金次郎、43年前のピカピカの一年生時代を思い出す

4月は入学の季節ですが、この機会に43年前に金次郎が晴れてピカピカの一年生になった頃のことを無理矢理思い出してみようと思います。当時は父の仕事の都合で故郷の福岡を離れ、縁も所縁も無い岡山県岡山市に住んでおりました。後になって地理で勉強して改めて実感したのを覚えていますが、岡山の天気は瀬戸内式気候そのもので温暖且つ雨が少なく非常に過ごしやすかった記憶が有ります。おまけに梨、桃、ぶどうなどのフルーツが豊富で入手し易く、裕福ではなかった我が家の食卓も食後のデザートには不自由していなかったようにぼんやり思い出します。こうして書いていると、随分昔の話でこれまで殆ど忘れていた記憶が少しずつ蘇ってきて不思議ですが、アパートの屋上に皆で集まって夏に打ち上げ花火を見たこと、父に後ろを支えてもらって初めて補助輪無しで自転車に乗れたこと、友達の家の前の広場でたくさん取ったバッタをカマキリと同じ虫かごに入れてしまったらみんな食べられていて悲しかったこと、裏路地の駄菓子屋や通学路の豆腐屋の風景などが結構鮮やかに浮かんできました。福岡で過ごした高校までの記憶がスカスカであまり思い出せず、妻によくどういう少年期を送ったのかと不審がられるのですが、6~7歳の時期にたった2年しかいなかった岡山のことをこんなに覚えているとは我ながら意外でした。

小学1年生の担任をしてくださったのはA山先生というとても優しい女性の先生でしたが、先生は津山というかなりの遠方から通われており、毎日遠くから大変だと両親が話していた記憶が有るのですが、何の因果か金次郎の今の職場で津山に所縁のある仕事をしており同僚がこれからたびたび当地を訪問することになると思います。津山市の人口は約10万人と意外に多く、A山先生の消息に辿り着くことはないでしょうが、お元気でおられることを祈念しております。小学校では初めて食べた給食のアイスクリームチーズケーキが体に合わず3日間ほど寝込んだり、後ろの席のM岡君から背中を鉛筆でブスブス刺されて辛かったりと(今でもその跡が残っている)、あまり良い思い出は無いですが、40年ぶりにY山さんという女子に初恋をしたことを思い出しました。彼女の制服姿が子供心に可愛く見えた金次郎少年でしたが、現在とまるで違って大変シャイだったため殆ど会話をすることはできなかったように思います。懐かしい。しかし、何と言っても岡山の一番の思い出は美しい旭川の川辺を母と妹と散策し、四葉のクローバーを探したり、春につくしを摘んだりしたとても穏やかで優しい情景の記憶です。岡山城の遺構が有って、素晴らしい庭園である後楽園のすぐそばを旭川が流れるあの風景は心に沁みる情緒が有り、特に夕暮れ時の眺めは、忘れてましたが、懐かしい原風景として脳裏に焼き付いております。できることなら改めて眺めてみたいと強く思いますが、半世紀近く昔の記憶ですので、色々と変わってしまっているのでしょうね。

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