとのことで、企業側もメリットを感じて半数以上がトライアルを継続、全体の3割が週4日勤務の本格導入を決めたそうです。定年までに実現するか分かりませんが、うちの会社でもそうなったらもっと本が読めるなとこっそり楽しみにしております。

さて本の紹介です。金次郎が注目していた河﨑秋子先生がとうとう直木賞を取られましたが、その受賞作である「ともぐい」(新潮社)を早速読んでみました。桜木紫乃先生など北海道在住の作家さんは結構多いように思いますが、河﨑先生は元羊飼いという異色の経歴の持ち主ということもあり、他の作品を読んだ印象も生々しく自然を描く作風というものでしたので、本作も北海道の自然を愛する草の根作家の視点からその自然の雄大さを描き出す内容になるのだろうなと思いつつ読み進めました。ところが、山中で育てられ、人間でありながら極めて動物的な感覚で生きている主人公熊爪(くまづめ)の視点で描かれる物語は、ありがちな人間と自然との相克をテーマとしたものではなく、大自然のど真ん中から人間というフィルターを介さずに自然を描き出す試みで、その圧倒的な迫力に度肝を抜かれる思いで一気に読み終えました。熊爪が感じる、自らの縄張りによそ者の熊である穴持たず(=冬眠しない熊)を連れてきた人間への怒り、縄張りを守り生き抜くために穴持たずとの闘いに挑む決意、その穴持たずを倒した赤毛熊への憧憬の思いなどは完全に人間離れしていてこれまでに感じたことの無い感覚を疑似体験でき新鮮でした。熊爪が鹿を狩り肉や内臓を捌く様子や、熊の臭いを嗅いで気配を感じ命のやり取りをする場面は、その体温や吐く息に直に触れているかのような感覚で、これまで読んだ作品とはレベルの違う臨場感でした。また、熊爪の目を通じて描写される街に住む人間の歪さが際立っているのもこの作品の特徴で、商業主義の進展や日露開戦に向けた緊迫感がもたらした人心の荒廃が非常に薄気味悪く描かれており、「ゴールデンカムイ」の世界観を思い出しながら読みました。

河﨑作品をもう一冊。「清浄島」(双葉社)は日本海最北の離島である礼文島で、寄生虫エキノコックス撲滅に向け孤独な研究活動を淡々と進める研究員土橋の苦闘、その過程で生じる島民との確執と協働、そして命に対しての内省と思索を描いた物語です。寄生虫の宿主となり得る狐や犬、猫や鼠などから人間に感染すると、10年余の潜伏期間を経て、内臓に嚢胞ができ妊婦のように腹が膨れて死に至るという恐ろしいエキノコックス症は有効な治療法の無い厄介な感染症です。とにかく寄生虫の宿主を同定し、それを根絶やしにするしか有効な打ち手が無いわけですが、離島ならではのよそ者へのネガティブな感情や、島を支える産業であるコンブ漁と調査とのコンフリクトなどから病気に対する周知や理解が進まず土橋の作業はなかなか思うように進展しません。そんな中でも粘り強く島民と人間関係を築き、次第に味方を得て調査を進めていた土橋でしたが、調査及び感染対策の徹底のために、野犬や野良猫だけでなく、島民が家族として可愛がっている飼い犬や飼い猫まで処分せざるを得ないという厳しい状況に追い込まれ、調査のためとはいえ罪もない犬猫を殺し解剖し続けねばならない葛藤、大切な家族を奪われた島民感情への思いに苦しむこととなります。不器用ながらも命の重さに真摯に向き合い、人間のために動物の命を犠牲にすることの不条理から目を背けず、心中では寄生虫にすら罪は無いとその命に対し祈り続ける土橋の誠実さが状況を動かしていくわけですが、この命に向き合う姿勢こそが河﨑先生による動物文学の真骨頂だと感じました。しかし、本作は実話を下敷きにしていると思われ、実際このエキノコックスという病気は北海道や知多半島を中心に未だ死亡症例を出し続けているようで、動物に直に触れる怖さと手洗いや手指消毒の大切さを改めて思い知りました。

最後に簡単に。「中華を生んだ遊牧民 鮮卑拓跋の歴史」(松下憲一著 講談社)は複雑すぎて勉強する気も起こらなかった中国の五胡十六国時代について、鮮卑族の勢力拡大から拓跋部による代の建国、その後の拓跋部国家である北魏による華北統一から南北朝時代までを中心に丁寧に解説してある本となります。マニアックになり過ぎるので詳細には触れませんが、鮮卑や拓跋部を含む北方遊牧民の文化として、皇太子が決まったらその母が殺される〈子貴母死〉や、亡き父の妃を息子が娶る〈レビレート婚〉などが紹介されています。中国の後宮や官僚社会を舞台とする「薬屋のひとりごと」ではこのレビレート婚の話が出てくるので、物語の時代設定としてはこの南北朝以降の、遊牧民文化と漢民族文化が融合した頃の話なのかなと考えたりもしました。また、中国で犬肉を食べなくなったのは、犬と共に旅をする遊牧民文化の影響と言うことでこれも南北朝以降の特徴だそうです。とかく漢民族と遊牧民との二項対立で語られがちな中国の歴史ですが、4世紀ころから両者の融合が進んでいたという史実に改めて触れ非常に感銘を受けました。

先日胃の不調で内科を受診し、逆流性食道炎との診断で、医師から様々な注意事項を告げられたのですが、その医師が〈胸やけのしおり〉的な冊子をただ読み上げるだけの手抜き仕事で、金返せという気分になりました(涙)。

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投稿者: 金次郎

読書が趣味の50代会社員です。

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