知念実希人先生の最高傑作ミステリー「硝子の塔の殺人」を堪能

今週定期健診で大学病院へ行った際に、次々と呼ばれる患者さんの名前を聞いていて、最近気づいた歴史についての情けない認識違いを思い出したのでそれについて書こうと思います。

その誤解とは、明治時代まで武家や公家、一部の有力農民を除いて日本人には名字が無かったというものです。なんとなく、そのように歴史の授業で習ったとの記憶をそのまま無批判に受け入れていたのですが、それが事実だとすると、明治になって一斉に人口の大半を占める農民が名乗り始めた名字の、一説には30万種有るとされる多様性に説明がつきません。

また、いかに日本最強の一族とはいえ公家であり人数的には限られている藤原氏関連の名字とされる佐藤さん、伊藤さん、加藤さんなどが名字ランキング上位に入るのはやはりおかしく、ボリュームゾーンを構成すると思われる農業関連とおぼしき小田さんとか山田さん、上田さんなどが日本中に溢れているはずです。

以前よりこの点は若干気になってはいたのですが、とりあえず名字ランキングワンツーを占める佐藤さん、鈴木さんについては、佐藤さんは「藤」原氏を補「佐」したことに由来するので数が多い、鈴木さんは、鈴木=ススキ、で稲穂や農機具に由来しており、よって農民層が明治になってこぞって鈴木姓を名乗った、との勝手な整理でぎりぎり辻褄が有っているということにして深掘りせずに済ませてしまっておりました。

ところが、ふと思い立ち調べてみると、佐藤さんは藤原氏そのものが左衛門尉などの官職名や佐渡や佐野などの任地名と合わせて名乗ったものとされていて、鈴木さんは稲穂に神が宿った状態を表すススキ(=鈴木)に由来していて熊野神社とその分社に関連する人々が名乗った名字とあり(本家は稲穂を積み上げた様子を表す穂積さんだそうです)、だいぶニュアンスが違っていることが分かりよく調べなかったことを反省しました。ちなみに伊藤さんは伊勢の藤原氏、加藤さんは加賀の藤原氏というのがその由来だそうです。

ただ、由来が明らかになっても、依然多数を占めている名字と農民の関係がいまひとつ整合的でないので、これは、もしかしてそもそもの前提がおかしいのではないかと思い更に調べてみると、やはり明治になるまで一部の特権階級を除いて日本人に名字が無かったわけではなく、名字的なものはあったがそれを公に名乗ることが許されていなかった、というのが正しいと分かり、間違っていたのは恥ずかしかったものの、ようやくすっきりと納得することができました。

(しかも禁止されていたのは1801~1870年の69年間のみでした!)

その名字的なものは、自らの領民の一部に領主が自分と同じ名字を名乗ることを許す習慣や、佐藤荘の太郎のように荘園名+名前で呼称していたものの荘園名の部分が名字化するなどのプロセスを通じて定着していったようで、荘園時代にその原型が構築されたとすると、佐藤さんや伊藤さんの上位進出も頷けます。ちなみにランキング上位の高橋さんは神様の世界に繋がる高い梯子に由来しており、大きくくくると鈴木さんと同じ成り立ちになるようです。

この大きな構造に、細かい地名や職業に由来する少数名字が加わって30万種を構成しているのだと思いますが、鍛冶屋を表すSmithさん、粉屋のMillerさん、仕立て屋のTaylorさん、目や髪が茶色でBrownさん、のような職業や見た目重視の名字が多い英米との違いを感じます。Johnsonさん(Johnの息子)、Jonesさん(Johnの息子)、Williamsさん(Williamの息子)、Davisさん(Davidの息子)、Wilsonさん(Williamの息子)のように~の息子を意味する父称が名字になっているのも欧米の特徴で、これはヒョードルビッチやイワノビッチでお馴染みのロシアの父称と同じ構造ですね。

さて本の紹介です。前回のブログで未読本としてタイトルのみ紹介しましたが、早速読んだ「硝子の塔の殺人」(知念実希人著 実業之日本社)がやはり超おすすめでした。雪深い森にたたずむ美しい硝子の塔、ミステリーマニアの大富豪によって集められた作家、霊能力者、刑事、医師、名探偵といったクセのある登場人物の面々、立て続けに発生する密室殺人、過去の連続殺人の謎などなど、本格推理の要素が詰まりに詰まった著者渾身の作品です。とにかく先行ミステリー作品を徹底的に研究した上で練られた巧みかつ新鮮なトリック、二重三重に組み上げられた精緻なプロット、どんでん返しが来ると予想していても衝撃を受けるラストと日の打ち所の無い内容で、全編を通じてミステリーうんちくが鏤められているところもマニア心をくすぐります。できの良いミステリーはとにかく紹介文を書くのが難しく、本作についても内容には1ミリも触れられないほど伏線が張り巡らされておりますので、先ずは騙されたと思ってぜひご一読いただければと思います。しかし、恐らく本屋大賞にノミネートされると思いますが、本作を何位に予想すべきか、今から非常に悩ましく、せっかく治った不眠症が再発しそうです。

「新任警視」(古野まほろ著 新潮社)は元警察庁キャリアである著者が実体験をベースに知られざる警察内部のルールや不文律をふんだんに盛り込み、非常にリアルに公安警察VSカルト教団の抗争を描いたサスペンスミステリーで、これを読んでしまうと設定の甘い警察小説が読めなくなってしまうと不安になるほどの完成度です。全警察官の中に所謂キャリア組はわずか0.2%しかいない、警察庁から各都道府県に設置されている警察本部に出向する際は国家公務員を一旦辞職して地方公務員になる、生安・刑事・交通・警備という4専務(専門性によって区分された警察内の主要領域)のパワーバランス、上官の部屋を訪れる際のしきたりなど非常に興味深い情報もあり、中でも公安の中の秘密組織的な存在についての記述は他の内容にリアリティがあるだけに、この組織も本当に実在するのだろうか、とわくわくしながら読み進められました。やや詳細が書き込まれ過ぎているきらいがありボリュームが多くなっていますが、謎もしっかりしていますし、どんでん返し的な展開も含まれており、飽きずに最後まで読み切れると思います。ノンキャリア警察官のライフサイクルや地方警察本部の組織や仕組みを解説してある「警察官の出世と人事」(古野まほろ著 光文社)と合わせて読むと更に理解が深まると思います(笑)。警視というとかなり偉い雰囲気ですが、官庁の階級としては課長クラスということで(それでも十分偉いですね)、ちょっとイメージと違いました。交番のお巡りさんを見る目が変わってしまいそうで心配です(笑)。

ハルキ先生の「1Q84」を全2冊と思って読み始め、ようやく読了と思ったら600ページのBook3が有ると知って驚愕し、先日よろめきつつ全巻制覇いたしました。まだ消化しきれておりませんので感想は次回以降に。

 


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投稿者: 金次郎

読書が趣味の50代会社員です。

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