10代の金次郎がビー・バップ派でなく湘爆派であった懐かしい思い出

先日同学年の友人と久々に食事をしましたが、50歳過ぎのおっさんがややどうかとは思うものの、相変わらず10代の頃に夢中になった漫画やアニメの話で大変盛り上がりました。こういうコンテンツに関する話題の際の40台後半から50代前半世代のとめどない盛り上がりぶりがやや異常であることは、若者世代からちょくちょく指摘されて認識しており、これは後の世代と比較して娯楽の選択の幅が極端に狭かったことに起因するのだろうと自分の中では整理しています。現代のように数えきれない選択肢の中から自分の趣味に合うものをピックアップするというのではなく、基本的に入手可能なものは全部読んだ上で好きな作品をより深掘りするというのが当時の楽しみ方であり、故に同時代のどの作品に対してもかなりの確立で話題を共有できることが他の世代の介入を寄せ付けない、高テンションおやじ集団による局地的な盛り上がりに繋がっているのだろうと思います。最近は不良が登場する作品として東京リベンジャーズが大流行していますが、

金次郎世代ではビー・バップ・ハイスクールと湘南爆走族が二大巨頭として君臨しており、ほぼ全ての男子がビーバップ派か湘爆派のどちらかに属していたという時代でした。不良高校生のヒロシとトオルが活躍するビー・バップでは、伝説の舎弟であるノブオに対する〈ヒツジの皮をかぶったヤギ〉というイジり表現が忘れられず心に残ってはいるものの、当時の金次郎にとっては湘南爆走族が圧倒的な憧れの存在でした。ケンカ無双でバイクに乗せたら湘南一、しかも手芸が大好きで波打際高校手芸部部長の手芸のえっちゃんこと江口洋助が、暴走族であるチーム湘南爆走族(略して湘爆)の個性豊かなメンバーと繰り広げる笑い有り、興奮有り、涙有りの青春ストーリーは金次郎ティーン時代の最高の思い出の一つになっております。いつもはふざけまくっているのに、いざとなったら筋を通し、信念のため仲間のためにどんな苦境にも立ち向かう江口の口癖は「つっぱらかる」。不良っぽい見てくれや言動にこだわるという意味ではなく、周囲がどう言おうと自分の大切な物を貫き通す気概を意味するこの言葉は、金次郎の心の深いところに根を張っていて少なからず金次郎の人生に影響を与えてきたと思います。この言葉についてのエピソードとしては、湘南に観光旅行に来たアメリカ人のハイティーン女子サマンサが江口と出会い「つっぱらかる」の精神を目の当たりにし感動するお話が印象に残っています。サマンサは帰国して農家の奥さんになった後も、苦しい時に「ツッパラカル」と口に出して自分を鼓舞しているのですが、そんな場面に、アメリカンドリームを実現するために渡米していた江口のライバルであり友人であるかつては別チームのリーダーであった真紫がたまたま出くわし、聞き覚えの有るフレーズを懐かしみ故郷に思いを馳せるシーンは何度思い返しても最高です。その他にも大好きな言葉やエピソードは枚挙に暇が無いのですが、紙幅の都合上泣く泣く紹介するのを断念いたします(涙)。ちなみに実写版の映画では江口役に若き江口洋介が初主演に抜擢され(江口洋介は本名で役名との類似は奇跡的な偶然)、湘爆特攻隊長である石川晃を織田裕二が演じてデビューするという超豪華メンバーであったことを申し添えておきます。

さて本の紹介に参ります。「『させていただく』の使い方 日本語と敬語のゆくえ」(椎名美智著 KADOKAWA)は自分に向けて使われると違和感を禁じ得ないにも関わらず、気を抜くとつい自分も使ってしまっている「させていただく」について、その使われ方の変遷と背景を分析し、なぜこれほど普及しているのかを解き明かした面白い本です。身分や立場の上下がある程度明確に定まっていて、向けられるべき敬意の方向がはっきりしていた縦型社会の時代にあっては敬語の使い方が問題になるようなケースはあまり無かったものの、社会階層や人間関係のフラット化が進展している現代においては、誰にどう敬意を向ければ良いのかが分からないという難題が持ち上がっていると指摘されると確かにそうだなと思います。そんな中、相手に対して尊敬の念を表現するというよりは、寧ろ、自分自身の丁寧さや品行を強調する目的で敬語が使われるようになり、その過程で昔は尊敬語・謙譲語・丁寧語の3種類であった敬語が、現代では丁重語と美化語を加え5種類に増えているというのは興味深いと感じました。丁重語は〈拙〉宅、〈愚〉考などの表現、美化語は〈お〉肉、〈ご〉認識などの表現となります。そもそも敬語には使われているうちに敬意のレベルが下がっていく敬意漸減の法則というものが有るらしく、元々は丁寧語のニュアンスの「させてもらう」という表現だったものが敬意漸減により新たに敬意を追加する必要が生じ、謙譲のニュアンスを加えて「させていただく」が使われるようになったとの経緯だそうです。また、SNSやweb会議なども含め、コミュニケーションの対象が不特定多数となる場面が多い現代社会においては、相手の言動を表現するのでなく、自分の言動を言い表すための能動的動詞を使うことが増える傾向となりますが、このような能動的動詞は相手との距離を詰める効果が有るため、この近づき過ぎた距離を調整する目的で、逆に距離を取る効果が期待できる「させていただく」が多用されることになったと解説されています。昔のような上下関係ではなく、他人との距離感をセンシティブに重視する現代のコミュニケーションにおいて、微妙な距離調整を可能にしてくれる「させていただく」は、使役動詞と謙譲語が混ざったごてごて感や慇懃無礼との印象を与えてしまうデメリットを考慮して尚使いたくなってしまう絶大な効果を発揮する表現であることがよく分かりました。このようなデメリットを緩和する処方箋として①謙譲語が有る動詞はそちらを使う、②へりくだる必要が無い場合にはなるべく使わない、③繰り返し使用を避ける、が紹介されておりなるほどと納得いたしました。

少し関係しますが、「恋とそれとあと全部」(住野よる著 文藝春秋)は、そんな繊細な人間関係が求められる現代でも最も距離感のバランスが難しい高校生の、しかもHSP(highly sensitive person=繊細さん)と思われる登場人物の恋模様を描いた、非常に最近の住野先生らしい作品となっております。夏休みをどう過ごそうかと考えていためえめえこと瀬戸洋平は片思いの相手であるサブレ(鳩代司)から謎に彼女のじいちゃんの家に行かないかと誘われます。やや健康不安の有るじいちゃんの家の手伝いを頼まれたことに加え、自殺した親戚の死の背景を確認する、という穏やかでない目的については不思議に感じたものの、嬉しくなって二つ返事で申し出を受け入れためえめえの恋に悩む片思い男子ぶりにはなかなか可愛いものが有ります。二人の楽しいけれど何となくぎこちない旅の道中で、常に相手との距離を保つことを最優先し、相手の心中を想像しまくって予防線を張り続けるティーンの、それはさすがに気にし過ぎだろうというコミュニケーションを見せつけられ、自分は昭和に生まれて良かったとつくづく感じました(笑)。そういう風にたどり着くのか、というエンディングはなかなか感動しましたが、それよりも住野先生の作家人生はどこにたどり着くのだろうとやや心配になる読後感でございました。

50歳を過ぎやや頭頂部に寂しさを感じる気がしており、必至で頭皮マッサージなど試みるもいまひとつ効果が上がっておりませんでした。ところが、肉体改造のためにプロテインを飲み始めたところ、思いもよらないことに頭頂部の勢いがやや戻った気がします。恐るべしタンパク質の力。みなさんもぜひお試しください(笑)。


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投稿者: 金次郎

読書が趣味の50代会社員です。

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