「わたしの名は紅」(オルハン・パムク著 藤原書店)

この週末は未読だった本屋大賞ノミネート作を2冊読み、驚いて笑って泣いて大変でしたw。 近いうちに感想を書こうと思いますが、ネタばれ無し主義者としては、特にミステリーは 面白ければ面白いほど書けることが減る構造になってしまうのでジレンマですね。

さて、「わたしの名は紅」(オルハン・パムク著 藤原書房)は、トルコのノーベル文学賞作家の手によるオスマン帝国時代を描いた歴史ミステリー小説ということで、好みのテーマが詰まっていると思い読み始めたものの、情報量が非常に多く消化しながら読み進めるのがなかなか手間取る作品でした。

ただ、世界的大ベストセラーとなったこちらも歴史ミステリーである「薔薇の名前」(ウンベルト・エーコ著 東京創元社 巻・下巻のイスラム版と言えるほど当時の宗教観、つまりは世界観や社会規範の描写が詳しく、知的好奇心を刺激される内容で、もう少し教養を深めた上で改めて挑戦しようと思わされる一冊でした。ミステリー比率が低いので、それなりに書くことが有ったのは助かりましたw。

物語の舞台となる1591年はムラト3世の治世で、チャルドランの戦いでサファビー朝を後退させ、エジプトのマムルーク朝を滅ぼしたセリム1世、第一次ウィーン包囲、ロードス島攻略で名高いスレイマン1世の黄金時代を経て、オスマン帝国の繁栄にやや影の差し始めている時期であり、体制締め付けのために、元々宗教的には寛容であった帝国がイスラム国家としての性格を強めているのが特徴的です。

ストーリー中にも原理主義的な内容が散見され、主題である細密画を描く視点のアンビバレントな葛藤、すなわち遠近法を用いて‘人の視点’に忠実に描くか、‘神の視点’に寄り添うとされる手本となる様式をどこまでも模倣するのか、の中にも時代の空気が色濃く反映されていて、なかなか興味深いです。

また、イスラム規範に基づく男女の恋愛や結婚・離婚の手続き、宗教指導者イマームの役割と権威、社会の隙間で逞しく活動するユダヤ人小間物商の活躍、等は以下に挙げるような歴史の本の記載ではイメージ湧きにくかったので、ここは物語の表現力に感謝です。

オリーブ、蝶、コウノトリというニックネームで呼ばれる3人の細密画師の誰が殺人犯なのか、という謎がミステリーの部分なのですが、細密画の技法とか細密画に描かれるたくさんの宗教的エピソードの説明とかに飲み込まれて、ちょっと推理の道筋は判然とせず、この部分はやや不満ですが、もう一度読んだら違って見えることに期待します。

ここまできたら本日は徹底的にオスマン帝国ということで、これまで読んだ本の中で参考になったものを何冊か紹介します。

「興亡の世界史10 オスマン帝国500年の平和」(林佳世子著 講談社)

この本ではオスマン帝国の周辺国との対立状況や細かな社会制度まで丁寧に記述されており、このシリーズならではの教科書では学べない歴史知識満載の充実した内容です。

この本を読んで思うのは、トルコ系のスルタンを戴きトルコ語系の公用語を用いた国家ではあったものの、後継のトルコ共和国に引っ張られた通称であるオスマン・トルコ という呼び名は正しくなく、多種多様な民族・宗教を包含しながら広範な領域を支配したという意味できちんと‘オスマン帝国’と呼ぶべきということです。

アナトリアというよりバルカンがメインのヨーロッパ国家と認識することで、デブシルメ制とかウィーン包囲とかへの何となくの違和感が解消されてすっきり理解できると思います。

「オスマン帝国の解体 文化世界と国民国家」(鈴木董著 講談社)

多民族・多宗教を許容したオスマン帝国の体制が西欧からもたらされた民族主義と接触した結果、帝国周縁部で多くの民族が共存していたバルカン半島が特に不安定化することとなり、この動きが第一次大戦勃発から帝国滅亡に至る歴史の流れをもたらしたことがよく分かります。なぜバルカン半島が世界の火薬庫と呼ばれるようになったのか、という歴史の一段深い部分を垣間見ることのできる本だと思います。

「オスマン帝国 繁栄と衰亡の600年史」(小笠原弘幸著 中央公論新社)

この本は、オスマン朝を1.封建的公国時代、2.集権的帝国時代、3.分権的統治時代、4.近代帝国時代の4つの時代区分に分けて、それぞれの特徴を皇帝毎の編年体で記載するというちょっと珍しい形式で目新しく面白いです。

トルコ系名門であるオグズ族の長としての称号であるハンを名乗る時代から、 イスラム帝国へと変貌を遂げる中でスルタン、カリフと統治者の称号が変化していく過程はなかなか興味深かったです。

外戚権力の拡大を抑制するために后妃は奴隷身分とするのが慣習だったとか、第一次立憲政を終わらせたアブデルハミト2世を現在のエルドアン大統領が理想としているとか、へぇーと思わされる記述が多くて楽しく読めました。編年体なので、兄弟殺し等血なまぐさい皇位継承の様子が結構詳述されていたりして、このテーマを扱った歴史の本としては珍しくて面白く退屈しないと思います。

こんなにマニアックな記事を最期までお読み頂きありがとうございます。最近の米国・イラン対立も含め、世界情勢を読み解く上で中東やイスラムを正しく理解することが非常に重要であるにも関わらず、日本の世界史教育は欧米に引っ張られる形で西欧・キリスト教中心にかなり偏った内容になってしまっており、そういうバイアスを打ち消すためにも上記のような本をより意識して読んでいこうと思っています。

投稿者: 金次郎

読書が趣味の50代会社員です。

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