金次郎、アフリカ文学の原点である「崩れゆく絆」に感銘を受ける

うちの近所の人形町を散歩していたところ、なんとなく見慣れぬ工事現場が新たに出現していて、ここには以前何が有ったかなと思い出してみると、なんとあの親子丼発祥の地として有名な老舗鶏料理店玉ひでの場所でした。工事計画の詳細を見てみると、新たに12階建てのビルとして24年7月に生まれ変わるそうで、あのレトロなお座敷の雰囲気がどう変化するのかちょっと楽しみなような怖いような気分です。

玉ひでは1760年創業と260年以上の歴史を誇る名店ですが、最初は鑯さんと玉さんの夫婦で始めたお店で屋号は玉鑯(たまてつ)だったそうです。これが5代目の山田秀吉さんの頃に、玉鑯の秀さんという呼称が縮んで玉秀となり、現在の屋号である玉ひでとして定着したということで、玉子の玉じゃなかったことに驚きました(笑)。昼食時にできる有り得ない長蛇の列に並んでも食べたいと思わされる親子丼ですが、山田家が代々鷹匠として幕府に仕える一門であり、幕府御用達の高級店というプライドから、親子丼が考案された当初汁かけ飯は店の品位を落とすとして長らく正式メニューには載せてもらえなかったとのことで、破壊的イノベーションならではの抵抗勢力の存在が印象的な来歴でした。読書ブログ的に言いますと(笑)、玉ひでの親子丼はご近所出身の谷崎潤一郎先生がよく食されたことでも有名ですね。同じく人形町に有る老舗すきやき店の今半は、1895年に吾妻橋の牛鍋屋として創業し、その後浅草寺仲見世通りに店舗を移し今半本店を名乗り始めたとのことで、人形町の店舗はのれん分けによって独立した別法人だそうです。店名の由来は、創業当時に肉を仕入れていた国内唯一の政府公認食肉処理場が在った品川区今里町から今の字を、創業者の名前に因んで半の字を持ってきたとのことで、単純に今井半兵衛とかではなかったことがこちらもやや意外でした。またもや読書ブログ的には、永井荷風先生の作品に今半本店がよく登場するようですが不肖の金次郎は未だ作品中で出会ったことが有りません。水天宮前の交差点に有る今半の総菜部門の看板娘ならぬ看板おじいさんは雨の日も風の日もにこやかに大きな声で接客をされており、お店の傍を通るたびに元気をもらっていたのですが、最近姿が見えないのがちょっと心配です。どんな年代の女性にも「お嬢さん」と声を掛ける営業スタイルがこれまでうけてきたものの、もしかして昨今の行き過ぎたポリコレ傾向からセクハラ認定されてしまったのではないかと密かに懸念しております(涙)。ちなみに同じく日本橋界隈の老舗で日本初のフルーツパーラーを出店した千疋屋は日本橋の総本店と京橋千疋屋、銀座千疋屋が存在しており、創業は1834年、武蔵の国埼玉郡千疋郷のお侍が、現在の人形町3丁目近辺で果物(水菓)や野菜を売る店を始めたのが発祥とのことでこちらも歴史を感じます。フルーツパーラーを始めたのは銀座千疋屋ですが、金次郎夫婦はとにかくクリームが抜群に旨い日本橋総本店のいちごショートケーキがこのグループでは断トツのイチ推しです。勢いで日本橋の老舗を調べてみると、日本橋富沢町に本店の有るふとんで有名な西川(株)はなんと創業が1566年で断然歴史が古いです。創業当初は近江で蚊帳を販売していたとのことで、そこから寝具繋がりで成長を遂げたのか!と深く感銘を受けました。今半や千疋屋の例とは違って、西川はのれん分けで別法人となっていた東京西川と京都西川に逢坂西川を加えて2019年に再統合し改めて一つのグループとなったようです。それぞれ歴史が有って面白いですね。

さて本の紹介です。「読書会という幸福」(向井和美著 岩波書店)という30年に亘ってグループ皆で共通の課題図書を読み感想を語り合ってきた読書会にまつわるエッセイを読んだのですが、この本の中で着手せねばと思いつつ未読のまま放置していた古典の名著が多数紹介されていて、そんな心の積読の山に挑戦するモチベーションを高めてくれる有難い一冊でした。読書会を成功させるアドバイスが惜しげもなく提供されていて、漠然といつかは仲間と読書会をやってみたいなと感じていたところでしたので大変参考になりました。作品にツッコミを入れ過ぎず敬意を持って接するというメンバーに課されたルールは、月30冊というペースを維持する上で金次郎が気持ちを切らないために特に意識していることでもあったので非常に共感いたしました。紹介されていた課題図書の中で、これまで1ミリも知らなかった「崩れゆく絆」(チヌア・アチェベ著 光文社)という本に興味を惹かれ読んでみました。物語の舞台は1900年前後の西アフリカで、イボ人の集落であるウムオフィア村に住むオコンクウォという男が主人公です。アフリカ文学作品中で最も有名な登場人物とも言われるオコンクウォは、その勇猛さと強さで名をはせる一方、暴力的で頑迷、そしてやや口下手でコミュニケーションに難の有るキャラクターとして描かれています。ストーリーは、矛盾や歪みを内包しつつも長い間続いてきたオコンクウォらイボ人の伝統的な部族社会が、キリスト教と共にやって来た白人入植者によって瞬く間に揺さぶられ崩壊していく様子を軸に展開します。全体は序破急の三部構成となっており、第一部はウムオフィア村の文化や生活様式と共にオコンクウォの人となりや野心などが描写され、第二部ではある事件で村外に流刑となってしまったオコンクウォの異郷での暮らしと忍び寄る植民者の足音が、そして第三部ではウムオフィア村のあっけない文化的崩壊が描かれます。全編を通じ、未開でも野蛮でもない一つの完成した社会としてイボ人の伝統的な生活を理解して欲しいというアチェベの思いがよく伝わってきますし、アフリカを完全な未開人の土地として描いたジョゼフ・コンラッドの「闇の奥」(新潮社)への批判としてもきちんと説得力有る対抗軸を提示できていると思います。また、懐古的にイボ人の社会を無垢で善良なものとして祀り上げるわけでもなく、その内包する問題点を植民者に付け込まれる要因として明示的に描く姿勢にも好感が持てました。これまで知らなかったことが恥ずかしくなる紛れもない名著だと思います。ちょうど直前に読んでいた「小説の読み方」(平野啓一郎著 PHP研究所)で物語の筋(プロット)を進める述語と、物語を動かすわけではなく主語を説明するために据えられる述語との違いに留意してストーリーの緩急を感じるべしと解説されていたのですが、第一部が正に緩、第三部が急という構造になっていて、そういう視点で読むと、ゆっくりと絶え間なく繰り返されてきたイボ人社会のペースと、せわしなく前進を希求する近代西洋社会のペースのコントラストを表現しようとした作者の意図にまで思いを馳せることができ、じっくり本が読めたと実感できる非常に嬉しい読書体験でした。

簡単にもう一冊だけ。「武漢コンフィデンシャル」(手嶋龍一著 小学館)は、なぜコロナ禍は武漢から始まったのか?という謎を、9・11を巡る米国の政治的思惑や英米諜報機関の暗躍に、中国革命の地であり国共内戦の要衝という中国現代史における武漢という場所の位置付けを絡めて紐解いていく壮大な歴史インテリジェンス小説です。あちこち話が飛び筋が追い辛いのがやや難点ですが、大きな歴史の流れの中で様々な事柄が実は深いところで繋がっているという事実を感じられるなかなか刺激的な本でした。よく調べていませんがシリーズもののようなので先行作も読んでみたいと思います。

来週は4回目のワクチン接種予定なので副反応が出る場合は投稿が不規則になるやもしれません。そうならぬようこれを書きながら早くも翌週の構想を練り始めましたが(真面目)、本当にネタが無く死にそうです。得意の替え歌を披露しようかとも思いましたがややテイストが異なるということで妻に却下されました(涙)。


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投稿者: 金次郎

読書が趣味の50代会社員です。

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