7-9月期TVドラマはどうなるのか?+「21lessons」(ユヴァル・ノア・ハラリ著)を読む

いよいよ6月から本格的にwithコロナを意識した生活に移行することとなりますが、ふと「ハケンの品格」や「半沢直樹」などの人気作が予定されていた4-6月期の春ドラマはどうなるのだろうと思う一方、7-9月期のドラマ撮影にあたってはコロナ有りの生活様式をベースにするのか、それとも何事も無かったように〈マスク無し〉、〈密〉の世界でリアリティ無しの作品となるのか、かなり気になってきました。そういう面倒な設定を気にしなくていい〈昭和もの〉やいっそ時代劇がたくさん製作されたりするとちょっと笑えます。この話は小説にも当てはまるわけで、作家さんたちは舞台設定に頭を悩まされていることと思います。

〈今晩は避密コンである。自宅で夕食を済ませ、自作ハイボールをいつもより数杯多く一気に飲み干して、念入りに酔っぱらった状態で午後時に家を出た。ちなみに避密コンというのは読んで字のごとく、三密を避けての〈コロナ時代の合コン〉である。店に入ると、店と言っても所謂会議室なのだが、だいぶ間隔を空けて男女名が既に着席していた。皆同様に既に酩酊状態かつマスク&フェイスシールド着用である。マスクで顔の半分以上が見えない上に、何人かはフェイスシールドも曇ってしまっているためもはや個人の識別が難しい。さすがにそれでは情報不足過ぎて相手選びに支障をきたすので、とりあえず皆ルールに従い顔写真を表示したスマホを首からストラップでぶら下げている。なんとも異様な光景である。いや、今日は特別な日、異様さにひるんでいる場合ではない。この、酒無し、食事無し、だんだん酔いが覚めて行く避密コンで半年間練りに練ったゲームプランを確実に遂行しなければならないのだ。あいつの無念を晴らすために。〉

素人的にはこんな感じのヘタクソ文章となりますが、プロの先生方がこの状況をどう乗り越えるのか、今後出版される新作が楽しみです。

さて、本日は「21 lessons 21世紀の人類のための21の思考」(ユヴァル・ノア・ハラリ著 河出書房新社)のご紹介です。「サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福」(同)、「ホモ・デウス」(同)で一気に著名学者の仲間入りをした、〈知の巨人〉ハラリ先生による、遠い過去でも未来でもなく人類の現在とこれからに焦点を当て、それぞれが関連し合う21の重要かつ壮大なテーマについて鋭い現状分析と、我々はどう生きるべきかについてのヒントを与えてくれる作品です。

ご自身のこともたくさんぶっちゃけている語り口はややカジュアルにも映りますが、それぞれについて1冊の本でも書ききれない程の難しいテーマを21も詰め込んだ上に、金次郎のような凡人にも何となく理解した気持ちにさせる分かり易さは、ご本人は無神論者とのことですが、まさに神業です(笑)。

動物学的な人類の本質と、今後起こるテクノロジーの急速な進化を思考を進める上での揺らがぬ基軸に据えてあるところが、この分かり易さを担保していますが、ユダヤ教の徹底的な研究と世俗主義的な自由が同居し得るイスラエルの特別なお国柄が、宗教の相対化プロセスを通じて、このように極めて科学的な視座を育んだところに感心しつつ、昨年訪問したテルアビブを思い出しました。

内容に関しては、アルゴリズムが支配力を強める世界での人間存在の意味の希薄化に警鐘を鳴らし、テクノロジーも含めあらゆることを学び続けようとする姿勢と、自らの心に向き合って、時に悪意をもって創られた物語に操られることなく、自分自身の感情や心の動きを真に理解することの重要性が説かれています。更に、地球規模での核、環境、テクノロジーという課題に対処する上ではグローバル化の流れを止めるべきではないとの主張がロジカルに展開されたり、土地や資産の時代から知識とデータの時代に移行する中で戦争というもののコストが高くなっているという経済的視点で、道義的な感情論に依らず冷徹に不戦の重要性を論じたり、宗教は問題の一部であって解決策とはなり得ない、ときっぱりと宗教を否定してみたりと、紹介したい示唆がどんどん湧いて出てくる充実の一冊となっています。

テクノロジーが支配する世界を目前にして、起こり得る危険な未来像を世間に知らしめる重要なツールとしてSFが挙げられている点はなかなか興味深いと感じました。いくつか参照されている文学作品が有りましたが、「すばらしい新世界」(オルダス・ハクスリー著 光文社)が面白そうだったので読んでみました。ジョージ・オーウェルの「1984年」ではビッグ・ブラザーの支配する、自由の無い、イメージ通りのディストピア世界が表現されていますが、「すばらしい新世界」では人々は全く不幸や不安を感じず、一部の人を除いてとても幸せそうに、楽しそうに暮らしている点で、一見あからさまなディストピアではないように見えます。ところが実際は、人々はいくつかの階級に自動的に分けられ、階級毎に与えられた仕事に満足するよう洗脳教育され、それでも心に不安が生じそうになる際は〈ソーマ〉という、副作用無しに酒と麻薬の両方の効用を得られる錠剤を服用して不安を無かったことにする、という人間性を徹底的に否定し尽くした究極のディストピアが描かれているのです。

歴史や科学的知識も封印されたこの閉じた世界に、なんと禁書となっているシェークスピア全集で言葉を覚えたという野蛮人保護区の住人が紛れ込むことで、〈文明〉と〈野蛮〉の世界が交わって次第に波紋が広がって物語が展開して行くことになります。

この野蛮人が自分の感情をシェークスピア戯曲の名台詞で表現しようとする部分は何とも言えず面白いですし、支配者ムスタファ・モンドとの問答の中で、「苦しみ、不幸になる権利すら私は求める」と言い放つくだりでは、人間存在の本質について大いに考えさせられます。「21lessons」とシンクロする内容も多いので、この二冊はぜひセットで読まれることをおすすめします。

同年代のランナー友人から、中途覚醒は中年病だから仕方ない、彼も時に起きている、という話を聞き、安心したような悲しいような気分になりました(苦笑)。確かに会社の先輩で会議で寝ている人をたくさん見たような気もしますが、異動したばかりですし、もう少し昼間にも活躍したいので、少なくとも時ぐらいまでは寝られるよう悪あがきしてみたいと思います。何かupdate有ればこのブログで報告しますね。ブログの趣旨変わってますが(笑)。

投稿者: 金次郎

読書が趣味の50代会社員です。

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