沖縄返還から50年、金次郎生誕からも50年

日本語には音読みと訓読みが有るのは知っていましたが、音読みの中にも呉音、漢音、唐音などの種類が有ると最近知りましたので紹介します。これらは、同じ漢字でも中国から伝わった時代によって発音が違ったことに起因した差異のようで、「明」という漢字の読みのうち「みょう」は呉音、「めい」は漢音、「みん」は唐音となるようです。伝わった元となる中国語の発音が時代と共に変化したことが日本語の漢字の音読みが複数存在する背景ということですね。そして、日本語の熟語の読み方のならいとして基本的には全て呉音なら呉音で、漢音なら漢音で統一する、というルールが有るそうで、「男女」は「なんにょ」(呉音・呉音)、あるいは「だんじょ」(漢音・漢音)とは読んでも、「だんにょ」や「なんじょ」とは気持ち悪くて読めそうにないということからもご理解いただけると思います。ここで紹介したいのは、この法則に当てはまっていない奇妙な日本語が有る、という話なのですが、その言葉とはなんと我が国の首都を表す「東京=とうきょう」!「東」の読みが漢音の「とう」しか無いため本来「東京」は「とうけい」(漢音・漢音)と読まれるべきで、確かに「京王=けいおう」や「京浜=けいひん」では「けい」と読まれています。これは、江戸を新たに東の京都という意味の東京に改名するにあたり、あまりにも庶民の間に「京の都=きょうのみやこ」という読みが定着してしまっていたために、「とうけい」ではなく「とうきょう」と読まざるを得なくなり、当時日本語にうるさい知識階級の方々は発音がどうにも気持ち悪くてご不満だったとのことでなかなか面白いエピソードだと思います。言われてみると東京はかなり新しい地名であり、その知名度の低さゆえに東京駅の呼称はぎりぎりまで中央駅が優勢だったそうです。当然のことながら金次郎がこんなことを知っている程博学なわけではなく、「東京の謎(ミステリー) この街をつくった先駆者たち」(門井慶喜著 文藝春秋)からの受け売りです(笑)。他にも我々の良く知る東京の色々な場所について、あまり考えたことの無い切り口で解説されていて大変面白い本なので是非読まれることをおすすめします。

日本語うんちくつながりでもう一つ。気付くと2019年の5月に元号が令和に変わってからはや3年が経過しましたが、この元号にも日本語の持つリズムの法則が有るという話です。過去250以上存在する元号は漢字二文字の組み合わせですが、うち7割が「平成」、「大正」、「慶応」のような①2拍+2拍のパターンで、2割強が「昭和」、「明治」のような②2拍+1拍の組み合わせ、「和銅」や「治承」のような③1拍+2拍の元号はわずか7%程度しか無いとのことです。しかも9割強を占める①と②の場合の語感は上記の例でも分かる通り「強弱強弱」あるいは「強弱強」といった日本語としてなんとなく心地よいリズムに従っているとの法則も見いだせるようです。日本語のリズムとして発音し易いというのは赤ちゃん言葉に「まんま」、「ねんね」、「ばぁば」、「じぃじ」のような「強弱強」のパターンが多いことからも分かりますが、赤ちゃんが「強強弱」の「ばばぁ」、「じじぃ」としゃべったらちょっと怖いですね(笑)。これらを踏まえると、初めて万葉集から選ばれた画期的な元号と取り沙汰された「令和=れいわ」でしたが、見事に②のパターンで「強弱強」となっており、しかも近代に入り「文久」から「平成」まではずっと①と②が交互に繰り返されてきており次が②の順番であったことから、言葉の響きとしては過去のルールを完全に踏襲した保守的な選択であったことが分かり面白いです。そしてこれも「日本語の大疑問」(国立国語研究所著 幻冬舎)からの完璧な受け売りです(苦笑)。この本では、「わかりみ」や「やばみ」、「うれしみ」などの若者ことばを真面目に研究したりしていてこちらも興味深い内容となっております。

金次郎の生まれた50年前の1972年は沖縄返還の年であり、当然今年は返還50周年で記念日の5月15日には様々な報道がされていました。最近、数世代前に沖縄からペルーに移住された日系人の方(現在は日本在住)と知り合う機会も有り、海外に渡った日本人に沖縄の方が多いことの背景が知りたかったこともあって、「高等学校琉球・沖縄史」(新城俊和著 集興亡東洋)を読んでみることにしました。当然と言えば当然ですが、奄美群島、沖縄本島、先島諸島で文化や習俗がそれぞれ異なっていることすらよく分かっておりませんでしたし、1429年の琉球王国成立後、1609年の薩摩侵攻を経て、中国と日本の間で上手くバランスを取りながら冊封の仕組みを活用した中継貿易で栄えていた琉球経済の詳細も知れて勉強になりました。要所要所で当時の様子を歌にした歌謡集である「おもろさうし」の解説がされているのも未知の文化に触れる感じで新鮮でした。

移民については、気候的に稲麦栽培に向かない沖縄で、更に換金作物で主食とならないさとうきび栽培が過度に普及してしまったため、急増する人口を食べさせるだけの農業生産力が不足していたところに、明治末期から昭和初期にかけての度重なる経済不況が直撃し〈ソテツ地獄〉と呼ばれる悲惨な食糧事情の出来に起因していたと知って驚きました。毒の有るソテツを充分な毒抜き処理をする間も無く食した人々が多数中毒で亡くなったという悲しい歴史を表す言葉ですが、このような窮乏状態の中でフィリピン、ハワイ、ニューカレドニアから北米及び中南米に亘る広範な地域にやむなく集団移住された沖縄の方が非常に多かったとのことで、迂闊な失言をする前にきちんと勉強しておいて良かったと胸を撫で下ろしました。教科書なので堅苦しく読み通すには気合いが必要ですが、この他にも悲しい差別の歴史や沖縄戦、米国統治時代についても詳述されており、学ばなければ自分の意見も持ちえないですし、通常の歴史観とは違う別の視点を持てるという意味でも一読して損は無い本だと思います。

さてちょっと柔らかい本の話です。「エミリの小さな包丁」(森沢明夫著 KADOKAWA)は、都会暮らしで恋愛と人の噂に深く傷つき、誰にも頼ることができずに15年ぶりに海辺のじいちゃんの家に逃げ込んだ主人公エミリの頑なに閉ざされてしまった心が、毎日シンプルにきちんと食べて規則正しく生きることを通じて少しずつ癒されていく物語です。枚挙に暇の無い「祖父母との暮らしに救われる孫」類型のお話ではあるのですが、フードヒールといえば小川糸か森沢明夫かというぐらいの名手である(他にももっといらっしゃいますね)著者が描くじいちゃんがこしらえる漁師ごはんの醸し出すパワーに完全にもっていかれ、読みながらよだれと涙が混ざり合うことになります。食欲は刺激され、心はデトックスで満足度は高いのですが、一点気になるのはこのパターンのお話は起承転結の転で祖父母サイドが死んでしまうという耐えられない苦しみを味合わされる恐怖に常に怯えながら読み進めねばならない緊張感をどうにかして欲しいところですね(苦笑)。この物語がどういう結末を迎えるかは乞うご期待です!

妻の股関節がだいぶ良くなってきて、先日遂に彼女の好きな音楽ライブに参戦することができました!ご心配、お気遣いいただいた皆様、本当にありがとうございました。心から感謝いたします。


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投稿者: 金次郎

読書が趣味の50代会社員です。

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