金次郎はビジネスパーソンとしてちゃんとビジネス書も読んでいます

今回ちょっと長いのでいきなり本の紹介です。ネタ切れではありませんのでご心配なく(笑)。感想を書くのに骨が折れるのでやや敬遠気味でしたが、たまにはビジネス書的なものも紹介せねばと思い、どうせならと長らく積読となっていた「ティール組織:マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現」(フレデリック・ラルー著 英知出版)を気合で読んでみました。

この本は組織をその発展段階によって幾つかに分類した上で、現在その中でも最も進んだ形態であるとされる〈進化型組織〉に焦点を当て、その仕組みや優れている点について実例を挙げながら解説する内容となっています。

それぞれの発展段階にイメージカラーが付されているのが面白いのですが、原始時代の環境を受け入れるしかない狩猟採集を目的とする組織は〈受動型組織(無色)〉と規定され、呪術的な〈神秘型組織(マゼンダ)〉、そしてマフィアのような〈衝動型組織(レッド)〉と続きます。

現在の日本企業は〈達成型組織(オレンジ)〉から〈多元型組織(グリーン)〉への移行期という大まかなイメージですが、この本で紹介されているのは更にその先の形態である〈進化型組織(ティール)〉ということになっています。ティール色がどんな色かよく分からないので調べると青と緑の中間的な色のようで、何となく自然の多様性を穏かな精神で俯瞰するようなイメージの色かな、という印象です。

〈多元型組織〉への移行に四苦八苦している金次郎のような凡人には、より進んだ組織と言われてもなかなかピンと来ませんが、〈進化型組織〉を象徴する特徴は1.セルフマネジメント、2.全体性(フォールネス)、3.存在目的、ということで、簡単に言うと、ノルマも戦略もリーダーもない少人数のチームの集合体として構成される組織が、組織の存在目的だけを羅針盤に、完全な情報公開と助言システムを活用して、ひたすらに目的達成を追求する、ということのようです。利益や成長が一義的な目標とされておらず、もう一段高い存在目的のレベルで組織の在り方を考えており、営利企業にも非営利組織にも活用可能、株主利益至上主義でなくスチュワードシップに対応している、という点でなんとなく最先端感は出ています。

とは言え、よくありがちな、組織としてのあり姿(~であるべき)も無く、コーポレートスタッフ部門も極小化された組織がどうやって上手く機能するのか、日々組織目標、戦略、リーダーシップにがんじがらめに縛られている金次郎には理解、納得しきれない部分も多いのですが、多数の具体的成功事例が挙げられていて全くの想像上のお話でもなさそうです。

仕方が無いので分からないなりにじっくり読み進めると、未来をコントロールできるかのような幻想は捨てろ、組織はリーダーの発達ステージを越えて進化することはできない、自分の内面に光を当てることが重要、集団的知性としての助言システムの有効性、対立軸を超越することでより高いレベルの真実に到達できる、などの頷ける内容も多く有り、〈進化型〉が単に進んでいることを意味しているわけではなく、ダーウィンの適者生存という進化の法則に従った組織形態であることが分かってくると、うっすらと趣旨が理解できたような気がしてきました。特に印象に残ったのは、よく馬鹿にされる自転車操業ですが、ここでは、倒れる前にこぐ、という意味ではなく、柔軟かつ機動的に、瞬間瞬間の行動を決めるダイナミックステアリング(動的運営)の比喩として自転車が例示されていた点で、とにかく動いてから考える、という最近自分が仕事で指針としている行動様式に合致していて感銘を受けました。

一読しただけで完全に理解できたわけではありませんが、分からないものを切り捨てることなく、どんな問題もそれを生み出した意識レベルのままでは解決できない、という本書で紹介されているアインシュタインの金言を思い出して変化に挑戦しよう、と思った週末でした。

懸念した通り、やはりビジネス書の解説は長くなってしまいましたが、もう少しだけ紹介です。

「京都寺町三条のホームズ15 劇中劇の悲劇」(望月麻衣著 双葉社)、はエラリー・クイーンの名作中の名作である「Yの悲劇」(KADOKAWA)を下敷きとした番外編でしたので、本家と連続で読みました。並べて読むと本家の重厚さ、レベルの高さがよく分かります。もう15巻目の「京都寺町~」シリーズですが、ファンの方には申し訳ないものの、そろそろ完結でもいいのかな、と正直思った一冊でした。

芥川賞候補となった「赤い砂を蹴る」(石原燃著 文芸春秋)は、太宰治の孫として話題になった石原先生のデビュー作ですが、中編にも関わらず日本とブラジル、過去と現在を行き来するストーリー展開がやや複雑で、この感想を書くために二度読みました。

女手ひとつで自分を育ててくれた母恭子の思いに上手く向き合えなかった主人公千夏ですが、それは弟の死に対する自責の念という苦しみから自分の心を守る必要に迫られ、〈鈍感〉という鎧を心にまとったためでした。そんな千夏が母の友人である日系ブラジル人の芽衣子と共にブラジルを訪れる中で、母同様に苦しんだ芽衣子の人生を追体験することを通じて、母親の死、そしてトラウマとなっている弟の死、をも乗り越え前を向いて進み始める、という内容です。

タイトルにもある〈赤い砂〉がブラジルの閉鎖的な日系人社会の象徴として描かれ、それがすなわち恭子が立ち向かった昭和日本の家父長制であったことを実感し、心を開放した千夏が世間にあらがって強く生きた母の人生を確信を持って肯定するに至る様子が丁寧に描写されていてなかなか深みのある作品だと感じました。大きく分けるとフェミニズム小説に分類されるのだと思いますが、〈世間〉に抗うという主題の部分はおじいさんへのリスペクトと感じるのは金次郎だけでしょうか。

書き終わってから思いましたが、「赤い砂~」は次回に回しても良かったですね。。。

投稿者: 金次郎

読書が趣味の50代会社員です。

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