金次郎、オンラインのプレゼン時に鼻水を流す

先日たくさんのお客様を前にオンラインでプレゼンをする機会が有りまして、途中までは調子よく説明を進めていたのですが、突然何の前触れも無く鼻水がとめどなく流れ出す事態となり、プレゼンも未だ半分弱残っている状態でいきなり画面から消えるわけにもいかず、かなりパニックに陥りました。

後で振り返ってみると、普通にプレゼンを一時中断して鼻をかみに行くだけの話だったのですが、100人からの聴衆がいる事実に恐れをなして冷静な判断ができず、ポケットティッシュの持ち合わせが無かったことも災いし、ハンドタオルで鼻を拭き拭き対応することとなりました。お客様にとって見苦しい&聞き苦しい感じになってしまったことが一番申し訳なかったのですが、確かにプレゼン内容がやや厳しめの事実についての説明ではあったものの、この人まさか泣いているの?と誤解されていたとしたらだいぶ変な人という印象になってしまうので非常に切ないです。また、そんな日に限って大変にかわいい絵柄のハンドタオル(妻チョイス)しか持ち合わせが無く、おじさんの顔とキュートな模様のコラボがオンライン画面上で断続的に晒され続けたことで変な中年感を更に増幅し、金次郎の恥ずかしさを極限まで高める結果となってしまいました(涙)。中年になって以降は年の功の効果も有ってか、あまりこのようなピンチに遭遇してこなかったので久々でしたが、若かりし頃はこのブログでも紹介したパンツ投げ事件やEV充電切れ事件(//)など結構しびれる状況を経験していたことを思い出し、シンガポールのオフィスのトイレで紙が無いことに驚愕し、大きな声を出してトイレに誰もいないことを確認した後、光速スライドで隣のブースにズボンを下ろした状態でカニ歩き移動した危機的状況が20年ぶりに脳裏に蘇りぞっといたしました(笑)。これはピンチではないのですが、芋づる式に思い出したのが、アテンド出張時の和風英語事件です。中国に当時の顧客の担当の方と一緒に出張した際、ややジャパン英語を操っておられたその方が、すっと頭に入ってこない表現をされたので記憶の中の音とプレゼン資料の内容をよく比べてみると、どうやらmergeをメルゲ、organizationをオルガニザチオンと中学で英語を学び始めて以降最もやってはいけないことと叩き込まれてきたローマ字読み英語発音を連発されたのだと数秒後に気づき、絶対に笑ってはいけないという使命感と笑いの本能へのとてつもない刺激が交錯し、同じくアテンドしていた後輩と共に人生でほぼ浮かべたことの無い微妙かつ複雑な表情を顔面に貼り付けたことを思い出しました。あれ程までに顔面筋が鍛えられた瞬間は後にも先にもございません。本当に人生では色々なことが起こります(笑)。

さて、本の紹介です。「タラント」(角田光代著 中央公論新社)は角田先生久々の長編小説であり、待たされた分高まった期待に応える大変充実した内容の一冊でした。近しい人の死という自らのキャパを超える苦しい経験の後に、なぜ生き残るに値しない自分が生き残ってしまったのかという罪悪感と、どういう形であっても自らの言動が他人に影響を与えてしまうことへの強い恐れのために心を閉ざしてしまった祖父と孫娘の人生が、パラリンピックに象徴される障がい者スポーツとの関わりの中で少しずつ動き出す様子が非常に重厚な構造の物語として描かれています。ボランティアとエゴイズムとの相克や混じりけの無い善意に基づいた行為が必ずしも他人を救うわけではないという冷徹な現実といった非常にセンシティブかつ明示的な解の無い問いに対し、主人公たちが内省と懊悩の果てに辿り着いた答えに胸が熱くなります。自分の中に存在している熱い思いが誰かの心に届くようにと、誰のためでもなく自分自身のためにひたすらに願い行動し続けることがとても尊いと感じました。9・11や中東でのテロ、東日本大震災など正直重過ぎるテーマが多数盛り込まれており読みながら心が削られるのは辛いですが、最終的に読後感は爽やかなものになると思いますので、騙されたと思ってご一読されることをおすすめいたします。

「今日も一日きみを見てた」(角田光代著 KADOKAWA)と「明日も一日きみを見てる」(同)はそんな角田先生が漫画家の西原理恵子さんからもらい受けたアメリカンショートヘアーのトトちゃんとの日常を愛情溢れる筆致で綴った猫エッセイです。かなりの過激キャラでお馴染みの西原先生から心配され、癒しのために自身の飼い猫が子供を産んだらあげると言わせるほどに精神状態が不安定だったらしい角田先生の生活が、トトちゃんの登場により落ち着いた穏かなものになった様子がほっこりさせられる猫との日常の描写からうかがえます。臆病者で小さい声でしかシャーと言えないトトちゃんは本当に可愛いのですが、この子がいなくなったらどうしようと想像するだけで毎日泣いて暮らしてしまうという角田先生の気持ちが、まだ猫を飼ってもいない金次郎ですら共感できる程にビシバシ伝わって参ります。人生に変化や刺激を求めてきたBC(before cat)時代から一片、AC(after cat)となった今では、限り無く今日と同じ明日が続いて欲しいと願うようになった角田先生ですが、それほどまでに人生観を劇的に変えてしまう愛すべきものの存在について考えさせられる内容でございました。最近猫カフェに入りびたっている金次郎の人生観も変わっていくのかどうか自分でも楽しみです(笑)。

「江戸一新」(門井慶喜著 中央公論新社)では、1657(明暦3)年1月に発生し江戸時代を通じて最大の被害を出した明暦の大火からの復興にあたり、武家中心のこじんまりした町であった江戸を、火災対策を施した上で規模を拡張し、町人や商人中心の活気溢れる文字通り大江戸と呼ぶにふさわしい巨大都市に作り変えた老中松平信綱の老練な手腕が描かれています。三代家光、四代家綱に長きに亘り使え、その怜悧な頭脳から智恵伊豆と称され怖れられた切れ者ぶりが有名な信綱ですが、この物語では悩んだり判断を誤ったりしながら、将軍への忠義を尽くし、なんとか旗本御家人から町人や浪人に至るまで江戸の町で暮らす人々の生活を良くしようと脳に汗をかいて考え続けた愚直な官僚の姿が目に浮かび親しみを感じました。明暦の大火で亡くなった無縁仏を埋葬したのが両国回向院の起源であることや、時折このブログでも金次郎の住む人形町関連の話題として取り上げる吉原の日本橋人形町から浅草への移転の話なども出てきて興味深い内容でした。また、大火後の新たな町割りの中で、幕政にうるさく口を出していた御三家の居宅を江戸城内から城外に移し彼らを政治の中枢から物理的に遠ざけることで、老中を中心とした幕閣が御三家との権力闘争に勝利したというのはこれまで全く知らなかった史実でしたので大変興味深かったです。

このところ相手かまわずたんぱく質の説明をしまくるプロテイン中年となっていますが(笑)、おかげさまでズボンのウエストは若干余裕ができ、上半身はやや筋肉質となってきました。少し前まで五十肩のせいで左腕が老人のように細くなっておりましたので非常に嬉しいです。ただスーパーマッチョは小太りより悪印象とのことなのでトレーニングはほどほどといたします。

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投稿者: 金次郎

読書が趣味の50代会社員です。

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