金次郎の妻、猛暑に軽症熱中症で苦しむ

このところ連日の猛暑が続いておりますが、先日一緒に外出していた妻が少し気分が優れず動悸がすると不調を訴えておりました。その後なるべく涼しいところで過ごし水分もある程度は摂取していたのですが、帰路の田園都市線の中で気分の悪さが頂点に達し、途中下車を繰り返しながらたまたま持っていたエチケット袋に嘔吐し続けるという悲惨な状況に陥ってしまいました。やむを得ず途中でタクシーに乗ったりしながら、想定の3倍ぐらいの時間をかけてようやく帰宅したのですが、OS-1を飲んでも体を冷やしても嘔吐は治まらず、そうこうしている間に手足に痙攣のような症状も現れ始め、顔面蒼白で立ち上がれなくなったことから流石にこれは熱中症で不味いぞと軽いパニック状態に陥り、50年の人生でもほぼ初めての119番に電話をかける事態となってしまいました。いよいよ救急車のお世話になるのかと漠然と考えながらコール音を聞いていたのですが、待てど暮らせど全く電話がつながる気配が有りません。ふと我に返り、これが世に言う医療崩壊か!とようやく実感し、緊急事態に救急車が来ないという状況の恐ろしさに直面し戦慄いたしました。ただ、無機質なコール音を聞いているうちに少しだけ冷静になり、週末夜間でも診てもらえる聖路加国際病院の救急外来に向かおうという正しい判断が働き、念のため事前に電話連絡をして来院OKとの確認を取り再度妻を抱えてタクシーに乗り込み土曜日の20時頃病院に到着しました。コロナ疑いの人で溢れかえっている事態を危惧していたのですが、そういう患者さんがビニールカーテンの向こう側のスペースに押し込められていたからか、意外とそこまでの混雑ではなく安堵しましたが、やはり夜間だけあってゼーハーという呼吸を繰り返している深刻そうな病状の方やこれまた深刻な雰囲気の付き添いの方が多く、非常に気分の滅入る空間ではありました。中でも悲しい気持ちにさせられたのが、金次郎の電話での問い合わせにも対応して下さった夜間受付担当の方で、繰り返される深刻あるいは理不尽な電話攻勢に心を無にして淡々と人間AIであるかのように応答されている様子が大変印象的でした。そんな殺伐とした空間でしたので、突如受付の方が「○○さん~」と何の抑揚も無く絶対に聞き間違えることのない超有名ハーフアスリートの名前を呼んだ際は時間が止まったような静けさが一瞬訪れました。ゼーハーも止まった気がします。特に具合も悪くなさそうな感じでキャップとマスクを装着しスマホを軽快に操作しながら颯爽と去っていった彼はいったい何の急病だったのか今でも謎です。

病院あるあるなのですが、診療を待つ間に妻の容体は少しずつ改善の兆しを見せ、吐き気が有ったため念のためCT検査もしてもらいましたが、軽症熱中症との診断で、お願いした点滴処置さえしてもらえませんでした。まだまだ嘔吐感に苦しんでいた妻は、思わず席から立ち上がる勢いで、こんなに辛いのに軽症なんですか!と担当医師に詰め寄ったものの、早速カルテに「意識明瞭」、「完全自立歩行」と記載され軽症との診断を自ら証明する形となり敢え無く撃沈しておりました。そこで初めて、重症というのは意識朦朧でしゃべれない&立ち上がれない人のことを言うのだと気づき、医療崩壊に拍車をかけかねなかった119コールをしたことに二人で心から恥じ入り反省いたしました。振り返って、電話がつながらなくて良かったと胸を撫で下ろせる状態まですぐに回復して本当に良かったです。調べてみると、当時妻が歯科治療の痛みを抑えるために服用していたロキソニンは腎臓の働きを低下させるリスクが有るようで、今回の熱中症はどうもこれが原因のようでした。皆さんも痛み止めを飲みながらの夏場の外出にはくれぐれもお気を付けください。

さてこちらが本編の本の紹介です。「トヨトミの野望」(梶山三郎著 小学館)は、フィクションという形式が採られてはいるものの、明らかにトヨタがモデルとなっている企業小説で、実在の経営陣が作中の誰なのかが明確にイメージできてしまう内容となっており、これって本当なのだろうか、本当だとしたらこんなことまで書いてしまっていいのだろうか、と冷や冷やしながら読むことになるリアリティが圧巻の作品です。この内容だと著者が覆面作家というのもやむ無しかと思います。一方の主人公は上司とぶつかって冷や飯を食い、フィリピンの小さな事務所に左遷されながらその実力を豊臣一族に見出され、遂に社長の座にのし上がった武田剛平。もう一方は創業者一族のプリンスでありながら、七光り、実力は部長止まり、などと陰口を叩かれ、剛腕武田と自分を比較してコンプレックスに苦しむ豊臣統一で、すべてが水と油のこの二人の確執が、使用人vs創業者一族という図式の中で見事に描かれており、究極のオーナー企業らしい無茶苦茶な人事ぶりや御用聞き役員の滑稽さと合わせて大変楽しめました。勿論、世界トップの自動車メーカーを目指し強烈なロビーングで米国での販売戦略を推進したり、社運を賭けてハイブリッド車開発に挑戦したりといった経営上の重要な意志決定の経緯が詳細に語られており、経済小説としても一級の仕上がりで、読み始めたらあっという間に読み終わってしまう充実の内容でした。事情通の方が、当たらずとも遠からず、とコメントされていましたので、かなりノンフィクションに近いとの認識を持ちつつ、環境対応を巡る次世代自動車開発での苦闘と統一の成長を描いた続編の「トヨトミの逆襲」(同)と併せて読まれると楽しめること請け合いです。

「おいしいごはんが食べられますように」(高瀬隼子著 講談社)は先日発表された第167回芥川賞受賞作です。仕事は適当にこなしており周囲にもそれなりに評価されているものの無気力気味な二谷と、頑張り屋だが自分の正義感への承認を欲する押尾さんという会社の同僚同士である二人の視点から描かれる気遣いの人芦川さんの物語です。芦川さんは皆に好かれるいい人キャラであるものの、メンタル弱めでプレッシャーがかかるとすぐに早退・休暇となりがちで、その分の業務が周囲の人にしわ寄せされる状況が恒常化しているちょっと難しめの社員です。それだけならまだしも、芦川さんは早退した翌日に手の込んだ手作りお菓子を会社に持ってきて同僚に振る舞うという微妙な習性を持っており、そんな彼女の行為も、それを許し喜ぶ同僚も受け入れられない押尾さんは二谷と示し合わせて芦川さんへの意地悪を画策する、という気持ち悪い展開で目が離せません。このお話の怖いところは、視点人物二人の認知レベルを越えているために直接的に表現はされていないものの、描かれていない芦川さんの日々の生活を想像すると、彼女が抱えている虚無の闇が背筋が寒くなるほどに深いと気付くところだと思います。

「くるまの娘」(宇佐見りん著 河出書房新社)は著者が「推し、燃ゆ」(同)で芥川賞を受賞して以来初めての作品で、前作の印象があまりにも鮮烈であったために、期待を膨らませ過ぎてがっかりしないよう気を付けながら読みました。短めの中編という限られた紙幅で、恋人同士のように好きだから一緒にいるわけではないけれど、飽きるほど一緒にいる長い時間そのものがお互いを結びつける一面も有る、なんともややこしい家族関係という重いテーマに真っ向から取り組んだ意欲作で、自分の人生を振り返り色々と考えながら読まされる秀作で満足いたしました。主人公カンコは家族の思い出の象徴である車中泊旅行の経験から、在宅時も車中で寝泊まりし両親と距離を取ることで、それまで整理しきれなかった家族への思いや自分の内面を客観視できるようになっていきます。仮にそこで明確に形となって認識される家族の真の思いが受け止め難い重苦しいものであったとしても、その現実と向き合うことはカンコが前に進むために必要なプロセスであったに違いないとぎりぎりポジティブな印象で読み終えました。深みのある内容ですので、皆さんの感想もぜひうかがいたいところです。

妻が軽症熱中症から回復したと思ったら急に頭痛を訴えたので再発かとびびりましたが、また買ってしまったエーグルドゥースのケーキに入っていた洋酒による酔っ払いでした(笑)。


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投稿者: 金次郎

読書が趣味の50代会社員です。

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