辻村深月先生、勝手にお誕生日おめでとうございます!

本日やや偏頭痛がしてコロナウイルスが脳に到達したか?!と非科学的な妄想に捉えられそうになりましたが、一日安静にしていたらだいぶ調子が良くなりひと安心。このブログを書く気力も少し湧いてきました。

万全でないわりにちょっと話がややこしくなってしまうのですが、先日このブログで書きました文学少女(春から中学生!)への次なる紹介本を選ぶ枠組みと言うか基準を定めるために、 中学生向けの本のことならこれ以上の適任はいないと思い、 読書家として有名なかの芦田先生に頼ることにしました。

妻に「ライバルだったんじゃないの?」とあきれられましたが、 向こうの方が収入もきっと多いし、先生が生まれた瞬間から既に負けていた気もするので問題無いと、 大人としてのプライドをあっさり捨て去って「まなの本棚」(芦田愛菜著 小学館)を拝読させていただくことに。

この本自体は、どこまでが計算なのかは計り知れませんが、少し大人びた中学生的な仕上がりになっており、改めて有名子役恐るべしと感服させられる内容です。 古今東西の様々なジャンルの本が紹介されていて偏りが無く、読書そのものが好きなことがよく分かり、この点では非常に共感するところです。

先生はまだ中学生ということもあり(中身は35歳ぐらいかもしれませんがw)、 今のところ続きが気になってページをめくるストーリーフォロー型の読み手のようですが、金次郎の憧れるコンテキスト分析型読み手の素養もお持ちで、再び大人げなく嫉妬の念を禁じ得ません(苦笑)。

金次郎の嫉妬はさておき、この本の中で芦田先生が辻村深月先生の大ファンであり神と崇めていると知り(対談もされています)、そう言えば代表作の一つである「ツナグ」を読めてなかった間に、続編である「ツナグ 思い人の心得」が出たんだったと思い出し、先ずはこの2作を読了。

そこで何気なく目に入った著者紹介に、なんと1980年2月29日生まれ、とあります! 閏年の2月29日生まれの人は誕生日頻度低くて可哀そうだと思っていたのですが、こんなところにいらっしゃるとは!

周囲では見たこと無く、この機会に調べてみると、辻村先生の他には峰竜太さん、飯島直子さん、吉岡聖恵さん(いきものがかり)と誕生日占い的な傾向は見いだせず、強いて言うなら癒し系か?いや違うか?w

まぁとにかく辻村先生、ついでに峰さん・飯島さん・吉岡さん、おめでとうと言うことで既読の作品を何冊か紹介させて頂きます。ようやく読書ブログの趣旨に辿り着きました。だらだら書いてすみません。

「かがみの孤城」(ポプラ社)

非常によく練られたプロットが印象的ですっきりとした読後感の本屋大賞作です。 最後の部分を詰め込み過ぎと捉えるか、緊迫感を演出する終盤の勢いと捉えるか、は人それぞれと思いますが、 単純でない〈不登校〉問題を抱える中学生の心の揺れを繊細に描くために必要であった分厚い中盤の裏返しとも言えると思います。読みながら結構うるうるしてしまいますが、 鼻の奥がツーン、という表現の部分で実際そうなるので、感動とやられた感を同時に味わえる作品です(笑)。

「朝が来る」(文芸春秋)

小説の基本とはいえ、呵責無く追い込まれる主人公に感情移入してしまうとちょっと辛い気分になりますが、心ならずも子供を手放す親、養子とした子供を必死に育てる親、それぞれの姿を描き、 人は如何にして親に〈なる〉のか、という重いテーマに淡々とした筆致で挑戦した新井賞も納得の感動作です。ただ、エンディングの唐突感をどう捉えるか、については意見の分かれるところかもですね。

◆「冷たい校舎の時は止まる」(講談社 上巻 / 中巻 / 下巻

この本は著者デビュー作の大長編ミステリーで、 6年以上かけて構想・執筆されただけのことはあり、 創り込まれたプロットは非常に匠みで読み応え有ります。

ややファンタジー寄りの内容で〈本格〉ではないポジショニングも、 盛り込まれたサプライズも、 その後の作風の萌芽を思わせる部分が多く、デビュー作を読む楽しみを味わえる作品となっています。 高校生がメインとなる登場人物の繊細な心情描写や、自殺したのが誰でその動機は何か、というちょっと珍しい謎で最後まで引っ張る筆力はその後の辻村先生の大活躍を予感させるレベルの高さだと思います。

「傲慢と善良」(朝日新聞出版)

ジェーン・オースティンの「傲慢と偏見」の現代日本版。 恋愛、婚活、親子関係や人間関係の醜悪なリアルを突き付けられる内容でなかなかにエグいです。 オースティン版のような滑稽さは無くずっと高いテンションの切迫感が継続するので息つく暇無く読んでしまいます。

最終盤はやや焦った展開になったかな?と思ってしまう部分も有りますが、そこまでの怖さで十分楽しめますね。 直木賞作である「鍵のない夢を見る」(文芸春秋)に収録されている短編「石蕗南地区の放火」を膨らませて再構成している感じです。

「ツナグ」 / 「ツナグ 思い人の心得」(新潮社)

代表作とは分かりつつも、〈死者〉とこの世を繋ぐ〈使者〉を描くファンタジーというのが少し趣味と違ってなかなか手に取れなかった作品だったのですが、 意を決して読んでみると、自分でも意外なほどあっさりとそのファンタジー設定を受け入れられ、登場人物に感情移入させられてしまうので驚いてしまいました。

〈失ってはじめて気づく大切なものへの思い〉でもなく、再会に向けた〈気持ちを整理するプロセス〉でもなしに、ターニングポイントは 〈人生は自分が全く気付かぬうちに、周囲の様々な人の思いに支えられていること〉に思わぬ形で触れた時に訪れる、という構成が、 ままならない人生の理不尽と、 それを受け入れて一歩を踏み出す決意の潔さ、 といっう好きなテーマとあいまって、結果としてお気に入り度が高い作品となりました。

「凍りのくじら」(講談社)

辻村先生のドラえもんと藤子F不二夫大先生への愛情が詰まりまくった少し不思議な物語です。小説のテーマとしてはありがちな、自分というものを掴み切れず持て余す若者の不安定さを存分に描く内容で、主人公である理帆子のコミ障でとても危い雰囲気に、かなり感情移入が難しく、その他にも微妙な登場人物が多数出てきてそのカオスぶりに読むのをやめてもおかしくなかったわけなのですが、それでも最後まで、しかもそれなりに没入して読めたのは、ひとえにドラえもん&藤子Fワールドの強固な世界観のおかげです。

ドラえもんの世界を愛している主人公と読み手は記憶の中の藤子ワールドで確りとつながり、彼女を突き放すことなどもはやできない共感が芽生え膨らんで、 最期はのび太に惜しみなく注がれる愛情に包まれるかのようなカタルシスをも共有してしまう、といういつもと少し違う読書体験になります。 辻村先生が映画ドラえもんの脚本を手掛けられたというのも納得の内容ですね。

コロナウイルスのせいでコロナビールの株が売られている、と聞き、確かに小学生の頃はウイルスをビールスと呼んでいたので、コロナビールスとコロナビールは類似してしまっている、とdad joke(最近海外でも新語として辞書に登録されたそうです!)世代の中年としては少し胸がざわつきましたが、株価を見ると世の中なりに15%程度下がっているだけだったので、縁もゆかりもない運営会社であるConstellation brands Inc.に勝手に安堵した週末でした。

投稿者: 金次郎

読書が趣味の50代会社員です。

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