金次郎、加賀恭一郎シリーズ全10作を一気に読了(後編)

最近ロシアのウクライナ侵攻関連の記事を読んでいると、stop short ofという表現をよく目にします。~まではしない、~はせずに踏みとどまる、というような意味で、SWIFT決済システムからの排除まではしないとか、ロシア産エネルギーの禁輸までには踏み切らない、というように使われるのですが、次のステップを示唆してマーケットに準備をさせる思惑も有るのでしょうが、脅しのような雰囲気も有りますし、これまでshort ofの後に書かれたことは悉く実行されており、この表現を見つけると非常にホラーな気分になります。

さて、意外と好評だったこともあり、シンガポール支店の運転手Pさんの話の続きを書くことにいたします。Pさんは見た目は今は亡き宅八郎さんなのですが、わりと頻繁にバックミラーを観ながら髪をなでつけ、ナイスな七三的スタイルに仕上げる習性を持っており、自分がかなりイケていると勘違いしているフシが有りました。そんな自意識過剰なPさんはご多分に洩れずかなりの女性好きで、恐ろしくて踏み込んで詳細を聞く勇気は出ませんでしたが、時々場末のカラオケスナック的なところに通われていたようです。そんな彼は、会社の運転手だったにも関わらず時代の先を行く副業で週末にタクシー運転手のバイトをやり、しかも危険運転者であったため開始数日で事故ってしまい運転免許を剥奪されてしまいました。幸運にも会社はクビにはならず、かと言って免許も無いので運転手はできず、仕方が無いので会社に届く郵便物を各部署にデリバリーするメールボーイの仕事を与えられておりました。この辺りから金次郎が日本に帰国した後の話となり二次情報となりますが、運転手の仕事も無く残業も無くなったPさんは、時間を持て余し、カラオケスナックに入り浸るという転落人生の第一歩を踏み出してしまいました。そのお店にはカンボジア人の女性がいたようで、うち一人とねんごろになったPさんは、その女性とカンボジアで喫茶店を経営するという怪しげな夢のとりことなってしまったのでした。普通ならstop short of trying to make such a dream come true(そんな夢を現実にしようとまではしない)わけですが、そこはPさんのこと、好意からの周囲のアドバイスに聞く耳を全く持たず、その女性から見せられた、1階が喫茶店で2階が住居となっているカンボジアの物件のなんと完成予想図らしき絵!だけを頼りに、奥さんと離婚し、住居であるHDBというシンガポールの公団持ち分を売り払い、その資金で物件を買って残りは奥さんに慰謝料として渡す、という有り得ない計画を実行に移してしまったのでした。その女性の親戚を騙る恐らく不動産査定人を自らのHDBに喜んで宿泊させ、1文字も意味が理解できないカンボジア語の契約書に、あの女性は信頼できる、と騙される人の典型パターンの根拠無き自信でサインし、悠々と弊社を去ったPさんの行方は杳として知れず、カンボジアの地は踏むことなく、身ぐるみ剥がされ野垂れ死んでしまったとの不穏な噂も流れましたが、それから10年ほどが経過したつい最近になって、彼はまだシンガポールで生きているとの未確認情報を聞き、少し安心してここに書こうという気分になった次第です。今や彼のブロークンシングリッシュを聞き取れる自信は全くありませんが、出張解禁になった暁にはぜひシンガポールで再会したい人リストの20位ぐらいの存在ではあります。もし続報有ればまた書きますね(笑)。

さて、前回からの続きで東野先生による加賀恭一郎シリーズ全10作の後半5作の紹介です。

「嘘をもうひとつだけ」(講談社):本作はシリーズ唯一の短編集でいずれも切れ味鋭い5作品が収められています。派手ではないが真相にひたひたと迫って犯人を追い詰める加賀の安定キャラが極まったとの印象で、次作からは少しずつ加賀の人生に光が当たる大河ミステリー的な展開になっていくこともあり、そういう意味では本作までの6作がシリーズの序章的な一つのグループに分類できる内容になっていると思います。

「赤い指」(同):元々短編として前作の「嘘を~」に収録されるはずだった本作は東野先生により6年の構想期間を経て長編として刊行され、「新参者」のスペシャルとしてドラマ化もされています。加賀とその家族をめぐる後半4作を描く視点として本作から加賀の従兄弟である警視庁捜査一課刑事の松宮が登場しています。犯人一家における家族や親子の愛情の在り方に焦点が当たる一方で、加賀一家の謎についてのストーリーがパラレルに展開する本作は非常に読み応えが有り、何よりもこれを読まずにその先の作品を読んでは絶対にダメだったという自らの愚行の反省が頭の大部分を占める悲しい読後感となりました(苦笑)。

「新参者」(同):いよいよご近所である日本橋界隈がメインの舞台となる本作ですが、やはり学生時代、警視庁捜査一課、練馬署と渡り歩いたこれまでの加賀の来し方を想いつつ読むべき作品だったと痛感します。前半の作品ではややもするとロボット的な印象も受ける加賀の描写でしたが、前作、今作と加賀恭一郎の深みのある生身の人間感が際立っていて正に脇役から主役に転じたなという感覚です。ストーリーとしても、一人の女性の死をめぐる捜査の過程で明らかになる小さな謎の連なっていくその先で、全てが繋がって大きな謎の解決に辿り着く展開で、日本橋びいきだからかもしれませんが、出色の出来栄えと思います。

「麒麟の翼」(同):これまた松宮が登場しますが、刺された後に日本橋の上まで歩いてきた被害者の思いと、その被害者と向き合ってこなかったことを悔いる被害者家族の葛藤を中心に描かれたとても悲しいミステリーです。金次郎の散歩ルートがかなり作中に出てくるのでリアルに現場に立っている気分にはなるのですが、そうやって臨場感が増せば増すほど悲しい気分も比例するということでなかなかどんよりいたしました。日本橋を渡るたびに映画版の中井貴一さんを思い出します。

「祈りの幕が下りる時」(同):「卒業」や「赤い指」で言及されてきた加賀の母親の失踪に関する謎、なぜ優秀な刑事である加賀が所轄の日本橋署にこだわるのかなどがまとめて明らかになる充実のシリーズ完結作です。滋賀県在住の女性がなぜか東京小菅のアパートで殺された事件の捜査をきっかけに、遠い過去の物語に光が当たり、世を捨てて目立たぬように生きる悲しい人間の背中が浮かび上がってくる社会派ミステリーにもなっています。警視庁の刑事らしく広域を飛び回る松宮と日本橋を中心に地道な捜査を続ける加賀のコントラストとその相乗効果が印象的ですし、加賀といえば剣道という本シリーズの一つの軸もしっかり通っていますし、ずっと封印されていた加賀の恋バナも動き出す(?)ということで、単発で読んだ初読の時より格段に面白く読めた再読でした。何度も書いて恐縮ですが、金次郎の妻はこの作品の映画版にエキストラ出演しております(笑)。

ファ・ファ・モという前評判の悪いブースター接種を受けた妻はやはり回復までに丸2日を要しました。今は解熱剤を服用したらワクチン効果って低いの?と気にしております(苦笑)。


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投稿者: 金次郎

読書が趣味の50代会社員です。

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