ディストピア小説「日没」は桐野夏生版の「1984年」!

英会話の授業の中で使うマテリアルとして、日々のニュースを題材とするものがあるのですが、通常は読むことの無い海外のニュースを見ていると結構心に引っかかる内容のものがあります。

例えば、小学生のクラスでの人気は生まれ月が早ければ早いほど高い、という薄々気づいていたもののはっきり言わないでよと思う統計データの紹介などです(笑)。愛想が良くて良心的に振る舞う生徒に教師がより高い成績を付ける傾向が強い、という微妙な研究結果の紹介もその類ですね。ちなみにそのニュース内ではナルシストの生徒は嫌われ者だが成績が良い傾向にある、とも書かれていてちょっと笑いました。

また、ルーマニアでは小説「吸血鬼ドラキュラ」の舞台となった古城がワクチン接種センターとなり、吸血鬼デザインのユニフォームを着た医療従事者がワクチンを打ってくれる上に、城内にある〈拷問部屋〉に無料で入れる特典までついているようです。わりとシュールで好きですが、そんなことでワクチン接種が喚起される気は全くしませんね(笑)。

このように基本的には気にはなるけど役には立たないトリビア的なものが殆どで、どうやってニュースを選定しているのかの方が寧ろ気になりますが、時々面白いものもあります。

中国では、今年1月から離婚届を二度提出するシステムが導入されたようで、一時提出後30日経過した時点で二次提出をしてreconfirmをしないと離婚が無効になる仕組みになっているとのこと。面白いのはなんとこの〈クーリングオフ〉制度を導入して以降離婚数が72%も減少したとのデータで、これまで離婚がいかに感情の勢いで実行されていたかが分かって興味深いです。冷静に考える時間が持てて良かった、というポジティブな意見がある一方で、生き地獄が30日余分に続いただけ、という悲しいコメントも紹介されていて悲喜こもごもの様子がうかがえますね。中国政府は最近権力集中=独裁の度を強めていますので、こういう制度ができるということは政府が離婚を望んでいないのではないか、という忖度から離婚数が減少した、と考えるのは穿った見方過ぎるでしょうか。

最後にもう一つ、米国アラバマ州では保守的キリスト教徒の反対により長らく公立学校でヨガを取り入れることが禁止されていたとのことです。最近はマインドフルネスの流行もあり、健康に良くストレス解消にもなるヨガが漸く取り入れられるようになったものの、エクササイズの名将は全て英語とする、〈オーム〉や〈ナマステ〉などの言葉を使ってはいけない、親はヨガがヒンドゥー教の一部であることを理解していることを示す文書に署名する必要がある、催眠術や宗教的トレーニングなどをヨガのクラスに含めることはできない、などのおよそ理解に苦しむ規則の順守が義務付けられているそうで、米国のかなりの部分の人が宗教的保守派層に属していることを改めて実感させられる情報でした。

上にも書いたように、中国はジョージ・オーウェルの「1984年」的なビッグブラザー国家に向かっている気がしてなりませんが、まさに「1984年」を彷彿とさせるディストピア小説を読んだので紹介します。その本とは桐野夏生先生の「日没」(岩波書店)です。金次郎は読書初心者の頃、大変申し訳ないことに桐野先生を勝手にオジサンだと思い込み、「路上のX」(朝日新聞出版)を読んだ際に、なんでオジサンがJKの気持ちを不安定さとか未熟さとか真っ直ぐさとか含めて、こんなに鮮やかにリアルにぎりぎりの筆致で描けるのだろうと驚愕してしまっておりましたが、後になって女性だったと知り恥ずかしいというか、あの驚きを返してくれという気分になったのが第一印象です(苦笑)。その後、直樹賞作の「柔らかな頬」(講談社)も読み、人間の弱さの表現に改めて感服すると共に、結果的に共感しづらい嫌な奴がたくさん登場し、読後になんとも言えない気分になる桐野作品の傾向もしっかりと理解しました。

そこで「日没」ですが、この世界の現実をありのまま、自分が心を動かされるままに表現しようとする作家マッツ夢井が、その作品を政府機関の文化倫理委員会に不適切と判定され、他の作家と共に研修所という名の療養所というか強制収容所に閉じ込められる、という表現の不自由問題を描く内容で、そんな未来は絶対にやってこないと言い切れないところが不気味さのレベルを一段階上げていると思います。

上記の通り過去の読書体験から桐野作品を読むにあたり、それなりに重苦しい気分は覚悟していたものの、〈いい人〉がほとんど出てこない、本当ににやにやと冷笑的でハートの無い、嫌な奴、汚い奴ばかりが出てくるお話で、しかも内容は絶望的に不条理ときているので、読みながら気がどんどん滅入っていきます。それなのに、どうしても読み進める手が止まらない凄まじい吸引力は、この孤独な作家マッツ夢井が何度も希望を打ち砕かれ心を折られながらも、自らの創作にかける信念、すなわちこの世界の不条理を正面から描くことでその不条理に抗うことこそが創作の神髄であるとの真摯な思いを、まさにこの収容所での抵抗を通じて貫こうとする姿勢に心を打たれるからではないかと思います。

近くにいたら絶対に仲良くなれなさそうなマッツさんにここまで感情移入してしまうとは、ちょっと自分でも驚いた読後感でした。作中でマッツさんが研修の名のもとに書かされる小説「母のカレーライス」がどんどん過激な内容になっていく様子が印象的でしたが、このお話の続きが本当に読みたいです。桐野先生の考える〈作家観〉や〈創作とは〉の本質が垣間見える、小説の力が人々の心を動かした時代への強い思いを感じる作品でした。辛いですがおすすめです。

「銀花の蔵」(遠田潤子著 新潮社)は人間のどろどろした業の深さを描くのが巧みな遠田先生の直木賞候補作です。タイトルからは溌溂とした女の子が逆境に負けずその持ち前の明るさで周囲の人を味方につけ、前向きで幸福な人生を送っていく、という朝ドラ的「○○(=女の子の名前)の ××(=活躍する場所)」のイメージを思い浮かべますが(金次郎だけ?)、本作はそういうつもりで読むと、映画「いまを生きる」(おじいちゃん先生の感動話)を借りようとして「生きるために」(アウシュビッツの暗い話)を借りてしまい悲惨な気分になった経験を持つ金次郎のようにギャップに苦しむことになります。

醤油蔵のお話なのですが、正直醤油は話の本筋とは殆ど関係無く、タイトルには入っているものの蔵もそこまで重要でもなく、ひたすらすっきりしない人間関係にまつわるあれこれが描写され続けます。それならつまらないのか、というとそんなことは全くなく、全ての登場人物が背負いきれない業を抱えながら否応無く押し寄せてくる人生の荒波の中を少しでも頼りにできるものを見つけそれを信じることだけを支えにどうにかこうにか生きている姿は、無様だけれどそこには生の生々しい手触りが有って、生きることの意味をなんとなく教えられたような気分になり感動もする秀作です。「紅蓮の雪」(集英社)でも感じましたが、遠田先生は血のつながりに関連する濃密な人間関係に相当なこだわりをお持ちのようです。こちらは大衆演劇のお話なので、そういうのが好きな人にはおすすめです。

前回のブログの最後に「世界標準の経営理論」について次回は書く、と調子に乗ってしまったのですが、メモだけでもかなりの量になってしまい、現在メモをまとめ直しております。来週こそ頑張って書きます!すみません。

 

投稿者: 金次郎

読書が趣味の50代会社員です。

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