今年読んだ本の中で一番のおすすめ「遺伝子―親密なる人類史―」を紹介

先週発表された直木賞作の「少年と犬」(馳星周著 文芸春秋)を早速読んだのですが、選考委員の宮部みゆき先生も「動物ものはずるいよー」と仰っていた通り、ノアールの巨匠馳先生の作品としては若干微妙な内容だったかなと思います。犬の多聞を軸にした連作短編なのですが、それぞれに描かれる〈死〉に必然性が無く、それは大震災の犠牲者の方々が直面したであろう理不尽な〈死〉が意識されているのだろうとは思うものの、どうもつながりが見えにくい。。。犬と大震災を描く、というところから発想された物語で、上手く落とせなかったという感じですかね。「三つ編み」に続いて新井賞を取ったレティシア・コロンバニ先生の「彼女たちの部屋」(早川書房)が未読なのでこちらを楽しみにすることにします。

「遺伝子―親密なる人類史―」(シッダールタ・ムカジ著 早川書房 上巻下巻)はグレゴール・メンデルとチャールズ・ダーウィンに始まる遺伝学の歴史、現在遺伝子について解明されていることと遺伝子関連技術を使ってできるようになったこと、そしてこの技術の将来の可能性と課題について書かれた最高に面白い科学ノンフィクション作品です。これまで何冊か本を読んで断片的に頭に入れてきた遺伝子の構造や機能、それが作用する仕組みについて、統合的に理解するための軸を通してくれる内容で今年読んだ本の中で最も役に立つ一冊でした。ビル・ゲイツ絶賛というのも頷けます。と偉そうに言いつつ、よく理解できない部分も有り二度読んだのですが(苦笑)。

 

興味を惹かれたポイントが多すぎて全く書ききれませんが、細かく生物種を分類することがメインストリームであった生物学が遺伝子という基本構造を探求し始めた20世紀前半に、同時期に同じようなテーマである物質の基本構造の解明という点で多くの発見を成し遂げた理論物理学者(エルビン・シュレーディンガーやジョージ・ガモフなど)から影響を受けていたという逸話や、何と言ってもワトソン/クリックによる二重らせん構造の発見にまつわるエピソードは臨場感が有って素晴らしい。また、遺伝子型+環境+偶然=表現型、というメカニズムについての解説も丁寧で分かり易いですし、人種という区別やgenda identityに対する偏見が如何に無意味であるかについて科学的に徹底的な厳密さで記述し、消極的・積極的を問わず優生学あるいはそれに連なる思想を完全否定して、ポストヒューマンに向かいかねない未来に警鐘を鳴らす姿勢は一貫していて胸のすく思いです。漠然と抱いていた〈正常〉、〈障害〉という表現に対する違和感も、疾患とは環境に対するミスマッチでしかない、とのクリアな解説で氷解しましたし、どんなに普遍性や永続性といった社会通念上の〈正常〉イメージとかけ離れていたとしても、多様性や変異、流動性こそが人間の進化を駆動する〈あるべき姿〉であるとの説明には深く肚落ちすると同時に、歪んだ部分が有るかもしれないという視点で自分の考えを改めて見つめ直さねばとも思います。最近何かと話題のPCR(ポリメラーゼチェインリアクション)を使ったDNAの培養も出てきますし、歴史好きには興味の尽きないミトコンドリア・イブ、ホモサピエンスによる出アフリカ、ネアンデルタール人との交配(現生人類の遺伝子の2.7%はネアンデルタール人由来!)にも言及されておりバラエティに富む内容です。また知識としてはよく分かっていなかったエピジェネティックについても〈オランダの飢餓の冬〉についてガリガリに痩せていたオードリー・ヘップバーンのエピソードと共に解説されておりよく分かりました。文句無しにおすすめの本です。

歴史について少し触れましたが、「ゲノムが語る人類全史」(アダム・ラザフォード著 文芸春秋)は歴史的事実を遺伝学的視点で解説してある、こちらもなかなか面白い本です。名家や血筋とよく言われますが、現在のヨーロッパ人は誰でも皆シャルルマーニュ大帝やバイキングの血を引いた子孫と言えるとか、ハプスブルグ家は族内婚による病疾で滅ぶべくして滅んだとか(肖像画に特徴的なハプスブルグ家代々の長い顎は有名ですね)、悪評高いプランタジネット朝最後の王であるリチャード3世は死んでから遺伝子解析によって身元が特定された最古の人類であるとか、色々と興味深いことが書いてあります。迫害されていたロマ族(黒髪)が金髪の子供を連れていたので誘拐の汚名を着せられがちであったという歴史的事実について、遺伝的にロマ族は成長するにつれて金髪から黒髪に髪の色が変化する傾向が有り、その特徴と偏見が誤解を生んだ、というのはなんとも悲しい話でした。こちらの本にもネアンデルタール人、オードリーヘップバーン、鎌状赤血球、ハンチントン舞踏病と遺伝子を語る上で欠くことのできないテーマがたっぷり登場します。以前読んだものの中では、「ゲノムが語る23の物語」(マット・リドリー著 紀伊国屋書店)も非常に分かり易くまとまった本でおすすめです。

今週は遺伝子三昧でしたが、コロナも遺伝子技術で何とかならないものかと願ってしまうあたりまだまだ素人なのですかね(笑)

 

投稿者: 金次郎

読書が趣味の50代会社員です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA